RSS | 岡部文彦サイト 岡部研究所
tag:www.www.okabec.com,2009-03-29:/rss//4
2022-01-05T01:51:37Z
Movable Type Pro 6.8.5
ネットの複雑。世の中の複雑。
tag:www.okabec.com,2022:/blog//1.1488
2022-01-05T01:07:05Z
2022-01-05T01:51:37Z
新年明けましたけれども。
なんか、ウイルス?だかなんだか、このサイトがどこかに乗っ取られてしまったみたいで、
いっとき、ログインもできなくなり、消滅の危機に至った。
しかし、PCに詳しい友人にお願いして、どーにか過去のデータも残した状態で直してもらうことができた。
どうにか復活したのだけど、きっちり元通りには戻っていないけれど。。。
これを機にリニューアルした方がいいのかな? もう古臭いサイトになっちゃってるしな。
しかしインターネット。とても便利な分なのか?やけに意味わからないお金もかかるし、
「謎の乗っ取られ」なんて、意味がわからなさすぎる。
意味がわからない、無知の部分ってのは、大体だまされちゃうことが多く、お金がかかる。
「賢い」
という才能は、
その「ダマされない」ための唯一の防御法なんじゃないのか?なんて思ってしまうのも、バカの証拠なのか?
世の中の賢い人の稼ぎ方は、"守らなければいけない"マニュアルを複雑にさせて、バカな人たちをややこしくさせて、
正当なふりをして結局はダマし、お金を吸い取っている気がしてならない。
俺はいつも吸い取られちゃっている。どんだけ余計なお金を使ってきたのか?
かといって、ダマされないために、お勉強する気にはどうしても成れないから一生ダマされる立場は変わらないのかなあ。。。。
とりあえずこれは、復活第一回目のお試しつぶやきということで。。私なりのどーでもいいツイートでありました。
響 hibi-ki
tag:www.okabec.com,2021:/news//2.1487
2021-11-26T10:51:31Z
2021-11-26T11:01:57Z
響(hibi-ki)という岐阜の林業会社がお金を出して運営しているwebマガジン?
の取材というか?ページをいただいて、文章を書く。書いてもらう?
的な記事が出ました。
hibi-ki
こちらから飛べます。
自分がなぜ林業を始めたのか?なんてことを紹介してもらっていますが、
ちと真面目な感じだし、ちょっと前の取材記事なので、心境も結構変わってしまっているのだけれど。。
興味がレバぜひ見てみてちょんまげ。
写真は使い捨てカメラを使って撮影したんだけど、いまいち気に入っておりません。
ふつーにアイフォンで良かったんじゃないかしら?
しかし、編集者の意図なんで合わせてみましたが。
やっぱり古臭い画像がなんとも言えないし、
他の取材写真が同一ならいいんだけど、
普通にデジタルだから、
浮いちゃって見えるんだよなあ。
自由って
tag:www.okabec.com,2021:/blog//1.1482
2021-09-12T01:04:15Z
2021-12-25T00:28:37Z
2日前に家に入ってきたカマキリのオス。
さっきお風呂に入りながら窓の方を見てみたならば、網戸に引っかかって
お外を眺めているご様子なカマキリくん。
お腹減ってるんじゃないの?
きっと外の方が、食べ物もいっぱいあるだろうし、
メスに食われちゃうかもしれないけれど、自由で楽しいだろうなきっと。
なんて、足を怪我してビッコ引いてうまく歩けないことを理由に、 家に引きこもって何もできないでいる 我ながらに、ふとカマキリの想いを感じてしまった。
外は楽しいよな。自由で。
足の親指を怪我しただけで、こんなにも不自由になるとは?!
網戸をそっと開けておいた。
大事は身体 身体な大事
tag:www.okabec.com,2021:/blog//1.1480
2021-09-02T08:32:50Z
2021-09-02T09:04:22Z
やっちまった。とうとうやっちまった。
とうとうというには早すぎるのかもしれないけれどやっちまったものはやっちまった。
やった直後は興奮のためなのか?「まあ大丈夫だべ」
なんて、たかをくくっていたが、
落ち着いてくればくるほどに、だんだんと、
後々が大変なことがわかってきた。
せっかく組み立てた9月のスケジュールも半分以上がパアだ。
やっちまった。
チェンソーで足先を切ってしまっただけで、こんなにも大変なことになる
とは思ってもみなかった。
まず、刃物ではないから、チェーンな訳なので、傷口がぐちゃぐちゃである。
縫えない傷口なわけである。左足の親指の根元が削れちゃってしまった。
イコール治りが遅いということ。イコール仕事ができないということ。
五体満足ってことはよほどに贅沢であるなと思えるカラダ。
左の親指が痛いだけで、治るまで、大した山暮らしの作業は大体が
あまりできなくなってしまった。辛抱の9月。
ということが麻酔が切れたことで、やっとわかったその日の夜。
改めて身体を大事にしないといけないなと
痛感。
一年
tag:www.okabec.com,2021:/blog//1.1479
2021-06-03T02:57:07Z
2021-06-05T04:05:49Z
憧れの
『山』
に引っ越してきて、ちょうど一年が経った。
詳しく言えば、2020年5月20日にこちらに向かって東北道を
突っ走ってきたのだが、コロナ禍が始まったばっかりのタイミングだったので、
実家に4日居て待機、親とケンカして24日の夜に岩泉の山奥にやってきて
約1週間待機。
岩手に入ってから、2週間目にして、やっと外に出て活動を開始できたのがちょうど、
昨年の今日ってわけだ。
なんというか、不思議な一年だった。
今まででは考えられないような生活をして生きているのがなんとも不思議で。。。。
東京から岩手の山奥に移住したってだけでこうも違うのか?!
日常が?!いや常識そのものが?!
いや、その前に
他の人のブログやSNSの投稿を見ても、同じように「2020年は怒涛の日々だった....」
的な内容の人が多いかと思うが、コロナ禍によって確かに激変した。
世界中の人誰もかれもが。
そんなタイミングで俺は山奥にやって来てしまったんだなあ。。。。
とも思ってもみたりするけれど、。
てか、東京で暮らして来たこと自体が、なんか浮ついているというか?
遠い過去だったような気もしたりして、ほんと、変で不思議な気分だ。
とにかく時間のペースが違うし、四季も全然違う。同じ日本なのにこうも違うのか?
俺にとっては、26年ぶりの岩手の四季、を今堪能しているわけで、
やはり懐かしさが混じる。
雪解けは気候変動のせいか?思った以上に早いけれど、
雪から頭を出すフキノトウを見て、
春を感じられたことはとても嬉しい再会であった。
カッコーの鳴き声も聞けたし。(聞きたかったのよ!こののどかな鳴き声が)
子供の頃の記憶に残っている、
岩手の田園風景や、カエルの鳴き声、ヒグラシの鳴く音、
夜風の涼しさなんかを身に沁みて
味わえていることが何よりも嬉しい。(途中)
はっぴいえんど に痺れちゃって
tag:www.okabec.com,2021:/blog//1.1477
2021-04-29T06:06:20Z
2021-04-29T07:16:14Z
雨なもんで、だらだらと、午後の時間、
ユーチューブでも流して昼寝を仕込んでみようと試みた。
すると画面からは、はっぴいえんど と出てきて、思わずポチって観てみた。
https://youtu.be/LSa3p4W0ZnA
最高だ!冒頭からギュインと引き込まれて、昼寝なんてすっぽかして夢中で観てしまった。
つ〜か、なんで、はっぴいえんどが好きになったか?
というと、当時の時点で、唯一無二なことを作り出した人たちだから。
しかも4人それぞれの個性もすごいバンド。
音楽のことは詳しくないが、自分にだって理解できた、他には無いことを作り出した日本五、六区の先駆けとか言われているが、それだけじゃ治らない人たちなんだろうと思う。研究に研究を重ねて、センスをぶつけあって作られた曲は、歌詞だけでもグッとくるのに、音もひたすらかっこいい。
そんな人たちがまたこの番組をきっかけに再開して話をしている。
日本は、外国の真似ばかりしているのは、島国上、必要でもあるし、仕方のない文化の形成なのかもしれないが、
その中ででも、アメリカの音楽に英気響を受けつつも、日本人らしさ、オリジナル、唯一無二を作り上げるということはなかなか
できることではないかと思う。
俺もそんな人になりたいなあという憧れで、今も生きているんだったなあなんて、少し暑くなり、久々にぽちぽちと、パソコンで文章を書いてみた。。
真似から始まったとしても、他の誰もやっていないようなことをやって生き続けて生きたいな。
なんてふと思った。
しかし、風街ろまんは 東京オリンピック以前の東京の風景だって話はびっくり。2020年のオリンピック開催のためにも、ありえないほどの金を使い、決まった翌年から東京大改造が始まった。三陸岩手は、コンクリートの味気のない町で工事完了みたいな空気感だが以前。ほんとオリンピックってどーなんだかなあ!なんて改めて思ってしまった。日本の風景を変えてしまうのがオリンピックというイベント。俺はやっぱり、日本らしい風景、景色を今からでも取り戻す町スタイリングに勤しみたい。自分が住んでいる集落だけでも。。。死ぬまでに。
SOTOKEN 卒業 (髙木)完 !
tag:www.okabec.com,2021:/news//2.1475
2021-03-24T22:39:42Z
2021-03-24T23:00:55Z
ついに、10年続けてきた?(始めはいつだったんだろう?2009年だったかなあ?)
アウトドアファッションマガジン『GOOUT』の中で
外遊び研究所として2Pから始まり、 通称"SOTOKEN"(鵜飼さんが名付けた)っつう名前に変えて7Pに変わり、作り続けてきた連載が3月末に出る号で終わりと相成りました。
柳の木を持って卒業式らしくw
まさに卒業式なタイミングにぴったりだし、気分的にもホッとしている部分もありつつ、やっぱりちょっぴり寂しくなるのかなあ?スタイリストとしてアシスタントから数えると、およそ22の時からだから、約23年間メディアという場で、出る人のスタイリングサポートをしたり、自らスタイリングをお披露目したり、何かを発信し続けてきたわけだけれども.....。
これで自分は一切メディアという世界から離れることになって、
結局は安心しているのだと思います。きっとw。ま、今は誰でも手元にメディアは持っているからな。
なので、ほそぼそとやってきた、このブログででも、引き続き、
『外遊び研究所』を続けていきたいと思っております。
今の気分はどっちかっていうと、山暮らし研究にはまっているので、
『山暮らし研究所 オカベスタイルラボ』
かな?
どうぞよろしくです。って、一体このサイトをどんだけの人が見てるんだろう?
いねーだろうな苦笑。
行き当たりばったり
tag:www.okabec.com,2020:/news//2.1474
2020-09-30T10:56:05Z
2020-09-30T11:02:15Z
ミズノさんから取材受けました。ライターの方がとても上手な取材で、下手くそに話し方なのに、意味をよく理解してくれているよくまとまった内容になっていて嬉しかったです。
山のことを語れる立場ではないが話す事はできる
tag:www.okabec.com,2020:/news//2.1473
2020-09-20T21:16:04Z
2020-09-20T22:13:48Z
テイメンギンザ という生地の大会社
帝人フロンティアがやっているプロジェクトのウェブサイトにて取材を受けました。
はっきり言って、このブランドのこともよくわかっていないし、天下の生地メーカー帝人が、地球環境を守るために何がしたいのか?パタゴ二アみたいに明確ではないし、そもそも、山暮らしを始めたばかりの自分が、地球環境に対して何かを語れる立場
ではないのだけれど........。
3ヶ月で感じたことを話す事はできるかなあ?と思って臨んだ取材。
地球環境については、これからもっともっと日本の山を守るための、山守になるための
経験が必要になってくる。
今、習っている先生も話して頂いたのだけれど、
山には木が生えていて、その木(植物)は二酸化炭素を吸って酸素を出す。
人間が生きていく上で最も必要なのは酸素。
地球上の全ての生物が必要としている、酸素、水。
小さな島国でも、日本が誇る森林は地球上でもとても重要な役割を
果たしているのだそうだ。
その山を守るのは林業会社ではなく、山守だということを知った。
そんな山守(林家(リンカ)になることが大事。
「今若者が、簡単に山を買っては、管理できないから即転売」
なんて話を奥さんから聞いた。その、山を管理できる、
若者がなぜ山を買ったのか知らないけれど、
その買った人がやりたい理想のキャンプ?なのか山暮らし?を
したいのならば必要なのが、林業であって、自伐型の林業が理想的な技術
である事は間違いない。
自分は山でキャンプがしたいために山が欲しいわけではないけれど、
単純に、今更に激減する日本の山守になって森林を維持したいってだけな話で。。
とりあえずなげえ。相変わらずロング文章になっちまってる。写真 杉崎勝己
山暮らし研究者?ってなにw?
tag:www.okabec.com,2020:/news//2.1472
2020-08-22T10:05:38Z
2020-08-25T11:38:28Z
先日いきなり。取材の申し込みがあって、J-WAVE に出ることに。
で、いきなり、今日お昼に放映。。
今時なので、RADIKO というサイトでも聴き直せます。
http://radiko.jp/#!/ts/FMJ/20200822100000
あと、メトロミニッツ という東京の地下鉄の冊子にも出てま〜っす。
養老孟司
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1471
2020-08-07T09:26:30Z
2022-01-24T12:58:01Z
もう養老先生のいうことに全て答えが出ている。
自然とはどういうことなのか?
理解していれば、自ずと、こんな状況でもどうやって過ごせば良いのか?
解ると思う。
https://ameblo.jp/sodaseki/entry-12535084707.html
ジャミロクアイも似たようなこと言ってる。
林業ってなに?
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1470
2020-08-06T10:39:34Z
2020-08-06T22:57:35Z
林業に興味を持ったきっかけ。。。
ひねくれ者の俺的には「林業従事者が今すごく不足している」
なんて情報を知ったからってことだけといえばことだけなんだけれども。。
あまり人気のない職業に転職したいって気持ちもあるにはあった。
真面目にいえば、趣味となった渓流釣りに行きまくり、関東近県の渓流エリア
に行くと、山が荒れてて(放置人工林)川にも影響が出てきてしまっていることを
間近に視て感じたからってこともでかい。
一昨年あたりから、庭師のお手伝いをやるようになったんだけど、
外の現場で働くのはとてもいいなあ!と思いつつも、
庭師の剪定や庭造りの技術も素晴らしいなあ!なんて思いつつも、
都会的なその庭師仕事に対して、思いっきり魅力を感じることはできなかった。
ならば、マジで自然つーか、山自体を職場にできる仕事。
林業しかねえじゃん!となった。
しかーし、林業。日本国内では、一番死ぬ確率の高い危ない職業&体力的にもハード
の割に、お給料も安い。。から人気のない仕事。。
と思われていたみたいずっと。
でも今の若者は?日本の野山の資源を活かした職業に興味があるのか?
今の地球の環境問題の観点からそういう目線に行っているのか?
林業家を目指す若者が増えつつあるのだそうだ。
とてもいいことだと思った。今の若者の考え方、思いを聞いてみたい。
俺にも通じる部分があるのだろうか?
林業。
自分の国の、その市町村の、集落の、そこにある資源(水とか樹木とか、石とか鉄とか)
を大切に見守りながらも活用して、静かに暮らして生きたい。
何つってるけど、マジでそう想って願っている。
コロナで、身動き取れなくなってしまっているのは人間だけ。
そんな不自然な状況も踏まえ、これから、地元だけででも経済が
小さく回って行くことができるよう(関係人口)
な環境がとても大切かと思う。観光で回る経済に頼らないで、そこの土地で生きて行く術を
先人たちのような暮らしに戻して行くこともとても重要かと思う。
そのためにも、地元の資源を生かした稼業がこれからは良いような気がした。
なんつって、来て視て働きつつ、少しずつ実感している最中である。
どちらにしても一人ではできないこと。。いろんな人がそう想って、
考えを改めていかないとそんな理想は夢でしかない。
その一つの方法論の中に、自伐型林業があるのだと信じてやまない。
自伐型って?
林業
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1469
2020-08-05T14:50:08Z
2020-08-06T10:39:26Z
地域おこし協力隊として、林業を学んでいる真っ最中。
いろんな資格が必要で、眠たい座学も受けて、ビミョーな実技も受けて、
国の定めた資格を取得しなければ、危険で危ないお仕事をやってはいけないらしーから、
それに右習えしなければいけないのだが、実際に現場で林業をお手伝いしてみると、
その資格を取得すること自体が億劫だなあと思えてしまうのだ......。
たまにはお勉強も必要!とばかりに、今必死で研修というやつのスケジュールに
しがみついて、受講をしようと計画を練っているのだ。。。。
が、コロナのためなのか?その研修が今 非ジョーに人気らしく、
中々応募しても"人気ミュージシャンのライブばり"にチケットが入手できないのだ。
で、修了証(資格)がもらえない。
しかし、林業のお仕事を振ってくれるお方と知り合えたおかげで、
もう現場で働いて木を伐ったり、刈り払い機で下草刈りをしたり。。。
すでにできている。その方の寛大な応対のおかげなのだけど。。。
(多分本来は資格がないといけないんだと思う)
で、マジで思ったことは、現場で体感するのが一番身体が覚えて勉強になるということだ。
(当たり前か?!)
はじめにチェンソー講習を頭ごなしに受けたって、全然よくわかんないし、
もちろん技術は伴わないし危ない。でもその資格(修了証)さえお金払って時間を費やせて
もらえればばばば、、、
誰だって、チェンソーを操れる「資格者」と成れるわけで。。
そこに必要な実践(危なくない安全な)技術は別に伴わないってことをいくつかの
研修を受けて、すげえ感じた。
とりあえず取得しとこ!ってヒトばかりで、本気で取得したい人が受けられないのだ。
あれ?話逸れちゃったなー。
要は、資格ってなに?ってこと。それ持ってる必要あんのか?ってことだ!
国が定めることによって、その資格を持っているやつは仕事ができるっつーだけで、
他に何の取り柄があんだよ?って思ってしまっても仕方ない。
会社が社員を雇うためにはその資格が必要。保険とか、何か事故があった時のための
ハンコ的な役割しか果たさないような気もするが。。
そもそもハンコって何だよ?そんなに偉いのかお前?
さらに話が逸れたわわわわわわ。
俺なりに、危険な目にも遭いながら、実践できているおかげで、
下手なりにチェンソーで伐倒もできる様には慣れたし、
刈り払い機も操れる様に慣れた。
これで、バックホー(ユンボまたはショベルカー)の操作が出来るようになれば、
立派な林業家に成れる!
なんて思ったら、木を伐り、運び、木材や何かの資源に活用できるように成るためには
まだまだ他にもっとたくさん必要な資格があるらしいことを今日知った。ガーン。
なんて大変なんだ!資格も取得するのに金がかかるし。
取得しても、その機械やらを所有していない限り、技術は進歩しないしさ。
やはり、会社に入るべきか?
いやだ。とは思わないけれど、会社で技術を習得するのにも、結構時間が
かかってしまいそうだ。
そんな時に知った(さらに知った)自伐型というスタイル
に改めて理想形があると信じ始めている。
なぜ林業に興味を持ったかというと。。。。
眠くなってきたので、寝ることにする。
営業所
tag:www.okabec.com,2020:/news//2.1464
2020-07-31T06:04:57Z
2020-08-05T14:13:11Z
オカベスタイルラボ
なんてカッコつけて命名したけれど、
元々はこのサイトの名の通り、「岡部研究所」
自分大好き自分のことばかり考えている自分研究所であった。
なんか会社を持つ とかに憧れただけで、ただ単に名付けた
個人事業主なだけなんだけれども。
そんなオカベスタイルラボは一応、今年で20年となりました。
以前はスタイリストとして活動していたおかげで、
このサイトにもポートフォリオなんて、スタイリングの写真はあるけれど今は
もう蜘蛛の巣がかかっているよーな状態。
完全に止めました。辞めました。
これからは、岩手で山暮らしのスタイリングをしていきたいと思います。なんつって。
一応、自分のお仕事は、
農園芸作業着の開発販売。「HARVESTA!HABICOL」
アウトドアウエアブランドの企画「Reft」
Webショップの運営「ホームセンターバリカンズ」
これに地域おこし協力隊が加わり、4つのお仕事をやっているわけであります。
その営業所が岩手に移ったっつーことで。
今まで目黒に構えてた時は、作業場つってたんだけど、今はなんとなく、
営業所って響きが馴染むんです。
「オカベスタイルラボ岩手営業所」
まだ東京に未練があるのでしょうか?自分。。。
自然ってなに?
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1462
2020-07-28T05:23:23Z
2020-07-28T05:40:20Z
自然ってなんなのか?
いろんなところで、遊んで来て、暮らして来て、みて見て視て来て
自分なりにはよくわかったつもりだ。
その自然ってなにか?をよく理解していない限り、
これから時代、生き抜いていくことはできないんじゃないか?
と思ってしまうのは俺だけだろうか?
自然 ってなに?
うちの子供もわかってるんだろうか?
どうやったら上手いこと理解してもらえるんだろうか?
リアルどうぶつの森の時代
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1461
2020-07-25T22:55:00Z
2020-09-13T22:58:37Z
都会だって地方だって、とっくに気がついていたことなんだろうけれど、
あまり何にも考えて来ないでいた。というか?身の回り先輩たちばかりと
接して来たからか?ご近所付き合いのほぼないマンション暮らしだったからか?
自分の親の様子しか解っていなかった。。。。
実際、過疎地域に足を踏みこんでみて、高齢化の問題がより深刻だとわかってきた。
製材所で働いてみて、今の働き手(60オーバー)がいなくなりそうな
いろんな工場や会社、農家などがいっぱいありそうだってこと。
高齢化が大問題化している『林業』の世界で働きたい!
と思うようになったのだけど。。。その川下にある、製材所もしかり、
大変だってことは、お手伝いしたことでやっとわかった。
先日も、住み始めた町のとある製材所のお手伝いに行ってきたんだけれど。。
工場長的立場のおじいさんは、膝にサポーターをつけていて
ぎこちなく歩いて作業してた。先月は元気だったのに。
仕事中に痛めてしまったみたいで。。昨日行ったら、
まともに歩くことができないでいた。まじかー.....。
でもその大先輩が機械回してくれないと、製材の仕事も回らないってことは
お手伝いレベルでもわかったことで。。。
この人の技術が継承されないと、この工場はどうなってしまうんだろうか?
なんて考えながら、黙々と木材を加工し続けていた。
他の従業員って言っても、3人で50オーバーもしかしたら60過ぎ?!
男性2人、女性1人、その人たちとはあまり関わらない、50過ぎのおじさんが、
運搬&管理を担当していて、あまり仲が良さそうではなかったのも気になった。
社長も現場で働いてはいるが、工場長との確執?というか、仲が良く
みんなで働いているという雰囲気は感じられない。
俺なんかに何かできるだろうか?
なんて思ってみたけれど、ただ渡された仕事をこなすことしかできない自分。
だから、手伝い程度に参加させてもらっている俺に何ができるいか?
余計なお世話でしかできないだろう。
ここで働くことを決め、担い手になる他ないのかなとも考え込んでしまった。
少しだけ。。
実際それが理想なのかもしれないが、俺は林業を学ぶために移住したと
決めているからそんな簡単に口が出せる立場ではない。
しかし、日本の技術ある高齢労働者が、あといくつになるまで働けるのか?
その担い手が激減している、またはいなくって、
技術を継承されないまま廃業。なんて工場がどんどんいろんなところで
増えていってしまっているんだということがよ〜く分かった。
すでに廃墟化している工場が町内にはいくつもある。
空き家問題と一緒だ。
日本の自給率はさらに下がっちまうんじゃないか?
なんて思わされてしまった。ただでさえ低いのに。
東京で、コロナのために家でゴロゴロ自粛していた2ヶ月半。
動画ばかりみて、子供らは"どうぶつの森"ばかりやって。。。。
コロナ関係なくても、適当に仕事して、適当に稼いで、適当に遊んで、
なんかしっくり来ていない暇な時間があまりにも長かった。
俺の生活。。くすぶっているなあっ なんて感じながらも
あのまま都会生活を続けていたならば、俺はもっと腐っていただろうと思う。
あくまでも俺の性格上の話。。。。
そんな自粛生活をし続けているならば、早く動いて、こういう人たちを
少しでも早くからお手伝いできていれば
ちょっとでもお役に立てたのかなあ?よかったのかなあ?
なんて思ってみたりもした。
今やっとここに来れたから思えること。
来たばっかりの俺が言える立場ではない。
しかし、遠慮なく放っちまうならば、
ただでさえ余っている仕事、必要なの?と思えるインドアな仕事をこなしている
都会(決して東京ばかりではなく)に住んでいる人たちこそ、
今なら地域おこし協力隊なんてプロジェクトもあるわけだから、
移住しやすい環境下にある。
各都道府県や市町村、過疎地に引っ越して、地産地消ができる仕事に就いて
技術ある高齢者の担い手になれたなら、日本も外交しなくても昔暮らしのように
自国のみで食っていけるんじゃないのかな?
都会の便利な仕事で小金稼ぐよりも、そんな大先輩が築いていた仕事
(あくまで地産地消に結びつく仕事のみ)
はいっぱいあるみたいだし。
そういう必要で自給という意味で、
重要な生業を担っていかないといけない最後の時がやって来ちゃったんだと思う。
コロナがきっかけを作ってくれたのかもしれない。
まじ都会(東京ばかりではない。地方都市含めて)でくすぶって生きてるならば、
今からでも、地域おこし協力隊なんてもの使えば、
結構簡単に移住もできちゃうのが今な訳だから、
過疎化された地方の、自国内で自給していくためには
残していくべき生業的仕事にシフトチェンジして、
高齢者からバトンタッチさせてもらって、今の若者の感性で
日本国内の自給を増やしていくことは、将来の自分ら、子供らのためにも
とっても重要な新たな日本の生き方なんじゃねえのかなと。
新しい江戸時代的鎖国的暮らしとでも言おうか?
"どうぶつの森"の世界をリアルにやるべき時が来たってことだとも思ったり。。。
それもコロナが教えてくれたって思ったり。。
うちの子供も、もう進学したくなければ、しなくていいから、どこかの田舎で
身体使って働く方がもっと豊かに暮らして生きてけるのかとも思っちまう。
つーか、まじでこれから、いかに身体使って働くか?ってことが大切かと。
小さな製材所でお手伝いをしながらも、思ってしまった。
行動 実践 体感
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1458
2020-07-13T23:18:27Z
2020-09-13T22:37:00Z
硬い言葉だな。。
先日、バックホー(ユンボ)研修に参加した時のこと。
生徒は6人。その中でも自分よりも年齢が上の方がお一人だけ混じっていた。
そのお方と接しているうちに彼の素性が分かってきた。
農業高校で、林業を教えていた学校の先生。
卒業した林業に携わる元生徒から、色々突っ込まれたり、
「小馬鹿にされたんだ」って笑いながらネタとして話されてて、
退職後に、自ら山を購入し、林業に挑戦して、キノコを育てたり、森を有効活用するために、作業道作りの研修に"生徒"に戻って参加してきた人生の先輩であった。
要は、学校で生徒たちに座学ばかりを教えてきたけれど、
現場をよく知らなかったってことで、
生徒たちから突っ込まれて「じゃあやってみるぞ!」と。
退職後に。以前から思っていたことなのかもしれない。
それで、自ら動いて、"実践"して"体感"している今現在。
会員を募り、自分の山で、みんなで山の活用を楽しむように実践している元教師。
そんな話を聞いていて、少し胸が熱くなった。
60歳を迎えたおじさん先生が、今積極的に行動しているわけだ。
これからは、どんな年齢であっても尚更、行動&実践&体感している人だけが
生き残っていく人間になっていくんだと疑ってやまない。
自分が体感したことならば、自信を持って人にも伝えられるはず。
つーか体感 がまじでこれから重要!
尚更ネット社会なわけだから、ネットで調べてわかりきっているっていう
頭でっかちが一番ダサいと思う。
うちの息子しかり、これからの子供達は、スマホや、インターネットで頭ばかり
成長させてちゃ、現実問題暮らして行けなくなる。
マジでそう思うから、自分でそれを体感するために、移住して来たようなもんだ。
佇まいとは?
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1457
2020-07-04T13:08:27Z
2020-07-12T13:38:56Z
「佇まい」 なんて自分でもよく文章を書くときに使ってしまう。
最近では『日本ボロ宿紀行』なんてブログ本がドラマになっちゃうくらいの勢いで、
その「佇まい」ってのは、風景の雰囲気であって、特に、建物の風情に使われる言葉?
なのかな?
昭和っぽい建物
とか、
木材の朽ちた感じ
とか
道端に生えている花が適当な配置で地面から生えている様
とか?
そんなのを視て、あ〜と感じ入ったときに言いたくなる言葉。
今日は宮古にある古い銭湯の天井を見ていて、その朽ちた感じに
いい佇まいだな〜とボケ〜っと眺めていた。
ふと、ブログに載せた養老孟司のユーチューブを思い出す。
養老さんが言っていた、自然についての定義に繋がっている気がした。
決して、綺麗ではないその天井のカビだとか、汚れ?を見ていて、
いいなあと思った理由は、自然だからだ。
時が経って、本来なら清潔感ある綺麗に磨かれた天井にしたいであろう
店主の気持ちも察するが、その、なかなか改修出来なくって、
放っておいてしまっている様に良さと趣を感じた訳だ。
時の流れも感じる、いい具合の汚れが逆に
「自然」を感じさせてくれた。
要は、「自然」とは「中立にあるもの」と言っている養老孟司の言葉の通り、
人が作った不自然なもの(人工物)と自然の間と言ったら良いのか?
その人工物の自然の有り様が、この天井の汚れなのだ。
「佇まい」とは、自然の成り立ちあってこその、かっこよさというか。なんちゅうか?
佇まい="自然のスタイリング"とでも言おうか?
(カッコつけた言葉はカッコ悪いな。。。。)
養老孟司のいう言葉
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1456
2020-07-04T01:34:42Z
2020-09-13T22:28:33Z
言ってることがほぼ全て共感しかない。
自然=中立
ってことはとても勉強になった。
「都会」がダメで「田舎」がいいって訳でもはなくて、自然が求められている。今。
なおさら。今。
確実におかしくなっている現実。コロナだって自然。
それに対してアタマでっかちになり過ぎちゃってる世の中の人人。
自然に相手にしてもらえば、わかることがたくさんある。こんな状況でもどう暮らせば良いのか?田舎の山奥で自然と共存して暮らしてきた、ばあちゃんもじいちゃんもテレビのおかげで影響うけちゃっているのを見ちゃうとなんとも言えない気持ちになる。もっと自分で感じて行動しようと思う。
山の暮らし 不便を考える
tag:www.okabec.com,2020:/blog//1.1455
2020-06-27T21:17:37Z
2020-07-03T00:30:10Z
「不便利」という言葉があるみたい。
テレビで見た。しかも最近だ。まだ東京にいる頃だった。
今の家にはテレビがないし、ネット環境はまともだけど、
ネットニュースすら気にならないほどに見ていないので、
リモート打ち合わせの合間とかで「東京はまた感染者が増えましたよ」
なんて溢れ話で聞いていて「へええ」としか言えないくらい山の生活に
マスクは不必要だ。
いきなり話が脱線している。マスクのことでなくて不便のこと。
テレビがなくってもネット環境さえ繋がっていればもう既にどこだって
便利な世の中。
すでに誰もが気がついていた話なのだろうけれど、インターネットさえ
繋がる環境でいれば、都会っ子だってもやしっ子だって、女子だって、
どこででも住めちゃう時代。
虫とか獣がイヤでなければ。。。
なんてそんな虫にも慣れる日がきっとやって来るかとも思うし。
岩泉での山暮らしをはじめた時はまだ2週間待機中だったので、
なおさら感じたことは不便って良いなって思えたことである。
来る前にみたテレビ番組はその不便を「不便利」って
言葉で京都大学の教授様が掲げて特集していた番組だった。
確かに言ってる内容は面白かった。
とにかく自宅待機で、外には出られても、近所の人とも接することはできないし、
スーパーに買い物に行くこともできない。
なおさら、車がないと買い物なんてできる場所ではない山の中。
移住担当の人にお願いをして、頼んだ食材を買ってきてもらい、
その中から食事を作らないとまともなご飯が食べれない。
山暮らしスタートが待機生活だったってのは逆に良かったと思っている。
その家から一歩も出られない山の中でも自粛生活ってのがいかに不便か?
ってことを思い知らせてくれたのである。
待機中は質素な食生活。
それ以外は、あてがってもらえた古いアパートを徹底的に掃除してみたり、
暮らしやすいように改修してみたりそんな生活で過ごしていた。
初めの1週間はネット環境も整っていなかったので、
携帯電話で友達と会話したりはできていた。
とにかく、買ってきてもらった食材で何か作らないとお腹を満たせない。
下手くそながらにも料理を作る。節約をしながら。。
で、待機生活もあと二日、なんて時にふと、唐揚げが無性に食いたくなってしまったのだ。
しかし、コンビニなんて行けないし、その前に近所にはない。
(町内で2件のみ)
世田谷暮らしの頃のように徒歩圏内ではお店がない。
(あとで近くに小さなスーパーが一軒だけあることがわかる。6時閉店だけど)
どうしても唐揚げが食いたくなってしまい、担当の人に唐揚げ粉と鶏肉と油を
買ってきてもらって、自分で揚げて食ってみた。
たいして美味くはないが、揚げ物っていう食い物の価値に感動すらした。
昔の暮らしってこんな感動することがいっぱいあったんだろうな〜、
なんてふと思い耽りながらも「不便」は人間の暮らしにとって大切だっ
てことを復習させてくれた。
唐揚げがきっかけとなったのだ。
これがまさに教授の言っていた「不便利」ってことなんだと思った。
不便最高。でも、マスクがなくても堂々と暮らせる、ただでさえ人が少ない
山暮らしだけど、
今は、都会の方が不便な生活なんじゃないのか?
なんて思えてしまっていたりもする。。
感染症は目に見えなくておっかないけれど、その目に見えないものに怯えながら
人との干渉も気をつけながら、コミュニケーションを取って行く。。
その方がよっぽど不便なのではないか?
それはこの山にももちろん影響は大きくて。
誰もいない畑を炎天下、おばあちゃんがちっこくしゃがみこんで
草抜きをしていたりして。
マスクをつけた格好で。。。。
メディアや噂の影響はでかいかもしれない。でも
自分で判断して、必要なのか?不必要なのか?考えて暮らしていかないと、
色々参っちゃうかと思う。
俺はマスクを外して、除菌もしないで山の中 堂々と暮らしている。
必要ないと思う環境だから。
先日、役場の会議に参加して久しぶりにマスクをしたけれど、息苦しすぎてきつかった。
改めて、
ぶっ倒れないでねおばあちゃん。と思った。