The SYNTAX ERROR Blog http://www.thesyntaxerror.net MIT Sloan / London Business School MBA留学記 Mon, 22 Nov 2010 02:24:03 +0000 http://wordpress.org/?v=2.8.6 ja hourly 1 幸福のフィクションを追い求める、人々のリアル - ケビン・ベルリン「ダブル・ハピネス」展 http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/19/185004 http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/19/185004#comments Fri, 19 Nov 2010 23:50:04 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1676

KevinBerlin
11月11日、建築家の友人に誘われるまま、画家ケビン・ベルリンの個展レセプションに参加。マンハッタンのロウアー・イースト・サイドにあるマーク・ミラー・ギャラリーで、このアメリカ人画家から、彼が上海で製作した作品や同地での経験について話を聴く。タバコやバッグのブランド、そしてそれらに対する人々の関心を描く彼にとって、上海ほどに適した土地はないだろうと感じられた。

「ダブル・ハピネス」というテーマは、「喜喜」という中国製タバコのブランド名に由来する。訪問先の上海でタクシーを降りたベルリンは何かを踏みつけたことに気づき、ふと拾い上げたのがそのタバコだったという。この画家は、まず「数えられない幸福が2倍とは一体どういうことだろうか」と興味を持ち、さらに、「2倍もの幸福が道端に捨てられている」という自らの発見に刺激を受けたと話す。

ベルリンは「喜喜」や「中華」といったタバコのパッケージの他に、プラダやシャネルなどの「偽物の」バッグを写実的に描く。それらは「PRADA」ではなく「PLADA」と書かれていたり、「CC」ではなく「OO」のロゴが配されていたりする。画家は、「なぜ人々が、ブランドがなくても上質なこれらのカバンに偽物のロゴをつけ、偽物と分かっていながら路上で買うのか、それが面白い」と言う。そして、イタリアのベニスで警官と偽物を売る露天商が繰り広げるイタチごっこの話をする。

中国ではタバコの銘柄がステータスシンボルになっており、1箱14ドルもする「中華」に対する中国人の欲望も面白いという。「少なくとも私には、味の違いが分からなかった」と画家は話す。下の油彩「East Meets West」では、「左から順に強いものを描いた」という。左端から、成功した実業家、画家本人を模した「ジェームズ・ボンドのような」男、若い男、美しく若い女、実業家の妻の友人、実業家の妻、屋外の物乞い、だそうだ。

ベルリンは、人々が抱くステータスへの憧憬に理解を示し、その客体を時に写実的に、時に象徴的に描く。その筆致から筆者が感じた画家の視点は、風刺的あるいは皮肉なものではなく、どこかしら共感的なものだった。それを特に感じたのは「Steamed Buns」と題された下の油彩で、露天の店先で饅頭を頬張る二人の男の絵だ。「ひとりはスーツを着たビジネスマンで、もうひとりは肉体労働者風です。しかし、いずれも本当に美味しそうに饅頭を食べているのです」と画家は説明した。さらに、「あの饅頭の美味しさを思い出すと、彼らの目鼻立ちまで自然に描けてしまうのです」という。

タバコの銘柄やバッグのブランド(それが本物であろうと偽物であろうと)など、それは巧妙なフィクションでしかない。それらを集めても、幸福が定量的に2倍になるかは眉唾ものだ。しかし、それらを求める人々の熱意はまた、誰もを分け隔てなく喜ばせる饅頭のように、リアルなものだ。この奇妙な同居を、経済成長に湧く上海で、異邦人の画家がある種の愛情を持って描いているのが面白い。ベルリンは、「善し悪しを判断するつもりはありません。まるで幼い子どもが『これは何?』と聞いて回るように、私は絵を描きたいのです」と話していた。

余談だけれど、会場にいたある中国人が、中国では役人が吸うタバコや身につける腕時計の映像や画像を集めているサイトがあるのです、と教えてくれた。その銘柄が分不相応なものだと、その役人は賄賂を受け取っているのではないか、と話題になるのだという。ブランドを巡る悲喜こもごも。

レセプションのあと、画廊のオーナーであるミラー氏が薦めてくれたバネッサズ・ダンプリング・ハウスという近所の餃子店に寄る。餃子は4つで1ドル、肉饅頭は3つで1ドルという、マンハッタンとは思えない破格の値段と作りたての美味しさで、店内は大賑わい。饅頭はリアルだ。その事実をあらためて念押ししたミラー氏の計らいに脱帽。

KevinBerlin2

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MITメディアラボが生んだアイディアと製品トップ25(抄訳) http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/16/152925 http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/16/152925#comments Tue, 16 Nov 2010 20:29:25 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1639

@AkikoSugayaさんのツイートで「MITメディアラボが生んだアイディアと製品トップ25」というBostoInnovation.comの記事を知る。MITメディアラボは、メディアにとってアビー・ロード・スタジオのような存在である一方、筆者自身も同研究所の成果の多くをこの記事で初めて知った。元記事を抄訳して25のアイディアと製品を紹介する。

  1. アマゾン・キンドル、ソニー・eリーダー、バーンズ&ノーブル・ヌック
    (いずれも、メディアラボで開発された電子インク技術を使用)
  2. ギター・ヒーロー
    (メディアラボからスピンオフしたハーモニクス・ミュージック・システムが開発)
  3. レゴ・マインドストームス
  4. 子どものためのプログラム言語「スクラッチ
  5. XOラップトップ
    (メディアラボからスピンオフしたワン・ラップトップ・パー・チャイルドが開発)
  6. スマート・エアバッグ・システム「シートセントリー」
    (NECが開発)
  7. MPEG-4ストラクチャード・オーディオ
  8. 無線メッシュ・ネットワーク
    (ノーテルが当初開発)
  9. 協調フィルタリングによるレコメンデーション技術
  10. gスピーク
    (メディアラボからスピンオフしたオブロング・インダストリーが開発。映画「マイノリティ・リポート」で初登場。)
  11. オープン・マインド・コモン・センス
    (人工知能のための一般知識収集クラウド)
  12. コンピューター・クラブハウス・ネットワーク
    (インテル財団より協賛)
  13. 3Dデジタル・ホログラフィー印刷
    (メディアラボからスピンオフしたゼブラ・イメージングが開発)
  14. 記憶補助技術
    (メディアラボからスピンオフしたリコールが開発)
  15. フォトモザイク
    (メディアラボからスピンオフしたランナウェイ・テクノロジーが開発)
  16. オーディオ・スポットライト
    (メディアラボからスピンオフしたホロソニックが開発)
  17. ソースマップ
  18. カラオケ・オン・デマンド機材
    (タイトーが開発)
  19. IBMウェブファウンテン
  20. 作曲ソフト「ハイパースコア」
    (メディアラボからスピンオフしたハーモニー・ラインが開発)
  21. シンフォニー・ペインター
    (フィッシャー・プライスがピクスター・カラー・システム向けに開発)
  22. タンジブルIPネットワーク・デザイナー
    (NTTコムウェアが開発)
  23. マーキュリーRFIDリーダー
    (シングマジックが開発)
  24. クロッキー
    (メディアラボからスピンオフしたナンダ・メディアが開発)
  25. Qセンサー
    (メディアラボからスピンオフしたアフェクティーヴァが開発)
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ライセンス契約と著作権法との潜在的な衝突 http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/09/173541 http://www.thesyntaxerror.net/2010/11/09/173541#comments Tue, 09 Nov 2010 22:35:41 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1597

MITのコンピューター・サイエンス及び人工知能研究所のデイビス・ランダル教授による論文「デジタル・ジレンマ」は、従来の著作権の概念がデジタル情報にそぐわない点を明快に整理している(例えば、著作権の本質は複製の制限である一方、コンピューターでの情報処理は必然的に複製を伴う点など)。同時にこの論文は、デジタル情報をめぐる民間のライセンス契約が孕む、著作権の精神との潜在的な衝突に言及している点も興味深い。本論を読み、当ブログ(TSE)筆者は法規制に対する自身の見解を離れ、著作物へのコントロールについてはその上限を定める包括的な強行規定が必要ではないかとの印象を持つに至った。

潜在的な衝突とは、例えば次のような場合に起こる。紙の雑誌であれば、図書館は来月号以降の購入を止めたとしても、今月までの雑誌は依然として保管して閲覧に供することが出来る。しかし、デジタル雑誌のライセンス契約では、契約を解除するとバックナンバーの閲覧もできなくなる、という「立て付け」にすることも可能だ。この場合、ライセンス契約は著作権法の「フェア・ユース」の概念を無視することになる。(この事例は同論文の示唆にブログ筆者が加筆)

ライセンス契約には様々な契約条件を盛り込むことが可能で、著作権法とは異なり、法的拘束力の要件をめぐる基本的な制約について政策上の判断を斟酌する必要がない。デジタル情報がライセンス契約に基づいて流通する限り、「フェア・ユース」のような政策上の考慮を内包すべき法律も歴史も伝統もない。

[Licenses] can involve a range of terms and conditions but, unlike copyright law, need not incorporate any public policy considerations beyond some basic limits on what constitutes an enforceable contract. To the extent that digital information is distributed by license, there is no statute, history, or tradition of incorporating such public policy considerations asfair use.
D. RandallThe Digital Dilemma

ランダルも、ライセンス契約が持つ自由度と、そのことで取引の双方が得る利点を認めている。これにはTSE筆者も同感で、(販売用に加えて)レンタルDVDのある世界とない世界とを考えれば、前者に住むことで得られる利益は明らかだ。しかし仮に、デジタル書籍を開くたびに「未来永劫に渡って本文を複製しないことに同意します」というボタンを押さなければならないとしたら、公共の福祉のために有限の保護期間を定めた著作権法の哲学は容易に否定されてしまう。

TSE筆者は、コンテンツ事業を通じてライセンス契約の自由度が著作者と利用者双方の利益に叶うことを実感してたし、民間の取引を阻害しうる規制には原則的に反対の立場を取る。一方で、いわば短期的な解決策としてのライセンス契約が、著作権法が目指した長期的な公共の福祉と相反するのであれば、前者には一定の制限が与えられて然るべきだと考える。対象となる著作物の定義を見直した上で、著作物のコントロールについて上限を定める強行規定が必要なのではないだろうか。

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緩慢な蛇行と三日月湖 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/26/071757 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/26/071757#comments Mon, 26 Apr 2010 12:17:57 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1576

meanders

朝シャワーを浴びていて、ふと浮かんだイメージがあった。それは僕が様々な事業について抱く印象と、僕自身の「そうはなりたくない」という気持ちとを何よりも上手く説明するような気がした。具体的なアクションプランを語るものではないけれど、その土台とする風景が見えたと感じた。ツイッターでつぶやいたその景色を、忘れないうちにブログに書き留めておこう。

風呂場でバリューチェーンを思う。インターネットによって全ての雨が海の上に降るようになった訳ではない。川は常にそこにある。問題は川の流れが変わったにすぎない。
緩慢な川はやがて蛇行を始め、イノベーションの洪水がその非効率を是正する。取り残されたら三日月湖になるだけだ。ビジネスにおいても、自然は暗喩などではなく、摂理だ。

Photo (c) Oliver Kurmis

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自民党谷垣総裁との昼食会 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/19/165452 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/19/165452#comments Mon, 19 Apr 2010 21:54:52 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1560

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3月25日、日本視察旅行の一環で自由民主党の谷垣総裁と昼食会。同党本部に足を踏み入れたことはなかったし、まさかその機会が来るとも思わなかった。外国人学生を案内するという口実で、結果として僕たち日本人学生にとっても貴重な経験となった。逐次通訳を挟んだ約1時間のセッションで正味のスピーチは30分ほどだったけれど、谷垣氏の説明は明瞭で、日本の戦後政治史を振り返る好機だった。半年振りのカレーライスを食べながら伺った谷垣氏のスピーチと質疑応答、要旨はおよそ次のとおり。

現在の政治環境

自民党は終戦以後再配分を重視した政策を掲げ、結果として日本は、国民の90パーセントが自らを「中流階級」と看做すまでになった。しかし、財政赤字に対処するべく近年「小さな政府」に舵を切ったところ、格差拡大や生活保護受給世帯の増大を招いた。そこへ社会主義的政策とポピュリスト的バラマキを掲げる民主党が票を集め、政権交代となった。現在の日本の会計予算は37兆円の税収に対して国債発行額が44兆円とそれを上回り、敗戦直後の1946年以来の異常な財政悪化を経験している。自民党は今後、再配分のためのバラマキではなく、教育・科学技術分野などの公共財に対する投資を進めていく方針。

経済環境と外交

日本の合計特殊出生率は1.2を割り込んでおり、日本は少子化・人口減少のトレンドにある。ゆえに内需拡大は難しく、アジアの経済成長が生み出す「アジアの内需」を取り込む経済政策が望ましい。日本にとって中国は最大の貿易相手国となっており、過去の関係や互いのナショナリズムを乗り越えた関係構築が必要。そのために、「過去のダメージ・コントロール」が日本の政治に求められる。一方で、中国の軍備近代化には懸念を持っており、日本の脅威とならなぬよう情報の透明化を求めていく。この環境下で日米同盟の重要性は増しており、日米同盟は日本のみならずアジア諸国にとっても安全保障のインフラになると考えている。

質疑応答1 - 今後の輸出産業は?

原子力発電、新幹線、[自分のメモが汚くて読めず]の3つ。韓国の自動車産業はIMFの介入によって財閥1-2社の寡占状態となっている。日本国内市場では様々な業界で競争が激しくなっている。キリン-サントリーの合併のような試みが必要になってくる。

質疑応答2 - 中国の脅威に対処するために独自の軍備増強は?

それはない。あくまでも日米安保体制によって防衛を行う。なお、今までは日本側は主として基地を提供するに留まっており、アメリカに一方的に依存してきた。しかし、9.11以降アメリカ自身も脅威に晒されることが分かった。日本がアメリカに対して何をなすべきか、見直しが必要。

※以上、発言は全て大意。

所感

日本の戦後政治史のレビューとして興味深かった。ただし、単年度の国債発行額について現政権を批判しても、既発国債の累積額については自民党政権の旧弊であって、論点としては諸刃の剣という印象。一方で、韓国における寡占やキリン-サントリーの合併模索が競争力の観点から好意的に語られていたのは新鮮。昨年ハーヴァード大学で講演した河野太郎氏ほどではないにせよ、国内産業保護から国際競争力向上に同党の重心が移るモメンタムを感じた。「独自の軍備増強は?」なんて質問が出るのは外国人ならではか。外の視点の刺激を感じた一幕。

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ロビーには歴代総裁の写真。日本の半世紀が凝縮されている。

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アーモリー・ショーと文化力の「スシ化」 - NYアート・トレック #3 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/215539 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/215539#comments Sun, 18 Apr 2010 02:55:39 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1530

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ボッティーノでのワインが誘う睡魔に襲われるままにマイクロバスで寝て、起きたらニュー・ミュージアム。この建物は面白いなぁ、と寝ぼけ眼に思ったら、建築家は日本人の妹島和世氏と西沢立衛氏で、この二人は後日3月末にプリツカー建築賞を受賞。このトンガッた美術館で酔いを醒まして、その後はアーモリー・ショーへ。クール・ジャパンにちょっと思いを馳せたあとで、全くクールでもなんでもない、いつもの夜を過ごす。美術のくれた刺激が残す余韻は、それでも、一日の終わりまで響いていた。

ある階に足を踏み入れたら、ひとりの女性が歌っていた。一瞬ちょっとヘンな人がいるのかと思ったけれど、そのパフォーマンスはティノ・セーガルという芸術家の作品で、彼女はそれを「展示」しているのだった。現に彼女は「This is propaganda, you know, you know」と歌ったあとで、「ティノ・セーガル、This is Propaganda、2002年」と喋る。

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この「スキン・フルーツ」という企画展は、ギリシア人コレクターのダキス・ヨアヌー(Dakis Joannou)氏のコレクションを、ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)がキュレーターとして展示したものだという。全体的にブッ飛んだ作品が多く、僕自身の好みとは必ずしも一致しなかったけれど、なかなか楽しかった。屋上で晴れた空に向かうのも気持ちよくて、アップタウン方面を眺めると遠くにクライスラー・ビルディングの尖塔が見えた。

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次に訪れたのは美術品の見本市であるアーモリー・ショー(Armory Show)。このアート・ショーは20世紀初めにレキシントン街の武器倉庫(Armory)開催された歴史あるものだそうで、今はハドソン川沿いの埠頭で開催されている。隣接した2箇所の展示場は所狭しとブースで区切られていて、それぞれが絵画やビデオ作品やインスタレーションを展示していた。

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日本家屋と人物が不思議に組み合わさった写真が目に止まったので作家を見ると、レアンドロ・エルリッヒ(Leandro Erlich)というアルゼンチンの写真家で、この作品を扱っているのはルシアナ・ブリトー・ギャレリア(Luciana Brito Galeria)というブラジルの画商だった。撮影地は新潟県の十日町だというけれど。翌日のクリスティーズでも日本の浮世絵や時代劇をモチーフにしたそれでいてポップな作品があり、これはイギリス人アーティストによるものだった。

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2時間ほどの時間はだだっ広い会場を全部見るにはまるで足りなかったけれど、その中で日本人作家の作品として見つけたのは宮島達男のLEDのデジタル・カウンターを使った作品くらいだった。村上隆や奈良美智、あるいはオノ・ヨーコや草間彌生に続くような日本人アーティストがもっと存在感を放つのかと期待していたけれど、僕の見た範囲がたまたまそうだったとしても、日本人アーティストの作品は想像よりもずっと少なかった。

ちなみに、歩き疲れた人たちのための休憩所のようなものもところどころにある。下の写真の場所には巨大な赤いシャンデリアがぶら下がっていて、これも誰かの作品なのだろう。

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ともあれ。それを「クール・ジャパン」と呼ぼうが呼ぶまいが、日本の文化資源がそれなりの魅力を持っていることは確かだ。けれど、そのことが即ちコンテンツでの外貨獲得につながるという発想は早計だと思う。スシが好例で、スシをネタに日本国外で一番稼いでいるのは日本人じゃなくて、韓国人か中国人だろう。それが良いとか悪いとかじゃなくて、魅力ある文化というのはそれゆえに拡散していくので、文化力を特許や著作権のような発想で「マネタイズ」するのは難しいと改めて思わされた。

強いて言えばフランスの原産地統制呼称(AOC)のように、シャンパンをシャンパーニュ地方に厳格に紐付けるのも一策だろう。けれど、それで全てのスパークリング・ワインからフランスが収入を得られるというわけでもない。「クール・ジャパン」の議論って、そういうスピル・オーバーをどこまで想定しているのだろうか。つまるところは、どれだけ力強い作品が出るか、以外の何物でもないのだろう。なんて埠頭を出て思う。夜の風はまだ肌寒かった。

ホテルの部屋に早めに戻って、宿題をやる。手強い分量で食事のために外出する時間も惜しく、夕食は出前。紙箱に入ったチャーハンを掻き込んでコーラで流しこんで、レポートを書く。昼は昼で「これこそが人生!」と思った反動で、夜は夜で「これこそが人生…」と別のニュアンスで思ったりもするけれど、美術に触れて生き返った。感謝!

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(c) Leandro Erlich

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ケン・プライスと本能のカタチ - NYアート・トレック #2 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/195401 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/195401#comments Sun, 18 Apr 2010 00:54:01 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1511

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ギャルリ・ルロンの次に訪問したのは、マシュー・マークス・ギャラリー(Matthew Marks Gallery)。彫刻家ケン・プライス(Ken Price)の作品を展示していた。ディレクターのジャクリーン・トラン(Jacqueline Tran)氏に美術家との関係や美術品市場の動向について話を聴く。一方で、トラン氏が「セックスに対する固執」と評するプライス作品の本能的な造形は、まさに言葉を超えて僕の脳髄を刺激するものがあった。これは彫刻の不思議だ。

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先週、2ちゃんねるの話題を紹介するサイトで「深海生物エロすぎワロタwwwwwwww」というスレッドが引用されていた。問題の生物はツバサゴカイの未記載種らしく、確かに写真をブログで紹介していいものかと一瞬迷う容姿。

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ある種の曲面が人間の感性に働きかける強さや、あるいは、ただのカタチに興奮する僕たちの、ちょっとマヌケでそれでいて憎めない素直すぎる心。これらを人間の側から焙り出しているのがケン・プライスだろう。

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画廊も、これらの作品については鑑賞の一環として触って欲しい、と言っている。幾つかの作品は10~20万ドル(900万円~1,800万円相当)ということで決して安い買い物ではないけれど、触っているうちに欲しくなってしまうコレクターも出てくるのだろう。なお、展示作品の選定や配置については作家は基本的に画廊に一任しているものの、一部で直接の指示も出すという。冒頭の写真の作品について、画廊側はより小さな台座を勧めたものの、彫刻家が大きな台座にこだわったという。

また、画廊としては展示作品が「一線級」で、倉庫にある在庫作品が「二線級」だという誤解を持たれないようにすることが商業上の課題だと言う。様々な作風を展示しようとすると、スペースの制約から似たものをカタログのみでの案内とせざるを得ず、結果として同作が格下に思われることがあるという。在庫作品にも好きなものがあるかも知れないので、画廊では在庫についてもぜひ尋ねて欲しい、とのこと。

なお、美術品相場は景気動向に沿った循環を見せるとのことで、マシュー・マークス・ギャラリーなど大手画商は目下の景気後退を機に保有作品を増やしているとのこと。一方、作家自身と専属契約などを結ぶことはなく、「一部の画商は多くの作家を抱えすぎている」というのがトラン氏の見方。

また、作家との利益配分もキャリアを重ねたベテラン作家ほど作家側に有利で、これはキャリアに比例して作品販売の予測が立てやすくなるからとのこと。反対に、若い作家は販売の予測が立てにくい上に、自分への扱いに過敏であったり個人的・精神的なサポートさえも必要としたりするために、画廊として多くの労力を割かざるを得ないとか。手数料の傾斜配分について、一理ある説明。

トラン氏が強調していたのは、コレクターとの関係構築。好みに合いそうな作品があったら既存顧客に案内したり、あるいは、これからコレクションを始めようとする若い蒐集家の相談に乗ったりすることで、長期的な関係にコミットしているとのこと。

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ギャラリーの前の歩道に、なぜかウサギの絵。快晴の空のもと、歩道に現れたウサギのカップルに、なんとも楽しい気分にさせられる。ハートの下には爆弾が横たわっているのだけれど。近所にはバレンシアガのブティックもあり、これが画廊のようなテイスト。我々の洋服もまた現代美術ですよ、と立地に証言させているようで、上手いなぁと思う。それがどれほど売上につながるのかは分からないけれど。

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ガゴシアン・ギャラリー(Gagosian Gallery)の前で、「このギャラリーがダミアン・ハーストを世に送り出したのよ」と同級生のひとりが教えてくれた。確かに玄関の脇で、一目でそれと分かるハーストのキラキラしたオブジェが鎮座していた。これを見て、いつか自分もダミアンのように、とギラギラと野心を燃やす若い芸術家も多いだろう。

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そのあと、幹事が気を効かせて予約してくれた、この界隈では人気というボッティーノ(Bottino)というイタリア料理店で昼食にありつく。小さな裏庭に面したサンルームに降り注ぐ太陽は、ようやく寒い冬が終わったことを伝えていて、それを合図に僕らは昼からワインを空ける。勉強から開放され、心動かす美術に出会い、久しぶりに生きた心地を味わう。こんな休日こそ、本能のカタチだ。

出典: matthewmarks.com, (ツバサゴカイ:出所不詳)

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エミリオ・ペレスと言葉への執着 - NYアート・トレック #1 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/183204 http://www.thesyntaxerror.net/2010/04/17/183204#comments Sat, 17 Apr 2010 23:32:04 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1503

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3月7日から8日にかけて、以前オークション・ハウスのクリスティーズに勤務していた2年生が中心となってマンハッタンへと美術業界の視察旅行に行ってきた。チェルシーの画廊やクリスティーズを訪問して話を聞いたり、アーモリー・ショーという美術品見本市を見学したり、美術鑑賞に加えてビジネスの側面も学ぶ、という趣旨だった。自由時間には、喧騒のマンハッタンに戻ってきたMoMAを遅れ馳せながら参拝。それぞれの訪問先で、面白いと感じたことを書き留めておこう。

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最初の訪問先はチェルシーにあるギャルリ・ルロン(Galerie Lerong)で、エミリオ・ペレス(Emilio Perez)というアメリカ人画家の個展を見学。このアメリカ人画家はアクリル絵の具の彩色とラテックスの切り絵を組み合わせた抽象画を創作している。路地裏のグラフィティを思わせる勢いと、ミキサーを覗き込んだような複雑なうねり。この画家はサーフィンをすると知って、うねりは海が与えたインスピレーションかと思う。

面白いのは絵の表題や制作年を示した銘板が一切ないこと。このことをキュレーターに尋ねると、銘板の掲示については美術界でも大きな議論があるとのこと。多くの人々は注意深くラベルを読んだあとで作品を「一瞥して」過ぎ去ってしまうのが好ましくないので、この個展では銘板を掲げていないという。

この話は耳が痛い。美術展最大の人だかりは往々にして冒頭にある「開催の辞」の前にあったりする。僕にも「言語情報に対する貧乏性」とでも呼ぶべきものがあって、「油彩・キャンバス」なんていう、一目瞭然の情報さえもついついありがたがって読んでしまう。限られた鑑賞時間という制約の中で、作品自体に注ぐべき注意が銘板に向いてしまうのは確かにもったいない話だ。

この画廊では題名や制作年や画材を書いた紙を希望者に渡していた。それによると僕の好みは2009年制作の「Only After Dark」という作品で、深い眠りの底へと沈んでいく意識を思わせたので、寝室に向くのではないかと思ったりした。しかし、この印象は題名を知る前に感じたものの、題名を見て「我が意を得たり」という気分になる。絵画鑑賞って、別に、我が意を得たりとか得なかったり、という話じゃないんだけれど。

けれど。僕たちは言葉が想起するイメージから自由になれない。ならばせめて、まずは銘板を読まず「ノイズ」のない状態で作品を観たら、より自由な美術体験になるのではないか。表題が湧き立たせる着想とは、それから遊んでも遅くはない。これは同じことは音声解説にも思うけれど、「先に言葉で知りたい」という欲望は本当に抗いがたい。言葉への執着から、いちど自由になってみたい。

他には、このように同じ手法で制作する作家に対して画商として作風について提案することはあるのか?とも質問してみた。それによると、同じようなことを3年間続けるアーティストに対しては、芸術家としての成長のために新しい挑戦をしてみてはどうか、と助言することはあるそうだ。但し、より売り易くするための示唆は敢えてしないそうだ。

なお、画家に対してサラリーを提供することはなく、あくまでも販売手数料をベースとしたビジネスとのこと。

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MBA入試課題のジョークにまつわる偏見と真実 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/12/141512 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/12/141512#comments Fri, 12 Mar 2010 19:15:12 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1493

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MIT全体の学生が集まる学生会館を歩いていたら、掲示板に貼られた上図のようなチラシが目に留まった。題名は「スター・ウォーズと聖書」で、「スター・ウォーズの映画6作品に関連し、また基づいた楽しい聖書論議に参加しませんか?」と誘う。僕も中学校の聖書研究会で先生と「紅の豚」を観に行ったりもしたので人のことは言えないのだけれど、この学校ってやっぱりSF色が強い気がする。ちなみに、このとなりに貼られたチラシは、麻雀アニメと麻雀レッスンの誘い。そこで僕は、昨年夏に出回った、MBA入試課題にまつわるジョークを思いだす。これは偏見に満ちてはいるけれど、半年経って、一部に核心をつくものがある気がするのだ。

このジョークの出所はビジネスウィーク誌のインターネット掲示板らしいけれど、僕は知人を介してこのブログで知った。以下に一部を紹介。

ビジネススクール入試、本当のエッセイ課題


ハーヴァード: フォーチュン1000社のうち、どこのCEOになりますか? なぜその会社を選んだのですか?

ウォートン: フォーチュン1000社のうち、どこのCFOになりますか? なぜその会社を選んだのですか?

MIT: 「ロード・オブ・ザ・リング」の好きなキャラクターのアスキー・アートを書き、こんにちのビジネス・リーダーが「ロード・オブ・ザ・リング」から学ぶべき3つの教訓を説明しなさい。

スタンフォード: なぜ?(10万語ほどで)

ニュー・ヨーク大学: 投資銀行の仕事をしていてどれほど切実に休暇が必要だと思いましたか? なぜ卒業と同時に投資銀行に戻れると思うのですか?

タック: 林間学校を覚えていますか? 素晴らしかったでしょう? 21ヶ月間、林間学校をやってみたいと思いませんか? 小学5年生の林間学校で、それがどれほど良かったかを両親に書いた手紙を添付しなさい。

UCバークレー・ハース: あなたのようなヒッピーがビジネスで成功できると思うのはなぜですか? 「サステイナブル」と「グリーン」という語を最低でも2回使って回答しなさい。

出願準備に疲れた受験生が考えたジョークだろうから、関係者の皆様、どうぞ笑って流してください。

このジョークのMIT像はMITスローン校のイメージというよりもMIT全体のイメージなんだろうけれど、そう考えればSF色の強さは否めない。というか、存在自体がSF。スタンフォードのエッセイはテーマも分量もまさにその通り。タックの豊かな自然環境も嘘じゃない。ハース校はまた違うのだろうけれど、UCバークレー行った友人たちの顔を浮かべると、まぁ、そうだよなぁ。ピース!

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円周率の日は日本アニメとリーチ麻雀? http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/12/131722 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/12/131722#comments Fri, 12 Mar 2010 18:17:22 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1486

mahjong

「3月14日の円周率の日(π Day)に、おまいらの数学スキル使って日本式リーチ麻雀しようぜ」というメールがMITアニメ部から届く。初心者向けレッスンを含む4時間のセッションらしい。上図を挿入したメールには「ビギナーズ・ラックという有名な現象があるので、カオリのように国士無双をアガれるかも」という文句とともに、麻雀が認知症治療に有効だという記事まで紹介されていた。レッスンに先立ってアニメ「咲-Saki-」と「ムダヅモ無き改革」の一部を上映。また、「『アカギ』ファンには申し訳ないけれど、彼のようになるのは無理だ。彼は神がかっている。」という断り書きも。彼らの探究心に脱帽。

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クレイグ・モッド「iPad時代の書籍」 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/11/101943 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/11/101943#comments Thu, 11 Mar 2010 15:19:43 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1471

CraigMod1

MITプレスのツイッターで、あるブック・デザイナーが書いた「iPad時代の本」(Books in the age of the iPad)という記事を知る。クレイグ・モッド氏は記事で、出版コンテンツには「形式不問コンテンツ(Formless Content)」と「形式依存コンテンツ(Definite Content)」があると二分した上で、前者は「印刷をやめてデジタル化すべき」と提案。一方で、後者については印刷への選別が強まることで品質が高まることを予見しつつ、さらに、iPadが後者にも切り込むことを示唆。興味深い記事だったので備忘を兼ねて紹介したい。

「出版業界は低迷しキンドルの売上が上がる。本のロマン主義者たちは泣き濡れているが、いったい何が悲しいのか?」――記事の冒頭でモッド氏は問う。「読み捨てのペーパーバック、空港のペーパーバック、浜辺のペーパーバックがなくなるだろう。『読み捨ての本』という出版のクズがなくなる。形式やサステナビリティや保存性を考えずに印刷された本、引っ越しや大掃除で捨てられる本が、真っ先になくなるのだ。もう一度いう。清々するじゃないか。」

モッド氏の分類は次の通り。まず、形式不問コンテンツは内容がレイアウトから切り離されていて、他の形式に移植されても本質的な意味を失わない。ほとんどの小説やノンフィクションがこれに該当する。(下図参照)

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形式依存コンテンツはこれと反対で、画像や模式図やグラフを伴った文章、詩が該当する。他の形式に移植することができても、その方法によっては「意味」や「質」が変わってしまう。(下図参照)

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モッド氏は、読み難さやバッテリーなどの電子書籍の課題にも言及したうえで、しかし、「重要なのはそれらの苦情は文章が『意味を失っている』と言っているわけではないことだ」と指摘。続いて、技術の進化が紙と電子書籍の差を埋めるであろうことや、電子流通や軽さや検索性といった電子書籍ならではの特性が「すでに伝統的な印刷物への切り札になっている」という。

以上の議論を踏まえた上で、筆者は「形式不問コンテンツの印刷をやめてデジタル化し、よく吟味された形式依存コンテンツのみを印刷すべき」という処方箋を紹介。しかし、「iPadがこれを変える」という。

モッド氏は次のように続ける。コンピューター画面と違ってキンドルやiPhoneは読者に近く、読みやすい姿勢がとれる。さらに文字に触れられるため読書体験の親密さが増した。けれどもこれらは文字だけ(訳注:「主には」ということだろう)を扱っていたのに対し、iPadは違う。iPadは吟味されたレイアウトを表示するに十分な大きさと柔軟性がある。(下図参照)

CraigMod4

そのため、iPadは形式依存コンテンツにもデジタル化の道を開く、と著者は言う。また、興味深いのは、iPadにおいては「ページ」という概念にとらわれる必要がないため、新しいコンテンツのデザインが生まれることも示唆している。

筆者の結論は次の通り。まず、形式不問コンテンツはデジタル化され、形式依存コンテンツはiPadか印刷かに分かれる。今後印刷されるものは 1) 内容とともに物語を飾るべき物性を包含して、2) 形式と素材の使用に確信があり、3) 印刷の長所を引き出し、4) 後世に残すべきもの、になる。

CraigMod5

その結果として、今後の本は 1) 手にとると完全で確かな手応えがあり、2) 遠い記憶の図書館の匂いがして、3) 全てをデジタルで接する我々の子どもたちにも価値が伝わる何かとなり、4) 人々に印刷された本が思想と知識の彫刻たり得ることを気づかせるものになるだろう、とモッド氏はいう。

「それ以下のものはどれも、デジタル化の行進に踏みつけられ、すぐに忘れ去られるだろう。グッドバイ、読み捨ての本よ。ハロー、新しいキャンバス。」

これを読んで、モッド氏の明確な指摘によって僕自身の考えが整理されたばかりでなく、デジタル/アナログの別を問わずに同氏がブックデザインに注ぐ職人魂に心を打たれた。デジタル化すれば、お決まりのフォーマットに割いていた量産的ブックデザインの需要は消えるだろうけれど、一方で、内容によっては依然としてブックデザインという機能は必要になる。ある部分ではより高度な知識とセンスが要求される、ということもありそうだ。

出典: Craig Mod (craigmod.com)

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ロボットとメディア:SF、アニメ、トランスメディア、そしてテクノロジー http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/09/020247 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/09/020247#comments Tue, 09 Mar 2010 07:02:47 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1449

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3月4日、MITの比較メディア論の「ロボットとメディア:SF、アニメ、トランスメディア、そしてテクノロジー」というセッションに出席した。比較メディア論のイアン・コンドリー教授と、MITメディアラボでパーソナル・ロボット・グループを率いるシンシア・ブレアジール准教授とが登壇するセッション。発言要旨をメモがてら席上でツイートしていたら、@cabcabさんがトゥギャッターでその日のうちにまとめてくれた。ロボットをめぐるセッションの内容も刺激的ながら、図らずも、ツイッターを通じて人力のすごさも感じた瞬間。@cabcabさん、ありがとうございます。

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エキゾチシズムとフィギュアを超えて - アニメ映画「サマーウォーズ」プレミア http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/09/010659 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/09/010659#comments Tue, 09 Mar 2010 06:06:59 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1451

summer-wars

3月1日、MITで上映されたアニメ映画「サマーウォーズ」のニュー・イングランド地区プレミアに参加。細田守監督も来校し、大講堂での上映後、1時間あまり観客との対話に参加される。監督はさらに1時間以上もポスターへのサインなど観客の求めに応じ、ファンを喜ばせていた。その間、僕はプロデューサーの齋藤優一郎氏に話を伺う機会にも恵まれ、日本コンテンツの海外展開について貴重な示唆を得た。また、人と人とのつながりが、僕をキャリアの原風景へと立ち返らせてくれた。

このプレミアはMITの比較メディア論(Comparative Media Studies)とMIT/ハーバードのクール・ジャパン研究プロジェクト(MIT/Harvard Cool Japan Research Project)との共催。比較メディア論のイアン・コンドリー教授も、通訳兼モデレーターとして細田監督に並んで登壇。プレミアの様子はLilacさんのブログ記事「MITでアニメの研究してる人たちと「サマーウォーズ」を見た」に詳しい。

summer-wars2

実は当日僕はクオンツ投資の専門家であるジョン・デトア教授との夕食という先約があり、残念ながら作品自体は最後の4分の1ほどしか観れなかった。けれども、大講堂のドアをそろりと開けた瞬間に、僕はプレミアの空気に飲み込まれた。定員560人という講堂は満席で、床に座っている人もいた。そして観客たちは主人公たちが活躍すれば拍手を送り、敵が盛り返せば溜息をもらす。劇場はそもそもソーシャルな経験だけれど、そこにはライブ会場のようなバイブがあった。

クライマックスでは思わず目頭が熱くなる。それは途中から観てもなお伝わる物語の強さや画面から溢れる色彩の鮮やかさのためであり、また、日本の作品が観衆の視線を釘付けにしていることへの勝手な感慨のためでもあった。ましてや、その視線の先には日本の田舎の田園風景が広がっているのだ。質疑応答で、細田監督に「海外展開のために制作上意識した点はあるか」と伺った。すると「作品は商品ではなく公共的なもの。いい作品には普遍性がある。海外向けに作品を作ろうとすると多くは失敗する」という答えが返ってきた。

別の学生が「萌えアニメのニッチな市場をどう思うか」と尋ねると、「アニメ産業が観客を限定しすぎることで、アニメという技術がもつ可能性を生かせていない」と細田監督は言い、「観客から、監督が思ってもみなかったことを引き出す面白さ」があると話す。また、監督は物語の中心をなす田舎の家族と携帯電話のゲームサイトとについて、「インターネット上の交流は本物ではなく家族の交流こそが本物、という訳ではない。その両方を肯定したかった」という。この温かな肯定は通奏低音であり、またバーチャルとリアルそれぞれのクライマックスではファンファーレとして高らかに鳴っていた。

会場で質問をしたインド系と思しき学生は「映画を観て自分の家族を思い出しました」と感想を言う。「現地化」という小細工ではなく、人間の感情の普遍性とコミュニケーションの時代性が、この作品をして世界で賞を得るに至らしめたのだろう。表現手法としてのアニメがクール・ジャパンと呼ばれようと、あるいはそれがソフト・パワーを担わされようと、結局のところ、コンテンツにとって人間と時代とへの洞察を超える競争資源はないのだろうと再認識させられる。

これは欧米市場向け商品開発という短絡的な輸出主義でもなく、エキゾチシズムを売りにした民芸品商売でもない。子どもがオモチャを欲しがるような作品でもなければ、マニアがフィギュアに大金を注ぐような作品でもない。こんな風に作家性が前面に出て、それでいてエンターテイメントとして十二分に成立する本作のようなアニメが、是非もっともっと商業的にも成功して欲しい。いくら政策論を戦わせたところで、成功の事例ほど強く業界を突き動かすものはないだろうから。

プレミアのあとで細田監督と、僕がロサンゼルスで半年にわたり日夜お世話になったあるプロデューサーのことをお話する。彼はそれまで事業投資や製作投資の管理をしていた僕に、初めて実地のアニメ・ビジネスを教えて下さった恩師で、細田監督とは何作品も仕事をされている。あれから4年が経ったのかと思うと、感慨と焦りの入り混じる不思議な気分になる。日本のメディア/コンテンツ産業は大きく動いているし、これからもっと変わるだろう。バトンを受けるリレー走者の気持ちで、僕もまたそのスピードへと加速していきたい。

Credit: © 2009 NTV / Madhouse / Kadokawa Pictures

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ソーシャルTV – 第2回プレゼン資料 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/05/131416 http://www.thesyntaxerror.net/2010/03/05/131416#comments Fri, 05 Mar 2010 18:14:16 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1443

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「ソーシャルTV」プロジェクトのポスター第2案。他の学生のアイディアは、視聴中のTVを一定区域内で共有するとか、視聴者同士が映像や音声を共有して「一緒に観てる」感を出すとか、視聴環境に焦点を当てたものが多い。そこで今回僕は、TV番組の製作側に視聴者の反応をより強くフィードバックする、ビジネス環境の双方向性を取り上げてみた。生放送のTV通販チャネルの話では、注文状況を参照して、やや売れ残っている色のバッグを出演者に持たせたりすると言うので、「なにを今さら」な感もあるだろうけれど。ただし、現状の機械式視聴率調査の母数は小さく、また、「なぜ?」にリアルタイムで踏み込めていないのは確か。もちろん、「最大多数の最大幸福」がいい番組とは限らない。フィードバックをもとに、よりニッチを狙うのだって立派なマーケティング戦略だろう。

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ソーシャルTV - 第1回プレゼン資料 http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/25/025232 http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/25/025232#comments Thu, 25 Feb 2010 07:52:32 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1434

SocialTV022510

ソーシャルTV」初回プレゼンのポスター、前夜になってようやく作りました。3メートルの距離で(場合によっては)みんなで眺めるTVの画面に情報をこまごま盛り込むより、30センチの距離でひとりで集中して使うスマートフォン端末をインターフェイスにしたほうが各々のメディア特性に合う、というのが基本的な考え方です。3メートルと30センチというのは10フィートと1フットの直訳で、あくまでもコンセプトです。東京の僕の家のTV、3メートルも離れていないと思います(苦笑)。スマートフォンのかっこいいワードアート、画像出力すると黒塗りになっちゃうのか。残念。

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僕が死んだ日 http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/20/195251 http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/20/195251#comments Sun, 21 Feb 2010 00:52:51 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1427

Poplars
(Camille PissarroPoplars

夕暮れのなか図書館に向かいながら、iPodでジャスト・ジャックの「ザ・デイ・アイ・ダイド」を聴く。「僕が死んだ日は僕の人生で最高の日だった。僕の友人たちと子どもたちと妻に、全てはうまくいくよ、と伝えて欲しい」――。何度も聴いたはずのこの曲にふと心を奪われ、最後まで聴いてはRWボタンを押して繰り返す。そして、1月に履修したトーマス・マローン教授による分散型リーダーシップのワークショップを思い出した。そこでは自分の臨終がどのような情景であって欲しいか、弔辞はどのように語られて欲しいかを心に描き、そして、他の参加者たちと共有した。


僕の希望は、およそ次のようなものだった。まず、これは他の参加者にもほとんど共通していたけれど、妻と子どもたちと孫たちにいて欲しい。そして、病院の雰囲気と医療機器が嫌いなので、最期は郊外の自宅で迎えたい。ベッドのある部屋の大きな窓からは緑の木々を眺めていたい。そうそう、寒いのは苦手なので冬は避けて、そうだな、4月か5月くらいがいい――。教授に促される通りに椅子に深く腰掛け、目を閉じ、深呼吸をして自分の死に際を思う。

マローン教授があとで総括した通り、僕たちはこの体験を通じて、僕たちがそのために今まさに日々を捧げている職業的成功が、人生最後の瞬間においては最重要事項ってワケじゃないことに気づかされる。というか、ほとんど関係ない、って言ってもいいくらいだった。何を望んでもいい弔辞の言葉にあって、どれほど多く参加者が「偉大な経営者」と称されることよりも「良き家族のメンバー」であったと惜しまれたいと願ったことか。

こんな甘ったるい一般論を聞かされると僕は決まって眠たくなるというのに、フリーハンドで描いたはずの死にゆく僕は、まさにその甘さのなかで最後に目を閉じることを望んでいた。「個人の価値観を深く掘り下げれば掘り下げるほど、大抵の場合はより一般的なものに行き当たります」とマローン教授がいう。ゆえに、個人的な価値観に基づいたリーダーシップは、むしろそれに反した表層的なものよりも、人に強く訴えかける、と。

職業的成功の意味はむしろ、「僕の友人たちや子どもたちや妻に、全てはうまくいくよ、と伝えて欲しい」という言葉の裏書として集約されるのだろう。世の問題を解決するひとつの手法として、営利・非営利それぞれの事業がある。これらが効率的かつ永続的に発展するよう、少しでも寄与できたらいい。善き事業たちが回り続けるのであれば、「全てはうまくいくよ」なんて言っても強ち虚勢にはならないんじゃないかな。

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http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/11/211633 http://www.thesyntaxerror.net/2010/02/11/211633#comments Fri, 12 Feb 2010 02:16:33 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=1409

SocialTV

僕はMITのビジネス・スクール(スローン校)の1年生ですが、去る2月9日から、MITメディア・ラボの「ソーシャルTV」というプロジェクトに参加しています。プロジェクトの内容については後述しますが、「ソーシャルTV」の趣旨を鑑みて、折角なのでツイッターなどを通じて日本のネット・コミュニティとも意見交換したいと思っています。掌でTVが見られる携帯電話機が2,000万台以上も出回っている国を無視して「TVの未来」を語っていてはとんだお笑い種ですから! なお、僕自身にもそうですが、プロジェクトを通じた経済的利益や知的所有権は参加者に発生しません。どうぞ興味本位でおつきあいいただけたら幸いです。

さて、この「ソーシャルTV」プロジェクトの内容は下記の通りです。拙い訳で恐縮ですが、ウェブの講義要項をそっくりそのまま写しました。原文はこちらです。誤訳があればご指摘ください。ツイッター上ではハッシュタグ(#SocialTVJP)を使って意見交換させていただければと思います。目下、僕も2回の打ち合わせに参加した以外は特段のアイディアや情報を持ち合わせていません(ちょっとした仮説はありますが、それは追って書いてみます)。何か質問があればお気軽に@TheSyntaxErrorにお寄せください。こちらで担当教官のモンプチ博士とホルツマン氏に確認します。

最後はチームメイトとの議論と担当教官の判断によるので、みなさまとの議論をどこまでプロトタイプに反映できるかは分かりません。僕自身がそうであるように、結果よりも過程を楽しんでもらえたらと思います。また、この試みは僕の個人的な好奇心でやっていますので、MITや他の個人・団体がこれに責を負うものではなく、僕自身も本件から生じうる直接・間接の損害には責任を負いかねます。また、協賛企業等が商用化等に積極的な意向等を示した場合等、プロジェクト等の詳細等を共有等しかねる場合等もあります。悪しからずご了承ください。

それにしても、こういう「お断り」は書いている本人すらも(プロジェクト自体にはこれほど興奮していてさえも!)実に気分が萎えるもんですね。ちなみに、2月23日にポスターと実演の形でアイディアをプレゼンするので、当面はそれに向けてのブレストをご一緒させていただければと思います。それ以降は進捗を共有しながらみなさまのご意見を仰げればと思います。(2/11 21:59 EST追記) さて、プロジェクトの説明(拙訳)です:

概要

本講では、「デジタル技術は社会におけるTVの位置づけをどのように変えつつあるか」という問いをもとに、TVの流通について検討します。TVを社会的な 文脈に位置づける新しい技術について特に力点をおき、現在TV番組が流通しているさまざまな方法について体系的に調べます。本講の作業内容はチームでのプ ロジェクトとなり、最終的には各チームが新しい「ソーシャルTV」アプリケーションのプロトタイプを開発することになります。映像技術の基礎と課題から ユーザー・インターフェイス、コンテンツ消費からビジネスの事例に到るまで、「ソーシャルTV経験」のもつ様々な側面を研究します。

キーワード

TV、ソーシャル・ネットワーキング、ウィジェット、YouTube、Facebook、パーソナル・ビデオ・レコーダー(PVR)、IPTV

背景

どのTV番組を観るべきか議論したり、きょうだいや配偶者とリモコンを奪い合ったり、地元のスポーツ・チームを観戦して応援するために飲み屋に行ったこと のある人なら誰でも、TVを観ることはとても社会的な経験となりうることを知っているでしょう。TVのもともとの技術的なデザイン、番組編成、そしてビジ ネス・モデルはどれも、TVが社会的なメディアであることを前提としています。TVは個人的な視聴には高すぎ、数千の(数百万でなかったとして)人々が同 じ番組を同時に観るように設計されました。そして番組の制作費は広告モデルによって賄われ、広告モデルは大衆受けする番組を求めました。結果として、TV は文化的そして社会的な風景の一部をなすことになりました。

多くの場合、技術的な発展は、TVと社会的な中心というTVの機能とを分裂させる働きをしてきました。受像機の価格が下がることで家族のそれぞれが 自分の部屋へと姿を消しました。ケーブルTVや衛星放送は観るべきものの選択肢を増やし、視聴経験の共通性は弱まりました。そして、パーソナル・ビデオ・ レコーダー(PVR)は、同じ番組を同時に観ることから人々を解放しました。TVドラマを1話見逃した時は友達に続きを教わりたいものですから、 「結末は言わないで!」というのは水飲み場で映画がらみ話を遮るときにだけ言ったものでした。しかし今では、予想しない筋書きを台無しにしたくはないので、好きなTV番組のことでさえも往々にして話すのが憚られます。[訳注:録画手段が普及したので]友達は自分自身で追いつこうと考えている可能性が大い にありますから。

インターネットは、社会的な方向性と非社会的な方向性、という興味深い組み合わせでTVに影響を与えるようになりました。インターネット は、個別の画面へと向かう潮流を完全なものにし、視聴経験を孤立させました。その一方で、インターネットは、人々が距離的な近さというよりも共通の興味を もとに新しい社会的グループを形作るのを助け、メディアの製作と流通を民主化してより多くの人に発言の機会を与えました。そして、社会的な交流を電子的に 支えるシステムを作るにあたってはインターネットが身近です。おそらく最も重要なことに、YouTubeやiTunes、Amazon UnboxやHuluなどの正規のインターネットTVシステムが持つ新規性や人気ゆえに、伝統的なTV業界は彼ら自身のプラットフォームをもとにしてイン タラクションや社会貢献の新しいモデルを検討することを強いられています。最近まで、TV業界は、技術がもたらした変化に対して著しく抵抗力がありまし た。しかし、大規模な崩壊の気配は漂っています。TVの未来を創るべく取り組みましょう。

プロジェクト

プロジェクトの目的は、Javaスクリプトによる「ソーシャルTV」のアプリケーションを、PCやスマートフォンに、あるいはセット・トップ・ボックス(STB)にでさえも、導入することです。この判断が望ましいのは、大抵のTVのミドルウェアがJavaをサポートしており、また、大抵の「ソーシャルTV」アプリケーションが「クラウド」上にある他のウェブ・アプリケーションとの接続を孕むからです。各チームは3つの案を提案することになります。チーム内の議論の後で教官が選ぶ1つの案については、簡単なモックアップとプロトタイプの開発へと進みます。残りの2つの案は、第1案が複雑になりすぎたり失敗したりした場合のための予備となります。プロトタイプを実用版に移植する必要はありませんが、興味を持った協賛企業に見せる幾つかの有望な案については最終的に実用版に移植される可能性があります。

Description:

In this course we will examine television distribution asking the questionhow is digital technology changing they way television fits into society. The course will take a systemic look at the various ways television is currently distributed with a particular emphasis on emerging technologies that place television in a social context.  The classwork for the course will be team and project focused, culminating in each team developing a prototype of a new social TV application. We will explore the multiple facets of the social TV experience from video technology fundamentals and challenges, to user interfaces, content consumption and business cases.

Keywords:

Television, Social Networking, Widgets, YouTube, Facebook, PVR, IPTV

Background:

Anyone who has argued over what television program to watch, wrestled with a sibling or spouse for the remote control, or gone to a pub to watch and support their local sports team knows that television viewing can be a highly social experience.  The original technological design, content programming, and business model of television relied on it being a social medium: TV’s were too expensive to be personal, they were designed for thousands (if not millions) of people to be watching the same program at the same time, and the programing was funded through an advertising model that demanded shows be popular to the masses, hence becoming part of the cultural and social landscape.

For the most part, technological advances have served to drive a wedge between television and its function as a social center.  Decreased costs in receivers have made it possible for each family member to disappear into their own room; cable and satellite have provided so many choices of what to watch that commonality of experience is weakened; and the personal video recorder (PVR) has freed people who watch the same show from watching it at the same time. No spoilers, please!used only to shut down movie-related conversation around the water cooler-if you missed an episode of a TV show, you wanted to be caught up by your mates-but now we often ca talk about our favorite TV shows either for fear of ruining an unexpected plot twist.  Chances are our friends are planning on catching up first hand.

The Internet brings to bear on TV a curious combination of social and anti-social forces.  It completes the trend toward individual screens and isolated viewing experiences.  On the other hand, it helps people form new social groups based on shared interests rather than proximity, democratizes media production and distribution giving many more people a voice, and is popular for building systems that electronically support social interactions.  Perhaps most importantly, the novelty and popularity of legitimate internet television systems, such as YouTube, iTunes, Amazon Unbox, Hulu, and others are forcing traditional television providers to consider new models for interaction and social services based on their platforms.   Up until recently, the television industry has proved remarkably resilient to change brought about by technology, but the scent of large-scale disruption is in the air.  Let’s work on inventing its future.

Project:

The project is to implement a social TV application on a PC, smartphone or even STB with JavaScript. This is a good choice as most TV middleware support Javascript and most Social TV application involve connecting to some web application inthe cloud Each team will propose 3 ideas: one (chosen by the instructors after discussion with the team) will lead to a quick mock-up and prototype. The 2 others can be used as fall back solutions if the first choice turn to be too complicated or fails. There will be no requirement to port the prototypes to a commercial platform but eventually this could happen with a limited set of promising ideas that could be presented to interested sponsors.