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	<title>南勢出版</title>
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	<description>南勢出版は関東の里会と東京薩摩川内会に応援協力しています。</description>
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		<title>《時流遡航328》　日々諸事遊考（88） （2024,06,15）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 25 Jun 2024 18:05:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（医薬経済誌での執筆に至る経緯とその足跡を回顧する） 　先日のことだが、久々に初夏の新緑の輝きわたる奥多摩山地を訪ね、多摩川水系の上流域に架かる橋上に立ち止まって、しばし眼下の深い渓谷の流れに眺め入った。若い頃には激しく &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4306/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（医薬経済誌での執筆に至る経緯とその足跡を回顧する）<br />
　先日のことだが、久々に初夏の新緑の輝きわたる奥多摩山地を訪ね、多摩川水系の上流域に架かる橋上に立ち止まって、しばし眼下の深い渓谷の流れに眺め入った。若い頃には激しく岩を食む激流を辿ってこの谷筋の最奥部まで遡り、文字通りの源流地にまで足を踏み入れもしたものだったが、老い果てた今のこの身には最早そのための体力も気力も残されてはいなかった。またそれ故にではあったのだろう、橋の上流方向と下流方向とを交互に見渡しながら視線を走らせていると、「久々にこの地点まで足を運ぶことができてよかったなあ。でもまあ、もうこれ以上は無理をせず、この辺りで足を止めておいたほうが賢明かもしれないよな？」と、自制を諭し促すような声が何処からともなく響いてきた。<br />
　そして、一連のそんな状況に身を委ね続けているうちに、心中の想いはこのささやかな連載記事執筆の背景とその推移にも重なってきたのである。「時流遡航」というコラム名を掲げ、時の流れを遡りながら諸々の事象の根源にできるかぎり迫ってみようと意気込んでみたまではよかったのだが、非才な身のゆえにその遡航能力におのずから限界が生じたのは紛れもない事実だった。時の流れを遡航する途中で想像を絶するような激流に遭遇し、身を托す舟がバランスを崩して転覆しそうになったり、有無を言わさず下流方向へと押し戻されたりすることもしばしばだった。ただ、折々そんな事態に瀕したにもかかわらず、２０１０年11月に初稿を執筆させてもらってこのかた、13年余３２８回にわたって１回の休筆さえもせず拙文を綴り続けることができたのは幸いであった。老いゆく身と共に、社会という名の奔流を遡航する能力がすっかり衰え果てた今となっては、時の流れに身を任せながら、ひたすら下流方向へと己の視線や知覚を転じる「時流下航」の常道へと身を委ねていかざるを得ない。いい加減に己の分際を弁えよということではあるのだろう。<br />
（さまざまな人々との奇縁）<br />
　来し方を振り返って見れば、不束なこの身が長年にわたって「時流遡航」の連載執筆に携わらせてもらうようになった経緯には、様々な人々との奇縁をもたらしてくれた不可思議な歳月の差配が深く絡んでいるようにも思われる。まだ若かった時代、大学で数理科学やコンピュータサイエンスの研究に携わっていた愚身は、ある年齢に到達した段階でフリーランスへと転身した。研究生活を送っていた頃から、『ビクトリアン・インベンション』（のちに『図説創造の魔術師たち』と改題して再刊）のような科学系書籍の翻訳や、かつての「科学朝日」誌をはじめとする各種科学雑誌での記事執筆には携わっていたが、社会的分野のテーマについて筆を執るような機会は殆どなかった。だが、フリーランスになった直後に、当時の週刊朝日編集長穴吹史士氏からたまたま声を掛けられ、一時期、同誌上において『怪奇十三面章』という、何とも怪しげなタイトルの連載コラム執筆を請負うことになった。端的に言えば、身の程知らずの不良中年ライターへと変身を遂げたというわけであった。<br />
さらにまた、フリーランスの身になってからというもの、生来の放浪癖を剥き出しにしながら徹底した貧乏漂泊の旅の実践に奔走し、国内各地を隅々まで訪ね廻っては様々な人々との出遇いや珍事との遭遇を重ねることになった。そのなかでも、若狭大飯町在住の画家渡辺淳氏や同地出身の作家水上勉先生との運命的な廻り合いとそれに続く親交の数々は、何物にも代え難いものとなった。そして、それら一連の数奇な経験談などを紀行文として執筆するうちに、そのうちのひとつ『佐分利谷の奇遇』（自由国民社刊の拙著『星闇の旅路』に収録）が、90年代半ばに第２回奥の細道文学賞の対象作品となる幸運に恵まれた。<br />
その３年後の98年、前述した朝日新聞社の穴吹史士氏がウエッブ上にＡＩＣ（アサヒ・インターネット・キャスター）というコーナーを開設したのに伴い、同氏発案の『マセマティック放浪記』というタイトルのもと、以後10年程にわたって毎週のように連載の筆を執らされる羽目になった。拙著『ある奇人の生涯』（木耳社）などはその一連の連載記事の一部が書籍化されたものである。またそんな流れの中で、今度は、穴吹氏の大学の先輩で当時「選択」誌の編集制作統括責任者を務めていた伊藤光彦氏を紹介されることになり、05年から同誌において、無署名記事を毎月のように執筆させられることになった。科学、教育、旅、文化芸術の分野が愚身の担当であったが、独特の鋭さと厳しさを求められる選択誌の記事執筆は容易ではなく、しかも時には月間２～３本の原稿を要請される事態もあって、それへの対応は並大抵のことではなかった。伊藤氏が退職したあと、後継の編集長となったのが大学の後輩でもある恵志泰成氏で、のちに同氏が選択誌編集長の座を辞するまで、微力ながらも蔭でその仕事を支えるべく、懸命に拙い筆を執り続けたものである。<br />
（そして医薬経済誌と廻り合う）<br />
選択誌での無署名記事の執筆は10年代半ばまで続けたが、その間に恵志泰成氏のほうは同誌の編集長を退き、自らが経営者となって出版企画会社を立ち上げた。そしてその直後に恵志氏を介して紹介されたのが、現在の医薬経済誌発行人で当時はその編集長だった藤田貴也氏であった。医学や薬学の世界にはおよそ無縁な身であったがゆえに、全体的誌面構成が選択誌と似かよっていたとはいえ、お門違いの本誌で筆を執ることには躊躇いを覚えもした。だが、医薬関係に拘ることなく、どんなテーマでも自由に筆を揮ってよいとの望外な配慮を賜ることとなり、それではということで「時流遡航」というコラム名を自ら提案し、諒承を得たような次第だった。最初のテーマは「危機に瀕する日本の高等教育」（全８回）、続いて「先端光科学の世界を訪ねて」（全12回）、それから「東日本大震災の深層を見つめて」（全14回）、さらには「原子力発電の根底を探る」（全12回）といった具合に拙筆を運ばせてもらいながら、当初の２年間ほどをやりくりさせてもらったのだった。<br />
そしてまた、その間に編集長が森下正章氏に代わり、同氏とは以後10年余の長きにわたって親交を結びつつ、何かと記事執筆上の重要な示唆を賜ったりもしながら、現在に至ったようなわけではある。だが過日、その森下氏から、自分は６月で編集長を退き、７月からは新編集長のもと、本誌の紙面構成も編集体制も大きく変わるとの通告を受けた。時代は移り、読者層もさらには表現体そのものも大きく変容し、今更この愚身の長舌な駄文などに関心を抱くような人もう皆無に近いというのが、偽らぬ実態ではあるのだろう。今後とも人知れず世の片隅でささやかに戯言を綴り続けるつもりではあるが、ここは身の引きどころと自覚したほうがよかろうと悟るに至った次第でもある。かのダグラス・マッカーサーが連合軍最高司令官を辞し、日本を去る際に残した有名な言葉にあやかれば、「老兵」ならぬ「老筆」は唯去りゆくのみ――というわけである。読者の皆様、そして森下編集長をはじめとする編集部の皆様、長年お付き合いくださり誠に有り難うございました。感謝あるのみです。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4306/">《時流遡航328》　日々諸事遊考（88） （2024,06,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>《時流遡航327》　日々諸事遊考（87） （2024,06,01）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4304/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 25 Jun 2024 18:04:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（人類が内有する宿命的自己生存本能について思う） 　収束の気配が全く見えないウクライナとロシア間の紛争、そしてまたイスラエルとハマスとの争乱とその延長にあることが明白なイスラエルとイラン間の空爆の応酬――一歩間違うと世界 &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4304/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（人類が内有する宿命的自己生存本能について思う）<br />
　収束の気配が全く見えないウクライナとロシア間の紛争、そしてまたイスラエルとハマスとの争乱とその延長にあることが明白なイスラエルとイラン間の空爆の応酬――一歩間違うと世界全体を惨劇の渦中へと巻き込んでしまいかねない大戦乱の火種は尽きるところを知らない。これまでも折々指摘してきたように、我われ人類が背負う宿命というものの深刻さには、絶望感をさえ覚えざるを得ない。この世の全ての生命体がそうであるように、大宇宙の摂理として、ほかならぬ我われ人類の遺伝子の中にも、己の生存に固執すればするほどに、自らを含む種族全体の壊滅を促進してしまいかねないメカニズムが組み込まれているのであろう。諸々の生命体というものは、何らかの外的圧力によってその命の存続が危機的状況に陥ってしまったとき、それまで程よく内奥に抑制されてきた自己生存本能を剥き出しにして辺りかまわず激しく足掻きまくる。結果的にはその個体自らの絶命、さらにはその種全体の衰退と滅亡にも繋がってしまう。そんな一連の生命体存亡の流れは、当然、我われ人類にとっても不可避なものではあるに違いない。<br />
　人間社会の平和と安寧を守るために必要不可欠な諸倫理や諸法体系、国際間条約の類などは、我われの心奥深くに眠る自己生存本能が突然覚醒し暴走する事態を極力抑止することによって成り立っている。この世に生を得た瞬間から、社会動物として他者との宥和関係を最優先するかたちで成育させられる人間などは、その成長過程において無意識のうちに自己生存本能の利己的機能をそれなりに抑制されるようになっている。そしてそんなプロセスを辿るなかで、余程の危機的状況にでも直面しないかぎり、通常、その本能は心奥深くで眠り続けるように仕向けられている。倫理規範や法体系を生み出したり、それらを遵守したりするための前提となる「理性」や「悟性」と称されるものは、そんな自己生存本能を外側からしっかり包み込むかたちで、個々の心身のなかに存在しているわけなのだ。<br />
だが諸々の感情の源泉ともなる自己生存本能は、生命体にとって第一義的な存在であるがゆえに、余程恵まれた環境下にでもないかぎり、生涯その本能を睡眠状態、あるいは半覚醒状態にしたままで人生行路を全うすることなどは至難の業である。たとえそれが一瞬のことではあったとしても、人間誰しもが生涯のうちに一度や二度は不意に身の危険に瀕したり、怒りに震えたりすることがあるものだが、そのような瞬間、自己保全のために反射的に激しく作動するものこそは自己生存本能にほかならない。<br />
その典型的な事例としては、地震、津波、台風などに伴う熾烈な自然災害に直面した際、すべての社会的規範類を一切度外視して必死に己の身を守りに走る行為などが挙げられよう。一息に自己生存本能が覚醒し、当面の危機的状況を生き抜くことが何よりも最優先される結果、理性に基づく通常の倫理観や社会的ルールの如きものは副次的な存在と成り果て、それらの機能を喪失してしまうのだ。もちろん、個々の存在に襲いかかる危機的災害を他者と連携し助け合いながら逃れるという倫理的行動も生じはするものだが、それとても個々人の生存への強い執着が大前提となっている。「生きておればこそ……」のこの世の現実を想うならば、生存欲やそれに根差す生存権の主張なるものは、その善悪にかかわらず人間の存在を根底で支える芯柱なのだから、それを悪として批判するわけにもいかない。<br />
（自己生存本能を悪用する権力者）<br />
　窮極の危機的状況下にあって突然自律的に自己生存本能が覚醒し、劇的に機能するのはやむを得ないことであるが、ここで問題となるのは、専制主義者や独裁主義者に見るような時の権力者が、民衆の心を支配扇動するためにその種の本能を悪用する場合である。何らかの理由で内的自己生存本能を抑制できなくなった絶対的権力者というものは、自らの主義主張に反する者に対して異常なまでの憎悪と敵意を抱くようになり、またそれゆえに、対立する相手から自分が窮地に追い込まれるのではないかという過度の恐怖心にも苛まれるものである。そしてそんなとき、彼らが自己保全の常套手段としているのが、社会の諸情勢に対する恐怖心や絶望感、さらにはそれに伴う憎悪感を過度に煽り立てることによって一般大衆の自己生存本能を揺り起こし、それらを統括制御する手口である。それによって社会的倫理観や法的規範といったような本来あるべき理性的諸機能の制御力が瞬時に失われ、悪辣な指導者らの望む通りの、国民や国家の一大暴走が始まるというわけなのだ。<br />
　たとえ歴史的背景や政治的体制が全く異なる国同士であったとしても、相互の国の指導者や双方の国民に、自己生存本能の劇的暴発を適度に抑制するべく「理性」や「悟性」といった類の心的カバーが機能しているうちはよい。そのような状況下でなら、もしも両者の立場や主義主張に相容れ難い大きな相違があったとしても、まだなお相互間に倫理観重視や法的規範遵守への配慮が働いて相手国の存在意義を認め、相手側に一方的な軍事攻撃を加えたりする暴走行為にまで及ぶことはないからだ。それは現在の日中関係や日露関係、さらには日本と北朝鮮の関係にも言えることである。<br />
　だが、何かしらの理由で過度の支配欲やその裏返しでもある極度の孤立感に陥った権力者らが、その自己生存本能を暴発させ、さらには自らを取り巻く一般大衆の生存本能の異常な覚醒をも煽り立てようと画策した場合には話は別である。まず、彼らは、特定の他国やそれと連携する国々が、強大な武力などによって今にも自国や自国民を殲滅させようとしているといったような虚妄の類を一般大衆の脳裏に刷り刻み込む。<br />
言論統制をはじめとする諸々の巧妙な手段によってそんな虚情報に踊らされ、すっかり洗脳された一般大衆の多くは、極度の恐怖心に苛まれ、遂には自己生存本能を剥き出しにして権力者らの思惑通りに彼らと一体化することになる。そんな非尋常な状況に陥った国家の為政者が、相手側が先に手を出したのだからその報復だという偽情報を国内に流布したうえで関係国への攻撃にでも踏み切れば、最早その収拾は不可能となる。密かに事態を先導した専制的権力者らは、一時的には愚民集団と化した自国の大衆から熱狂的な支持を得られ、その権力基盤はしばし安定化する。だが、必然的に相手国もまたその自己生存本能を剥き出しにして、相応の、さらにはそれ以上の報復に出ざるを得ないから、どちらかが、あるいはその双方がとことん疲弊壊滅するまで一連の戦乱は続くことになってしまう。<br />
「平和ボケ」とは、危機感で民衆の自己生存本能を煽り立て、軍備増強の実践を目指す国策への批判者を揶揄嘲笑する言葉である。だが、苦渋に満ちた長大な人類史を介して到達した理性や悟性の賜物たる倫理観や和平観を敬う人々を誹謗するような、自己生存本能剥き出しの軍備依存候群の人々は、逆に「戦（いくさ）ボケ」とでも酷評されてしかるべきではなかろうか。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4304/">《時流遡航327》　日々諸事遊考（87） （2024,06,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航326》　日々諸事遊考（86） （2024,05,15）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4301/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 May 2024 17:51:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（根室本線・富良野駅～新得駅間の廃線に想うこと） 　先月、北海道根室本線の富良野駅から新得駅間の路線が廃線になるというニュースが飛び込んできた。その廃線区間のなかほどにある南富良野の「幾寅（いくとら）」駅は、青春時代の私 &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4301/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4301/">《時流遡航326》　日々諸事遊考（86） （2024,05,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>（根室本線・富良野駅～新得駅間の廃線に想うこと）<br />
　先月、北海道根室本線の富良野駅から新得駅間の路線が廃線になるというニュースが飛び込んできた。その廃線区間のなかほどにある南富良野の「幾寅（いくとら）」駅は、青春時代の私にとっても忘れ難い想い出のある場所だったので、問題のニュースに接した際の衝撃にはひとかたならぬものがあった。南富良野幾寅は十勝岳の南尾根筋に近い集落で、富良野盆地や十勝平野を一望できることで名高い狩勝峠の西方に位置している。富良野盆地を南下する根室本線は途中で大きく東に向きを変え狩勝峠直下のトンネル方面へとのびているのだが、その狩勝トンネル一帯が自然災害によって通行不能になっていた。一連の路線の復旧工事には多額の費用がかかり過ぎるというのが廃線に至った理由のようなのだが、その区間の要所とも言うべき地点に位置するのがほかならぬＪＲ幾寅駅であった。ちなみに、分断される富良野と新得間の運輸は高速道路経由のバスで代行されるという。<br />
　実をいうと浅田次郎原作、高倉健主演の映画「鉄道員（ぽっぽや）」の撮影舞台となったのはこの幾寅駅だった。映画の中ではその駅名も「幌舞」と改められ、大竹しのぶや広末涼子らも登場するあの名作の誕生に一役買うことになったのだった。「幾寅駅」は、実際には「鉄道員」の中にある「幌舞駅」のような終着駅ではなかったのだが、周辺を深い山々に取り巻かれ、冬場は豪雪に埋もれる土地柄ゆえに、雪の夜の駅舎を舞台にしたあの幻想的なラストシーンを撮影するには最適のロケーションと考えられたのだろう。現在では無人駅となっていることもあって、駅舎の中には「鉄道員」のストーリーや登場人物、各俳優らの役柄などを解説した展示物が並び、ちょっとした映画資料館なみの様相を呈している。いまも駅舎前に残る「だるま食堂」や「ひらた理容店」などの撮影用建物セットと合わせて「幌舞駅」はもっぱら南富良野の重要な観光スポットとなっているのだった。<br />
　映画「鉄道員」は、高倉健演じる佐藤乙松という一徹な老駅長の、悲嘆と苦難に満ちみちた、だがそれでいてなお感動的な鉄道一筋の生涯を描いた作品である。まだ幼かった娘の雪子を失い、大竹しのぶ演じる妻静枝とも死別した乙松は、やがて定年退職の日の夜を一人幌舞駅で迎えることになる。しんしんと雪の降り積もる白銀一色の幻想的なその夜のこと、乙松の前にどこからともなく赤いマフラーをした美しい高校生の少女が現れる。広末涼子演じるその少女の面差しがどことなく亡き妻静枝に似ていると感じた乙松は、娘雪子が生きていればちょうど今頃この美少女とおなじくらいの年頃になっているはずだと、思わず我が目見張る。ユッコ、ユッコか？……ただ美しいとしか言いようのない文字通りの幻夢の世界の中で、娘雪子の化身であるその少女に呼びかけた乙松は、信じられないような人生最大の至福の時を送りながらその少女とともに一夜を明かす。そしてその翌朝、幌舞駅のホームで降り積もる雪に埋もれて一人静かに眠る乙松の最期の姿が発見される。<br />
　浅田次郎ならではのそんな感動的物語の舞台として、幾寅駅はこのうえなく重要な役割を果すことになり、幌舞駅としてその存在を世に広く知られるところとなったのだった。<br />
（我が人生ドラマの舞台にも！）　<br />
　２００５年４月末のこと、私は北海道在住の旧友である定塚信男宅に電話をかけた。長年親交のあるヴァイオリニストの川畠成道氏を北海道岩内の関係者に紹介し、5月下旬同地開催のコンサートの仲介をしたこともあって、定塚氏をそのコンサートに招待しようと思ったからだった。だが、電話に出た定塚夫人からは、悲しみにうち震える声で信じ難い事実を告げられることになった。道内の有名な合唱団の事務所で定塚氏が突然に縊死したというのである。長年中学校の音楽と英語の教師を務めた定塚氏は、道内では有名なその合唱団の事務局長をも30年ほどにわたって兼任し、数々の海外公演を成功させてきた。常々私は合唱にかける同氏の心意気に感嘆するばかりだった。ただ、中学校を定年退職した同氏が、その合唱団の団長に就任し、しかも事務局長の責務も負うというきわめて異常で過酷な状況に身を置くことになっていたとはまったく知らずにいたのだった。<br />
「退職後は在職中以上に多忙をきわめる有様で、徹夜で事務所に詰めることもすくなくなくありませんでした。合唱団関係者がおっしゃるように命を賭けて合唱団を守ったのではなく、実際には命を賭けて合唱団を辞めたのです」という夫人の言葉が、おそらくはその死のすべてを物語っていたのだろう。合唱団内部に渦巻く複雑至極な人間関係について定塚氏が苦悩していたのは事実だったらしいが、その急死の奥にある究極の真相については私にすればいまだに謎のままだと言ってよい。<br />
　私たち人間の誰しもが他者には絶対にわからない心の闇を抱えて生きている。ごく親しい存在であったとしても相手が他者であるかぎりは、その人の心の闇を奥底まで見通すことはできないし、またことさらそうする必要もない。よい意味での「心の闇」を内有することによって人には個性が生まれもするし、その人なりの魅力もそなわってくるからだ。だから、存在感に溢れ人間としても魅力的だった定塚氏にたとえ心の闇があったとしても、他者がそれを責めるわけにはいかない。ただ、その闇が、同氏の命の輝きを支える力として働くよりも、その命を吸い取り奪う力として働いてしまったたことを、いまは心底残念に思うばかりなのだ。<br />
　南富良野の幾寅に住む定塚氏の存在を知ったのは「小学生の友」の読者欄を通じてのことであった。東シナ海東端に浮かぶ離島の磯辺で遥かな本土の山影に憧れを抱く少年だった小学生の私にとって、文通こそは遠い未知の世界を垣間見る唯一の手段であった。文通相手を探していた私はたまたま定塚氏の投稿記事を目にとめ、すぐに同氏に一方的な文通の申し入れを実践した。不思議といえば不思議な話なのだが、そんな奇縁が発端となって、当時はまだその名を知る人のほとんどなかった富良野盆地南端部の南富良野に住む定塚氏と薩摩半島沖の離島に住む私との間で文通が始まったのだった。それからほどなくして私が最後の肉親を失い天涯孤独の身になったときも、定塚氏は温かい手紙をもって絶えず私を励ましてくれもしたものだ。<br />
　定塚氏と私との文通はその後も連綿と続き、いつしか15年を超える歳月が流れ去った。その間に起こった互いの身辺の変化については手紙を通して了解し合ってはいたが、直接に顔を合わせる機会はなお一度もないままだった。初めて手紙を交わしたときには幼い少年だった私たちは、もう20代半ば過ぎの青年へと変貌を遂げていた。すでに地元北海道の中学教師になっていた定塚氏は、自ら志願して赴任した当時の一級僻地の学校で優れた若手教育者として数々の実践を積み重ね、私のほうも、かつては遠く無縁の存在にすぎなかった東京の地にあって、ささやかながらも専門研究の道を歩みはじめようとしていた。<br />
　その年のこと、結婚することになったという報告を定塚氏から受けた私は、願ってもない機会だと思い、結婚式出席のため憧れの北海道へと旅立った。北海道に渡ったあと最初に踏む土は幾寅のそれにしようと決めていたから、函館や札幌などには目もくれず、ひたすら列車を乗り継いで南富良野の幾寅駅へと直行した。富良盆地に入るとすぐに車窓左手に残雪を戴く雄大な山影が見えはじめた。あれが定塚氏の愛する十勝岳なのかと胸の奥底が熱くなったことを今も懐かしく想い出す。そして、それから程なく幾寅駅に降り立った私は、静かな笑みを湛えて駅頭に佇む定塚氏とついに念願の対面を果たすことができたのだった。それは昭和44年５月10日、私が初めて手紙を書いた日から数えると16年目も間近な日のことであった。<br />
　初対面の日からさらに36年もの歳月を経た05年５月末のこと、私は定塚氏の御霊の眠る南富良野幾寅の恵光寺へと出向いた。途中で仰ぎ見る十勝岳はいつもながらの雄大な姿を見せていた。幾寅に着くと私はまっさきに幾寅駅のホームの中程に佇んだ。もちろん、二人の初対面の舞台となったその場所においてあの日の記憶を甦らせながら、在りし日の定塚氏の姿を偲ぼうと思ったからである。人知れぬ思いを胸中深くに抱き秘めながら、昔のままの面影をとどめるプラットフォームに立った私には、まるで「鉄道員」の映画のラストシーンそのままに亡き友の幻影が見えるような気がしてならなかった。プラットフォームの東端に佇むと、友の愛してやまなかった十勝岳の頂きが雲間を縫って一瞬白く輝いて見えた。幾寅駅での私と定塚氏との対面のドラマは「鉄道員」のそれに較べるとささやかなものにすぎなかった。男同士のことゆえにそれほどにロマンティックなものでもなかった。だが、実話であったという意味においては、「鉄道員」の映画にもけっして劣ることのない数奇な運命の演出とでも言うべきものを孕んではいた。だから、すくなくとも私といまは亡き友にとっては、その駅はあくまで「幾寅」駅であり、「幌舞」駅であってはならないのだった。<br />
　幾寅駅をあとにした私は、そこからほどないところにある恵光寺の友の墓前に参詣した。少年期に次々と肉親を亡くした時でさえも表立っては涙を流さすことのなかったこの私が、不覚にも涙を堪えることができなかった。じっと合掌をつづけるうちに、この世に別れを告げる直前に友の発した絶唱がどこからともなく響き聞こえてくるような気がしてならなかったからである。私はそんな自分の想いをささやかな短歌に詠み込み、それを色紙にしたためて友の墓前に献げ置いた。今の私には、せいぜいそれくらいのことしかできはしなかった。「十勝岳凛と輝く大地へと君は還りぬ絶唱の果て」と……。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4301/">《時流遡航326》　日々諸事遊考（86） （2024,05,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航325》　日々諸事遊考（85） （2024,05,01）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 May 2024 17:50:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（次世代放射光施設「ナノテラス」の稼働を祝う） 　今から８年前の第１３５回（16年６月１日号）の本欄において、当時、まだそのプロジェクトが起動し始めて程なかった東北放射光施設建設問題について述べたことがある。国内には97 &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4299/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（次世代放射光施設「ナノテラス」の稼働を祝う）<br />
　今から８年前の第１３５回（16年６月１日号）の本欄において、当時、まだそのプロジェクトが起動し始めて程なかった東北放射光施設建設問題について述べたことがある。国内には97年に稼働を開始し、総合的機能では現在でも世界最先端の高機能を誇るＳＰｒｉｎｇ―８や、その付属施設で、硬Ｘ線領域（高エネルギーの極超短波領域）対応の超高性能Ｘ線自由電子レーザー・ＳＡＣＬＡなどの施設が存在している。だが、近年に至り、国際間においては、国内のそれら高機能な先駆的施設でさえも十分には対応できない波長領域の有意性が高く評価されるようになってきた。そのため、問題の波長領域に焦点を絞って推進された新プロジェクトこそが、その東北放射光施設建設にほかならなかったのだ。<br />
光線の波長には赤外線や可視光線から極超短波の硬Ｘ線まで、長短さまざまな波長領域があるのだが、その中のひとつに紫外線域と硬Ｘ線域とに挟まれた「軟Ｘ線領域」と呼ばれる波長帯が存在している。近年、世界の先進諸国ではその軟Ｘ線領域の放射光の機能を特別に重要視する「軟Ｘ線革命」なる動きが起こり、欧米諸国のほか、中国、台湾、ブラジルなどでも次々と同波長領域専用の放射光研究施設が建設されるようになっていった。<br />
　軟Ｘ線領域の放射光が世界的に脚光を浴びるようになったのは、２０１０年代に入ってから、軟Ｘ線によるナノレベルの物性解析技術が飛躍的に進展したからである。その成果のゆえに、基礎物理化学、生命科学、物質材料科学、環境科学などの研究に極めて斬新かつ画期的な展開が期待されるようになってきた。また応用面でも、その技術は、国際競争の熾烈な医薬医療産業をはじめ、エレクトロニクス産業、食品産業、有機ＥＬ産業、自動車産業、触媒産業、エネルギー産業、ロボット産業などでの新製品開発促進と直結していることが明らかになったのだ。世界の先進各国が一刻を争って軟Ｘ線放射光施設を建設し、急遽その施設での研究促進を図ろうとしたのは、そのような背景があったからなのである。<br />
　兵庫県佐用町にあるＳＰｒｉｎｇ―８は全波長領域の光線に対応可能ではあるのだが、軟Ｘ線革命の流れに乗って世界各地に建設された当該波長領域専用の放射光施設の生み出す光波の輝度は、ＳＰｒｉｎｇ―８のそれの１００倍をも超えるものである。軟Ｘ線領域の先端光科学研究にとってその能力差は無視し難いものであったので、国際的に後れをとることのないようにと立案されたのが、ほかならぬ東北放射光施設のプロジェクトだったのだ。そして、そのプロジェクト推進にリーダーとして大きく貢献したのが、現東北大学招聘教授で、光科学イノベーションセンター理事長を兼務する高田昌樹氏であった。<br />
　東北大学に赴任する以前、ＳＰｒｉｎｇ―８の副センター長の任にあった高田氏とは、日本学術会議第３部会で愚身の行ったささやかな講演が契機となって親交を結ぶようになり、その後、同氏から、ＳＰｒｉｎｇ－８学術成果集の制作に関わって欲しいとの要請を受けるに至った。そのため、非力なこの身に鞭打って、「ＳＰｒｉｎｇ―８学術成果集――夢の光を使ってサイエンスの謎に挑む」の統括制作者、兼、執筆・編集責任者を務めることになった。また、その任務を通して放射光科学分野についても幾らかの知見を身につけることができもしたため、近年、高田氏が深く関わってきた東北放射光施設建設プロジェクトの推進状況にも、少なからず関心を抱き続けてきたようなわけであった。<br />
（軟Ｘ線放射光施設ついに実現）<br />
　東北大学に移り、同プロジェクト遂行のリーダーとなった高田氏は、３００億円超という当該施設の建設見積費のうち、まずは半分の１５０億円を民間企業に先行投資してもらい、そのうえで残り１５０億円余の公的資金導入を促そうという戦略を立てた。当時の安部政権のもと、数年後に迫った東京オリンピックへの対応で手一杯だった文科省や財務省は、副次的事業にも見える東北放射光施設プロジェクトへの国費投入などは極力避けたい意向であったらしい。東京オリンピック関連事業の無駄ともいえる、膨大な国公費依存の実態を知るにつけても、この国の政策の愚かさを痛感するばかりであったが、そんな状況を睨んだうえで高田氏らが採った対応策は実に賢明かつ合理的なものであった。<br />
　そのプロジェクト推進の大前提として、諸科学技術や先端光科学の専門研究者と協賛企業との間で社会的ニーズに応じた１対１のタッグを組んでもらい、誕生した多数のその種のタッグに、それぞれの目的実現のために精進してもらう「コアリション（有志連合）」という概念を構想した。それは、民間企業にとっては懸案となっている課題を、その道の専門家との相互協力のもとで解決することにも繋がる優れたアイディアであった。その結果、施設建設に出資する多数の企業と主要国立大学、私立大学、国立研究所などの研究者などが密接に連携することになり、その有意性を高く評価した民間諸企業からの先行投資も順調に目標額へと到達した。また、そこに至って、国のほうもようやく重い腰を上げて多額の国費を投入することを決定、国の傘下にある量子科学研究開発機構に東北放射光施設を組み込むかたちでそのプロジェクトは一気に促進されることになったのである。<br />
　ＳＰｒｉｎｇ―８での長年の研究を通じ蓄積された諸々の研究成果や諸技術を最大限に導入活用するかたちで、東北大学青葉山キャンパスに建設された同施設は、予定よりも大きく遅れはしたものの無事完成、この４月から本格稼働するに至った。その施設名もあらためて次世代放射光施設「ナノテラス」と命名され、各種メディア上でもその意義や将来性が広く紹介されるようになってきている。国内において、この種の大規模な放射光研究施設がアクセスも便利で研究生活環境も整った大都市部に設けられたのは初めてのことであり、今後の展開にも大きな期待が寄せられている。ＳＰｒｉｎｇ―8の場合には、世界最先端の研究施設であるにもかかわらず、地理的な理由から極めてアクセスが悪く、また長期的滞在やそれに伴う必要施設の確保にも何かと不備があることが問題とはなっていた。<br />
　23年12月９日、高田氏よりナノテラスで軟Ｘ線ビーム初発光に成功した旨のメールが届いた。同氏らの長年にわたる尽力が実って実現した、世界でも最先端を行くナノテラスの登場に、心からの祝福メールを送信もしたような次第である。このナノテラスは、電子を打ち出し加速する全長１１０ｍの直線状施設と、加速された電子群を超強力ネオジウム磁石列によってさらに反時計回りに周回運動をさせ、その周回円の接線方向へと軟Ｘビームを発生させる全周３４９ｍの円形加速器から成っている。当然ながら、太陽光の10億倍の輝度をもつ軟Ｘ線ビームの照射のもたらすナノメートル（１００万分の１ミリ）レベルの極微世界の観測データを高速処理するスーパーコンピュータとも連結している。近年、国際的に遅れ気味だった薬学研究分野などにとっては、起死回生にも繋がる重要施設ともなり得るだろう。祝ナノテラスである。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4299/">《時流遡航325》　日々諸事遊考（85） （2024,05,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航324》　日々諸事遊考（84） （2024,04,15）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4297/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 May 2024 17:48:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（米国一流大学の諸システムに想いを廻らす） 　今年２月のこと、高校野球で大活躍した花巻東の佐々木麟太郎氏が米国のスタンフォード大学に進学するというニュースでもちきりになった。スタンフォード大学はハーバード大学やマサチュー &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4297/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（米国一流大学の諸システムに想いを廻らす）<br />
　今年２月のこと、高校野球で大活躍した花巻東の佐々木麟太郎氏が米国のスタンフォード大学に進学するというニュースでもちきりになった。スタンフォード大学はハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などと並ぶ米国屈指の最高学府であるばかりでなく、世界でもトップクラスと評価される大学であるだけに、大きな話題となったのは当然のことだろう。しかも、４年間で通算５０００万円にも及ぶ学費一切が免除されるというのだから、その話が日本国民に与えた驚きは尋常ではなかった。現在の日本にあっては、たとえ野球と学業の両面に稀有な資質をもつ高校生がいたとしても、総合評価に基づく推薦入学というかたちで東京大学や京都大学に進学することなどまずもって不可能に違いない、<br />
　米国の一流大学に在籍した経験があったり、それらの大学入試制度に通じていたりする日本人なら以前から熟知していたことではあろうが、同国の新入生選抜システムは元々日本のそれとは大きく異なっているようだ。近年でこそ、東大などでもごく一部の新入生を特別枠の推薦入学制度によって採用するようになってきたようであるが、日本の場合、有名国立大学の場合には、専ら一般入試で新入生を選抜するのが従来の習わしであった。そこには日本社会ならではの「平等性の概念」が強く働いていたからでもあるが、昨今ではそんな一般入試にも経済格差が大きく影響するようになり、平等性が失われつつあることが問題となってきている。また、これも以前から指摘されてきたことであるが、暗記力依存の表面的知識量の多さのみで合格者の決まるペーパー入試では、極めて特異な能力や個性を具えもつが、一般入試には不向きな人物が振り落されることは必然であった。<br />
　そんな状況に鑑みれば、佐々木麟太郎氏のスタンフォード大学進学関連ニュースを契機に、日本のそれとは理念的にも異なる一面をもつ米国の入試制度を知っておくのも一興だろう。また、その制度について今後日本が見習うべき点があるとすれば、それはそれで冷静に受け止めていくべきだろう。もちろん、両国の国情の相違を考慮すると、従来の日本の制度にもそれなりの利点はあるはずだから、そこは慎重な対応が求められもしよう。<br />
（学生をあらゆる面から調査）<br />
　米国のトップクラスの大学は、昔から個々に自立した運営方針に立脚してきているため、どこも独自の伝統的な入試制度を具えもっている。各大学によってその適用割合に幾分の相違はあるものの、どこも三様の選抜方法を併用し、多様な人材の確保を図る配慮がなされている。<br />
まずは、全合格者数の一定割合を全米統一検定試験の成績を基に選抜する。当然その選抜試験では成績上位者ほど有利なわけで、その点に関しては日本の大学入試制度と共通するものがあると言ってよい。次に登場する合格者選考法は、同じく一定割合を、ある学術分野の研究や特殊技能に稀有な才能を有する者を採用する方法、日本風に言えばいわゆる「一芸入試」による選抜システムである。そもそも、ある時期から日本の大学などでも一芸入試が採用されるようになったのは、米国などのそんな選抜法に倣ったからにほかならない。そして残るひとつが、その人物の豊かな人間性や優れた人格を多面的かつ総合的に評価したうえで特定数の合格者を決めるという、社会的資質重視の選定手法である。<br />
　だだ、ここで我われが注意しなければならないのは、米国トップクラスの大学などにおける後者２枠の合格者選抜法は、現在日本国内の大学で遂行されるようになっている推薦入試や、一芸入試的な側面を具えもつ総合選抜入試（いわゆるＡＯ入試）とは本質的に異なっているという事実である。国内の推薦入試や総合選抜入試では、形式的で通り一遍な応募書類や、ごく表面的な短時間の面接のみを通して選考が行われているが、米国の大学の場合そうではない。慎重かつ厳格な伝統的選抜システムに基づいているからなのである。<br />
　米国の一流大学には、特定学術分野の研究や特殊技能に稀有な才能を有したり、豊かな人間性や優れた人格を具えたりしている人物を選抜すべく、その制度専属の組織的チームが存在している。それらのチームの専門家は数カ月にも渡って、入学志願者らの詳細な能力調査や身辺調査、さらには長期にもわたる徹底した面接調査を実践し、そのうえで合格者を選定する。またその選考過程では、国際的に張り廻らした人材探知ネットワークを基に、他国に散在する特異な才能に恵まれた人物に大学側からアクセスし、好条件を提示して自大学への入学を積極的に勧誘する手段などもとられる。佐々木麟太郎氏のスタンフォード大学への進学などは、そのような背景があってこそ実現したものに違いない。<br />
それら三様の選抜法を介して合格した学生らは、大学に進学後はそれぞれの長所を生かしながら多様な交流をもって相互に扶助し合い、その一方では互いに切磋琢磨を繰り返す。そして、極めて厳しい一面はあっても十分に恵まれた学術環境のもと、未来に向かってそれぞれの才能を磨き上げ、大きく開花させていく。大学側も常にそのような展開を想定しながらその学術研究体系の運営を図っているから、大学入学後の体制の甘すぎる日本とは大違いなのである。端的に言えば、総じて「大学まで」の思いが強い日本と、「大学から」の理念が浸透している米国などとでは、高等教育に対する考え方に大きな差違が生じてもいるのだ。大学入学後に広く深い教養を身に付けたうえで、はじめて医学部その他の専門研究分野への進学が許される米国などの大学制度は、日本のそれとは異質なものである。<br />
（両輪駆動が強みの米国の大学）<br />
　あまり知られてはいないが、米国の大学は高度な学術研究に専念するスタッフ陣と、学内に蓄積された応用技術をベースにビジネス的な業務展開に専念し、大学のアピールや多大な運営資金の獲得に貢献するスタッフ陣とに分かれている。まさに車の両輪的な組織構成のもとに大学運営が実践されているわけなのだ。在校生の支払う授業料や国からの補助金はそれなりあるものの、大学独自のビジネス展開によって稼ぐ資金や、各種業界からの莫大な寄付金、支援金は大学のレベル確保とその維持発展にとっては不可欠なものである。後者のスタッフ陣が的確な活動を展開することによって多額な運営資金を獲得することができると、それによって、大学本来の業務を担う前者のスタッフ陣は経済的なことなどを気にすることなく、それぞれの専門研究に邁進することができる。前述した大学入試担当のチームは後者のスタッフ陣の一角を形成していると思われ、佐々木倫太郎氏に同チームが目を付けたのも、先々の彼の飛躍とそのアピール力を睨んでの算段があってのことに違いない。佐々木氏に莫大な奨学金が供せられるのも、そんな背景のなせる業なのだろう。<br />
　大変ではあろうけれども、佐々木氏には、純粋な学業面でも精進して欲しいと思うし、将来米国球界で大成し、さらには現役を辞したあともスタンフォードで修得した文化的諸教養を最大限に活用しながら、国際人を目指す人々の鏡としてその人生を貫徹してもらいたい。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4297/">《時流遡航324》　日々諸事遊考（84） （2024,04,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航323》　日々諸事遊考（83） （2024,04,01）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4295/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 May 2024 17:47:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（能登半島の大地震被災地域へと思いを馳せつつ） 　今年の元日に能登半島一帯が震度７をも超える大地震に襲われ、甚大このうえない災害を被ってから３ヶ月が経過した。被災者の方々のために何かしらお役に立ちたいという気持ちだけはあ &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4295/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4295/">《時流遡航323》　日々諸事遊考（83） （2024,04,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>（能登半島の大地震被災地域へと思いを馳せつつ）<br />
　今年の元日に能登半島一帯が震度７をも超える大地震に襲われ、甚大このうえない災害を被ってから３ヶ月が経過した。被災者の方々のために何かしらお役に立ちたいという気持ちだけはあっても、気力も体力も衰え果てた老身とあっては、最早まともに貢献できることなどありはしない。世の片隅で清貧な生活を送るかたわら、心を痛めながら被災地の一連の状況をじっと見守ったり、雀の涙どころか蟻の涙にも及ばない程度の額の硬貨を、申し訳ないという思いに浸りながらそっと募金箱に挿入したり、ウエッブ上の募金システムを介して赤面するしかないほどに些少な額を寄付したりするくらいが関の山である。<br />
　まだ気力も体力もあった東日本大震災の直後には、難儀覚悟で凄惨な状況に陥っている岩手・宮城・福島の沿岸部一帯に出向き、その折の詳細な体験記を本誌の11年９月１日号～ 12年３月15日号において14回にわたって連載した。だが、今般の能登半島地震ともなると、今更この老体が当地に出向いたところで、復旧作業に専念する方々に多大な迷惑をかけるだけのことなので、遠くからその成り行きを見守るほかはない。既に、公的な救援組織や各種ボランティアグループが現地入りし、被災者の救済や被災地の復旧作業に真摯に対応中のようなので、それら一連の活動が十分に巧を奏すことを心から願ってやまない。<br />
　幼児期から中学卒業時まで鹿児島県の離島で育ったこの身は、例年のように来襲する猛烈な台風や、それに伴う激烈な暴風雨、雷雨、高潮、河川氾濫などに遭遇してきた。時代柄もあって当時の離島の諸々の自然災害対応システムは極めて脆弱だったので、その結果生じる漁船類の損傷、家屋の浸水や流失倒壊、倒木や道路崩壊、長期停電とそれに伴う蝋燭・ランプ生活、食料不足などは幾度となく体験もしてきた。当時その島には現在のような上下水道施設などは皆無で、生活用水は全て地中から釣瓶で汲み上げる井戸水に頼っていたから、台風の直後などは、外部から大量に流入した雨水や木の葉、苔類、昆虫類などの混じった水を当然のように用いていた。ただ、長年のそんな井戸水生活で培われた基礎免疫力の高さの所為か、島民の誰もが体調に異変を来たすようなことは殆どなかった。<br />
　話が些か昔話にずれ込みはしたが、ともかくもそんな台風銀座とでも称すべき離島育ちの身としては、自然の猛威やそれに伴う自然災害というものの凄まじさだけは、身にしみて厭というほどによくわかる。それゆえに、今回の大地震による能登半島一帯の被災者の方々のご苦悩のほどは想像に難くないから、最早何の役にも立てない己の無力さに苛まれるのもひとしおというわけなのである。ただまあ、どんな人間であっても、他者のためにできることにはおのずから限界というものがある。様々なボランティア活動を行う人々に対して、「あなた方のやっていることは偽善行為だ」などと冷徹な批判を浴びせかける者たちもこの世には少なからず存在する。しかし私は、以前から、人助けというものは偽善であっても少しも構わないし、個々の人間がその時々の状況下で無理なくできる範囲のことをすればよいのだと考えるようにしてきている。ささやかな偽善のネットワークこそが相互扶助の原点であるからにほかならない。偽善こそは福祉活動の原動力と開き直ってしかるべきだろう。<br />
（「かなしみ」とは灯る命の証）<br />
　昔日の己のささやかな体験を能登半島の甚大な被災状況に重ね見つつ想いを廻らせるうちに、悲願にも近い一筋の光明がかすかに浮かび上がってくるような気がしもした。自然災害に直面した地域の人々の間に起こる相互扶助の精神や連帯意識の高まりというものは、平穏な日常生活の続く状況からはとても想像のつかないほどに大きく、かつ極めて感動的でさえもある。無慈悲そのものの自然災害に起因する救い難い喪失感の直中にあるにもかかわらず、その痛みを超えて人間本来の強い連帯感に目覚め、ひたすら相互に支え合おうとする人々の姿は、実に気高く、またこの上なく尊いものだとさえ言ってもよいだろう。そして、今まさに、そのような状況が能登半島の被災地域一帯では繰り広げられているに違いない。深いかなしみというものは人々の心を強い絆で結び付けるものなのだ。<br />
　かつて私は「還りなき旅路にて」（木耳社）という旅歌随想集を刊行してもらったことがある。実を言うと、その著作の冒頭部に記載されている「かなしみも　灯る命のあればとて　夕冴えわたる能登の海うみ」という一首は、今から40年ほど前の83年に能登金剛巌門一帯を訪ねた際、西方海上に沈む夕日を眺めつつ、その折の感慨深い想いを詠み込んだ歌であった。まさかその風光明媚な能登の地で40年後のしかも元日において大地震が起こることになろうとは想像などつくはずもないことではあったのだが……。<br />
　この能登金剛の巌門を訪れたのは、ある晩秋の夕暮れのことで、磯辺に降り立つと、遥かな水平線に向かって真紅の夕陽が大きく傾いていくところだった。風は止まり、眼前に広がる西能登の海面はどこまでも凪ぎわたっていて、激しく岩を食む冬場の日本海の荒波からは想像できないほどの静けさに包まれていた。西の空は荘厳な茜色に染まり、赤々と燃え立つ太陽が水平線に近づくにつれて、海面には赤紫色と黄金色の光の帯が煌き走った。<br />
　ほどなく夕陽が水平線の彼方に姿を隠すと、西方の天空にしばし神秘的な黄道光が輝き走り、やがて空も海も息を呑むような黄昏色に覆われていった。刻々と彩りを変えていく空も海も夕陽も、そして黄昏の色も、さらにはそのあとに続く紫紺の空で輝きはじめた星々も、全てのものがかなしいまでに美しかった。私の立つ磯辺の岩を絶え間なく洗う夕潮の囁きもまた、深い哀調を湛えて切々と胸に迫り来るのだった。かなしいまでに夕冴えわたるその能登の海を、私は迫る宵闇をものともせず、いつまでも独りその場に佇み凝視し続けた。そして、この「かなしさ」や「さびしさ」は何故生じてくるものなのだろうかと考えもしてみた。自然の景観そのものはもともと無心なものである。それを「かなしい」とか「さびしい」とか感じるのは自然に対峙する人間の心があるからにほかならない。この大宇宙の滴とも言うべき私という人間の体内に灯る命の火があるからに違いない。<br />
　たとえそれが深い絶望につながるかなしみであったとしても、いや、むしろ、そんなかなしみであればあるほどに、そう感じる人の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに相違ない。深いかなしみが命の灯火の輝きの証であるならば、「かなしみ」や「さびしさ」をより多く背負う人間ほどいまを激しく生き抜いているのだと言えないこともない。「そんな人間こそほんとうはより命を輝かせて生きていると言えるんだよ」という、無言の励ましの言葉をその夕冴えわたる晩秋の能登の海うみは私に贈ってくれているように思われてならない――まぁ、そのような深い想いを詠み托した歌だったのであるが、その折の心象風景が、今かなしみを超えて懸命に生きる能登半島一帯の人々の姿と重なって見えもしてくるのだ。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4295/">《時流遡航323》　日々諸事遊考（83） （2024,04,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>《時流遡航322》　日々諸事遊考（82） （2024,03,15）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4291/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 23 Apr 2024 05:57:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（増えすぎた国内大学の閉校や再編成は最早避けられない） 　これまで度々指摘してきたように、04年の国立大学独立行政法人化と並行して実施された大学設置基準法の改正及び同法の規制緩和処置に伴い、国内の大学数は８００校を超える &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4291/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（増えすぎた国内大学の閉校や再編成は最早避けられない）<br />
　これまで度々指摘してきたように、04年の国立大学独立行政法人化と並行して実施された大学設置基準法の改正及び同法の規制緩和処置に伴い、国内の大学数は８００校を超えるまでに急増してきた。その結果、長年の少子化傾向に起因する近年の大学進学年齢者層の急減によって定員割れを起こし、多くの大学が存亡の危機に瀕しつつある。その典型事例として最近一部マスコミ誌などで報じられているのが、故安倍晋三氏ゆかりの「加計学園系列」に属する千葉科学大学である。経営危機に陥った同大は、救済策として地元の銚子市による公立化を求めているが、どう考えてみても公費の一大浪費としか言いようがない。そんな法外な要請に対しては、毅然とした対応で臨むべきだろう。同大に関しては、以前からその授業レベルについて、最早大学の体を成していないという話が噂にものぼったりしていた。科学大学とは名ばかりで、たとえば数学の授業などでは中学生や高校初学年レベルの教科内容を講義することもしばしばであるという。もちろん、その種の事例は千葉科学大学にとどまらず、国内各地のかなりの数の大学においても起こっているらしい。<br />
　ただ、いまその存続が危ぶまれているのは地方の大学ばかりでなく、大都市圏内の諸々の大学でも同様で、指定校推薦制度、公募推薦制度、総合選抜入試制度（いわゆるＡＯ入試）などに大きく依存し、ひとりでも多くの入学者を確保しようと足掻き苦しんでいるというのがその実情に他ならない。現実的な視点に立って厳しい見方をするならば、それら特別な入試制度によって入学してくる学生は、多々例外はあるものの、全般的には一般入試による入学者よりも学力レベルが低いというのが実態のようである。そんな一連の流れが大学全体の教育水準低下に拍車をかけることは目に見えており、やがてその負の影響が日本の学術界や教育界全般に及び、大幅な国力低下へと繋がっていくだろうことは否めない。真の意味での学術・教育立国をめざすためにも、この際、国内の大学数の削減や再編成はやむを得ないことであり、国民も真摯にそれらの問題に目を向けるべきだろう。また、かつて異常なまでの数の大学新設を意図的に容認した文科省官僚をはじめとする国家官僚らの所業にも、あらためて批判の目を向けるべきではあろう。この国の学術行政の根本的な見直しは、今や避けることのできない喫緊の課題なのである。<br />
　すべての私立大学には私学助成金というかたちで多額の国費が投入されている一方で、地方の国立大学などでは国から投与される運営費の大幅削減に伴い、その研究力や教育力が低下し、大学の存続そのものが危惧される状況になってきている。だが、国内の経済格差が一段と大きくなった昨今では、厳しい生活下に置かれている地方の優秀な高校生などが、卒業後に大都市部の国公立大学などに進学することは難しくなってきている。そのため、その対応策としても、学費も安く現地通学も可能な地方国公立大学の維持とその研究教育力の充実を図ることは、絶対的な優先課題にほかならない。そうでなければ、地方育ちの多くの貴重な若手人材が、先々その生来の高い潜在能力を開花させることもなく終わってしまい、結果的にそれは国力の損失や低下へと直結してしまうからである。<br />
　厳しい言い方になるかもしれないが、大学進学年齢者層減少の日本の国情を考慮するとき、異常なまでに増加した私立大学をはじめとする大学の多くが今後閉校となっていくのは必然の流れでもあるから、敢えてその状況を抑止する必要などないだろう。それによって幾らかでも余裕のできるかもしれない教育関係の国費や公費のほうは、真の意味で必要不可欠な学術研究費の補充へと転用するようにしてもらいたい。<br />
　さらにまた、それらの問題と並んで、大学というものを何かしらの学術的研究を実践する場だと考えるよりも、単に卒業資格を得ることだけの場だと考える学生のほうが多くなってきてしまっている現状についても一考し直す必要があるだろう。海外先進国の大学の多くでは、入学直後から猛勉強を必須の前提とした厳しくかつ徹底した指導と研鑽がなされ、それらに対応できない不適格者には容赦なく留年や強制退学が求められるシステムになっている。要するに、大学の研究教育課程においては、厳格な規制のもと、長期にわたる真剣な学びを通して一定の条件をクリアしなければ、卒業は無論、進級さえもできない制度になっており、その結果、中途退学者も続出するわけである。入学したら余程のことがないかぎり卒業できる国内の大学とはその点で大違いなのである。<br />
卒業論文ひとつをとってみても、日本の場合には就職活動終了後から卒業までのごく短期間に付け焼刃的に仕上げることが常態化しており、学生にとっても、大学にとっても単なる通過儀礼と化してしまっている。大学での研究業績評価などを基にして卒業後に就職先の決まる海外の場合とは異なり、日本の諸企業や諸組織などが、大学新卒者採用の際に卒業論文などの内容を評価の材料とすることなど皆無に近い。問われるのは何処の大学を卒業したかとか、当該企業や組織体への就職を何故希望したのかとか、将来の夢は何なのかとかいうくらいのものである。<br />
（大学システムの厳格化が不可欠）<br />
　ともかくも、これから国内の大学や大学院で学ぶ学生諸氏には、そのような日本の学術研究教育界の現状を十分に認識したうえで、国際的な交流を通じて海外の学生らとも切磋琢磨しながら、長期的展望に立って弛まぬ精進を積みゆくことを願ってやまない。さらにまた、諸大学の指導者らには、たとえ一時的に不満や批判が高まることになろうとも、学生らを真の意味での学問の世界へと導き誘(いざな)い、その奥行きの深さを悟らせるため、海外の先進大学並みの厳しい研究教育課程を構築してもらいたい。日本の国力強化にとってそれは必要不可欠なことであり、また、学術・教育立国を目指すにはそれしか適切な道は残されていないからである。そもそも大学とは単にそこでの生活を楽しむだけの場ではない。<br />
　いまひとつ大学や大学院の研究力や教育力の充実にとって重要なのは、優れた研究者や教育者の選抜と確保であるが、現在にみる異常なまでの実務家教員の増大は問題だと言ってよい。一定数の優れた実務家教員は必要であるが、過去に本格的な学術論文の執筆経験などもなく、ただ自らの社会経験だけを得意げに語るだけの大学教員が跋扈するようになった現状は憂慮すべきであろう。以前に詳述したように、大学設置基準法の教員条項第５項を拡大解釈することによって、安易に実務家教員が誕生できるようにしたことが原因なのだが、その影響を受け、本来重視されるべき基礎学術研究部門や人文科学研究部門の教員ポストが激減している。一流大学の博士課程を好成績で修了した者でさえ勤務先が見つからないばかりか、博士課程への進学者自体が激減しているのは大問題だと言うしかない。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4291/">《時流遡航322》　日々諸事遊考（82） （2024,03,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航321》　日々諸事遊考（81） （2024,03,01）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4289/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 23 Apr 2024 05:55:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（日本の学術研究分野衰退の徴候とその背景を憂慮する） 　将来的に国家を支える諸々の分野の研究開発とそのための優れた人材の育成は、大学や大学院の研究・教育機関に課せられた不可欠な役割に他ならない。だが、大学や大学院の数だけ &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4289/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（日本の学術研究分野衰退の徴候とその背景を憂慮する）<br />
　将来的に国家を支える諸々の分野の研究開発とそのための優れた人材の育成は、大学や大学院の研究・教育機関に課せられた不可欠な役割に他ならない。だが、大学や大学院の数だけが異常なまでに増加した一方で、国際的に見て明らかにその研究力や教育力が衰退しつつある日本の現状については、真摯な対応が求められよう。教育の平等性や教育の機会均等性が叫ばれ、その実現に向かって行政的配慮がなされてきたのはよいが、その結果として高等教育機関における学術研究の水準が大きく低下してきたとなれば話は別である。<br />
絶対解も、また容易な解決策なども元々存在しない課題に立ち立ち向かう学術研究の場は、教育の平等性の色濃い高校期までの義務教育的な場とは異なっている。厳しい競争やそれに伴う研究能力の格差、個々の研究者や教育者が目指す方向性の相違などが存在しても当然の世界なのである。その意味では、特定の研究教育機関に特別な期待や評価が集中するのは必然の流れであり、そこに多額の研究資金が集中投入されるのもやむを得ない。問題は、一連のそんな状況を国民も十分理解したうえで、国際的な競争にも耐えられ、国力の維持向上にも応えられるような研究教育体制を、如何にして構築していくかである。ただ、教育問題というと一般人が口を差し挟みにくい領域だけに、話は甚だ厄介なのだ。<br />
　２００４年の国立大学の独立法人化が契機となって、各国立大学は独自の自由な経済活動が実践できるようになった反面、国から支給されていた従来の運営資金を徐々に削減されることになった。また「選択と集中」の名のもとに競争資金獲得制度なるものが設けられ、社会的に役に立つと見なされる研究に多くの研究費が配分されることにもなった。<br />
表向きはもっともらしい学術政策のようにも思われたのだが、この政策の実施により大きな負の影響を受けたのは基礎学術研究分野であった。独自に経済的な利益をあげるため、諸大学での研究は、比較的短期間で研究業績が提示しやすく、また民間へのアピール力も強い各種応用技術研究分野へと力が入れられるようになったからである。また、「役に立つ研究」に集中的に研究費を配分するという政策そのものにも根本的な問題があった。そもそも「役に立つ」という発想は過去の社会的価値判断に立脚するものであり、大きく未来を睨んで的確にその裁定を行える人物など皆無に等しいといってよい。御用学者や学術研究の現場を知らない役人らの御都合主義や事なかれ主義に基づく判断がまかり通るだけの話である。<br />
　一方、そんな状況下にあって甚大な負の影響を被るのは基礎学術分野の研究に他ならない。地道で厳しい試行錯誤の研究を繰り返しながら、まったく未知の事象の探究に挑む基礎学術分野の研究は偶然性に左右されるものも多く、また生涯をかけて行うようなものも少なくない。４～５年の短期間で成果をあげられるようなものは殆ど無いと言ってよい。また、仮に比較的短期間で何らかの研究成果が得られたとしても、それらが即刻実用的な価値をもつようなことは稀である。たとえば、私の知人の東京農工大教授で、ナナフシの繁殖生態を解明した人物がいる。行動範囲の狭いナナフシが広い地域にわたる繁殖力を持つのは、鳥類に捕食され消化されたあと、糞に混じるかたちで卵が排出されそれが孵化するからだという事実を突き止めた同教授らの論文は著名な英国学術誌「ネイチャー」にも掲載された。生物学の研究にとっては極めて重要な発見であり、基礎学術研究を重要視する海外先進国の大学などなら、その成果に対しそれなりの研究費が支給されることだろうが、昨今の日本の学術界ではその研究意義などはほぼ無視され、何の評価もなされていないようである。<br />
多くの場合、地味な研究に明け暮れする基礎学術研究の分野であるが、たまに従来の知見を一変させるような大発見が行われ、それによって社会に一大発展がもたらされるのもまた、その研究分野の特質に他ならない。世界の先進諸国が応用学術研究分野と並行し、長期的展望のもと基礎学術研究分野を重要視しているのは、そのような背景があるからなのだ。基礎学術研究を軽んじる国が国際間で長期的発展を実現するのは至難の業である。<br />
　ところが、昨今の日本の学術研究においては、基礎学術研究分野は無論、応用学術研究分野においても長期間を要するものは軽視され、短期間に実用性や実益性を誇示できるような応用研究だけが重要視されるようになっている。各大学に運営資金が十分に給付され、研究者が基礎学術に専念することのできた一昔前の日本の学術研究界の姿など、今や夢物語と成り果ててしまったのだ。かつてはそれぞれにユニークな基礎学術研究を実践していた地方の国公立大学などの多くが、目に見えて研究力を失っていきつつあるのは嘆かわしい限りである。その必然の結果として、大学院博士課程などを修了した若手の優れた基礎学術研究者らの勤務先がなく、海外にそれらの頭脳が流出するか、折角の才能を無為に枯死させてしまうかのような事態が次々と生じてきている。<br />
（新設大学急増の背後に何事が？）<br />
　海外先進国の大学が入学後の厳しい教育課程に基づき容赦ない進級抑制制度を設けているのに対し、日本の大学はたとえ有名大学であっても、一旦入学を果たし得たら余程のことがないかぎり卒業することができる。大学の卒業後にその人物の研究業績や諸能力を評価して採用を決める欧米先進国企業と異なり、国内の企業は青田買いを行い自企業へのインターンシップなどを奨励もする。そのため、大学３・４年生ともなると就職活動が優先され、腰を据えて研究課題と取り組んだり、将来不可欠な深い教養を修得したりすることは二の次となってしまう。大学院修士課程などでもその傾向は同じである。そう考えてみると、近年、総じて日本の大学教育の水準が劣化し、欧米先進諸国ばかりでなくアジア先進国の大学にも後れを取るようになってきているのも、必然の流れではあるのだろう。<br />
　国立大学の独立法人化が進められたのと並行して、それまで厳格そのものだった大学設置基準法の規制が大幅緩和され、私立大学の新設や既存私大の学部増設が異常なまでに促進されたのも問題だった。それらの大学の教育内容など論外で、その殆どが国家官僚らの天下りの場や、直接の天下りが禁止されている各省庁傘下の団体への迂回路として一時的に身を寄せる場と化したからである。しかも、そんな実態をカモフラージュするため、新聞、雑誌、テレビなどの著名なメディア関係者を客寄せパンダ兼隠れ蓑とすべくしてそれら新設大学の教員として取り込み、巧みに大学設置基準法緩和政策に対する批判を封じもした。ある時期から大学教授・准教授等・講師などを称するテレビコメンテータなどが異常なまでに増加したのも、そんな隠れた背景があったからである。文科省主導による大学教員資格条項第５項の意図的拡大解釈を含めた一連の事態の詳細については、本連載記事の22年１月15日号～23年３月15日号における全７回の論考をご参照願いたい。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4289/">《時流遡航321》　日々諸事遊考（81） （2024,03,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>《時流遡航320》　日々諸事遊考（80） （2024,02,15）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4285/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Mar 2024 23:25:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（国力の衰退とどう向き合っていくべきなのか） 　国際間における日本という国の存在感が低下したと囁かれるようになって既に久しい。その要因のひとつは、急速に進む少子高齢化が要因の労働力不足にあるとも言われているが、その実態の &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4285/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>（国力の衰退とどう向き合っていくべきなのか）<br />
　国際間における日本という国の存在感が低下したと囁かれるようになって既に久しい。その要因のひとつは、急速に進む少子高齢化が要因の労働力不足にあるとも言われているが、その実態の深層に目を向けると、話はそんな単純なことではなさそうだ。全ての生命体にとってそうであるように、一定の生存圏内に存在し得る生命体の個体数にはおのずから限界が伴う。常にその個体数が増加し続けることを前提に物事を考えるばかりか、限界域に到達した生命体個々の生存環境の一層の良化を必須条件としながら、その生命体の未来の飛躍的発展を希求するなど、どう考えてみても無理な話で自然の摂理に反している。太古以来のこの世の儚い変遷の姿を想えば、特定の生命種の限りない繁栄が確たるものとして保証されることなどあろうはずもない。我われ日本人などはとくに、「諸行無常」とか「盛者必衰の理」とかいった、平家物語冒頭部の有名な文言などの秘め持つ意味を今一度しっかりと噛み締めてみるべきだろう。それらは単に古典文学を感銘深く彩るだけの飾り文句などではなく、時代を超えて人心の増長を諌め諭す箴言だからなのである。<br />
　日本人若年層の結婚生活観の変容に伴う少子化現象の進展や、国の経済的発展の負の要因とも言われる後期高齢者層の増大などに焦点が絞られ、新生児の出生率を高めたり、高齢者への福祉対策費削減に繋がる特別な政策が実践されたりもしてきている。経済力維持を狙う当面の処置としてそれらの政策を掲げる意図は理解できなくもないが、より長期的観点に立ってみた場合、真の意味での国の安定化にとってそれら一連の政索がどれほど有意義であるかについては疑問も湧いてくる。今後どこまでも経済的発展が続き、それを支える労働力のほうもどんどん増大し続けることを期待するなど非現実的だからである。<br />
　以前は日本のお家芸だった先端技術力の低下や労働力不足のゆえに、国内の諸産業部門が衰退の危機に見舞われているのは紛れもない事実である。かつては世界第２位を誇り、近年中国に大きく抜かれて第３位に後退したＧＤＰではあるが、現在では西ヨーロッパの最強工業国であるドイツにも抜かれそうになってきており、程なく世界第４位に後退することは間違いない。さらにまた、国民総数で中国を抜き世界一の人口を抱えるようになった一方、経済発展も著しいインドに追いつかれるのも時間の問題だろうと言われている。<br />
ただ、その人口が我が国のほぼ半数であるにもかかわらずＧＤＰで日本と肩を並べるようになったドイツの状況や、人口数やＧＤＰは日本より遥かに少ないにもかかわらず、経済的にも文化的にも安定した国々が存在していることを思うと、ここは冷静沈着な対応が必要ともなるだろう。人口減少や経済規模縮小の事態を前にして、ひたすら国内人口やＧＤＰの再増大政策のみに望みを托そうとするのは、どう考えても賢明な策とは思われない。たとえ将来的に国内人口が半減し、さらにはＧＤＰが大幅に減少してその国際的序列が10位20位と著しく低下してしまおうと、それなりに豊かな生活環境と文化的水準とを保持する方策は存在するに違いない。しかしながら、国を挙げてその打開策を真摯に模索検討したうえで、定めた方策を国是とし将来的な国家の安定を図っていくには、少なくとも20年、30年先を睨んだ長期的展望に立つことが必要不可欠となるだろう。短絡的展望のみに振り回され、場当たり的社会政策の展開へと追い込まれてはならないのだ。<br />
　日本の労働人口が激減し、ＧＤＰに象徴される国家的経済規模が縮小してしまったとしても、国内の自然環境が安定していて、国際的に見た文化的水準も高く、また先進諸国のそれと較べ国民１人当たりの平均所得や生活水準にも極端に大きな較差が見られないようなら、それはそれで十分に肯定できる情況ではあろう。むろん、全体的な諸環境の変化に伴い、一時的には苦境に陥る企業なども少なからず生じたり、国民全体の生活水準がそれなりには低下したりするかもしれない。だが、そこは国民の皆が相互信頼のもとで真摯に扶助し合い、国家全体の未来の安定化に専念傾倒していくべきであろう。<br />
（教育立国の理念はよいのだが）<br />
　資源国家ではない日本が国際的に立ち行くには、教育立国、さらにはその延長上にある科学技術立国としてその存在意義を高めていくしかないと、以前から繰り返し提唱され続けてきた。むろんその主義主張に間違いはないし、今後ともその観点に立って国策を進めることは不可欠なのだが、昨今はその実践を根底で支えてきた従来の状況にかなりの変化が生じてきている。その最たるものが教育界、学術界全般にわたる研究教育環境の劣化や、それに伴う研究力や教育力の驚くほどの低下である。研究や教育の世界というものは、通常、一般国民が気軽には近寄り難いところだとされているだけに、何か問題が生じてもついついその実態が見逃されてしまいがちなものなのだ。ただ、事ここに至っては、国民の誰もが真剣にこの種の重要テーマと向き合っていかなければならないだろう。<br />
　教育の平等性や機会均等性などが国民にとって肝要なものであることは、今更ここで述べるまでもない。その見地からすれば、既に若年層の大学就学率も50％を大きく超えた教育立国としての日本の現況は、それなりに評価されてしかるべきである。だが、それにもかかわらず、我が国の学術研究力や教育力に少なからぬ翳りが見えてきているのは何故なのだろう。実を言うとその背景には、表向きの教育の平等性実践が抱える難題が潜んでいるからなのである。日本の初等中等期の教育にみるような義務教育の徹底化が、日本国民全体の基礎学力向上や、社会生活上不可欠な知識の習得に貢献してきたことは間違いない。だが、高度の専門化が不可欠な大学や大学院での高等教育分野となると話は全く別なのだ。<br />
　２００４年の国立大学独立法人化が転機となって、大学設置基準法の改正や厳格な既存の諸基準に対する便宜的拡大解釈がなされるようになった結果、国内では異常とも言える大学設立ラッシュが湧き起こり、各種私立大学をはじめとする玉石混交の新大学や新学部の設立が次々と推進されていった。そして遂には、国内の大学の数は４年制大学のみに限っても８００校を超えるまでに至ったようなわけである。それらの大学の教育内容や研究内容の質を問わないさえすれば、大学進学志望者の全員入学が可能な状況になったわけであり、教育の平等化や教育環境の均等性という視点からしてみると、それは評価されるべき流れではあったのだろう。だが、現実はそう生易しいものではなかったのだ。<br />
　真に優れた教職員の人材不足、独立行政法人化に伴う国立大学への運営費供与額の削減、急増した私立大学への大量な私学助成金の配分問題、そして入学してからが厳しい海外先進諸国の大学のそれとは異なり、国内大学の入学後の教育制度の甘すぎる実態――それらの要因が複雑に交錯し、日本の大学の教育力や研究力の著しい低下を招くことになったのだ。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4285/">《時流遡航320》　日々諸事遊考（80） （2024,02,15）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>《時流遡航319》　日々諸事遊考（79） （2024,02,01）</title>
		<link>https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4283/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[STUFF]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Mar 2024 23:24:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[時流遡航]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.nansei-shuppan.com/wp/?p=4283</guid>

					<description><![CDATA[<p>（フェイク情報の飛び交う現代社会を生き抜くには） 　映像技術が飛躍的な発展を遂げる以前は、「写真は嘘をつかない」とか「記録映像は事実を語り伝える」とか称されもし、それら一連の映写技法は諸々の社会的事件の真偽を考察する際の &#8230; <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4283/">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4283/">《時流遡航319》　日々諸事遊考（79） （2024,02,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>（フェイク情報の飛び交う現代社会を生き抜くには）<br />
　映像技術が飛躍的な発展を遂げる以前は、「写真は嘘をつかない」とか「記録映像は事実を語り伝える」とか称されもし、それら一連の映写技法は諸々の社会的事件の真偽を考察する際の最後の拠り所とされてきた。そして、人々はそれらの技法よってもたらされる諸映像に深い信頼を托してきたものである。もっとも、そんな昔日の時代にあっても、「写真や映像こそ嘘をつく」と断言して憚らない旧知の写真家などもあったものだ。その人物は、ある出版社からの要請で白いハンモックに身を委ねた若き日の広末涼子の姿を撮影したこともある著名な写真家だっただけに、写真や記録映像というものには、撮影者の主観や創作編集の意図が少なからず紛れ込むものであることを自覚してもいたからだろう。また、自らのようなプロの写真家がその気になれば、素人には本物としか思われないような偽装写真を生み出すことなども難しくはないと確信もしていたからに違いない。<br />
だが、そんな人物らの想像力をも遥かに超えた映像制作技術の発達に伴い、最早、時代は、「事実や真実を超越することこそが映像制作の命！――映像の目的は、その真偽にかかわらず人々の想像を超越した世界を広く提示してみせることである」と極論してもよさそうな段階へと突入した。しかも、その傾向は映像の領域のみに留まらず、文系理系の枠を超えたあらゆる言語文化や思想表現の世界、さらには人間社会全般を根底で支える先端科学技術の領域にまで及ぶようになった。なかでも諸々の科学研究やそれらに伴う科学技術というものは、専ら真理の探究に貢献するものとして崇められ続けてきただけに、想像を超えた一連の事態の変容に対応するには、従来とは異なる見識が求められよう。これまで我われは、科学の世界で扱われる諸知識をほぼ無条件で正しいものとして受け入れてきたのだが、最早そうばかりもしてはおられなくなってきたからである。<br />
試行錯誤の連続を常とする自然界対象の基礎科学研究分野ならまだよいが、応用科学の領域、なかでも情報科学のような世界ともなると、既に何処までが真実で何処までが虚偽であるのか専門家にさえも容易には判断がつかない事態が続発してきている。ウクライナやガザでの紛争に関し両陣営から発せられる真贋判定の困難な映像やニュース類の乱舞、先進諸国における政治的フェイク情報の流布合戦などは忌まわしいかぎりである、さらにまた、スーパーコンピュータや生成ＡＩシステムを駆使し、ジキルとハイドの両側面を持つ理論統計学や複雑系理論を多重に絡め介して次々に導出される妥当性判断の不可能な情報の拡散など、最早その類の社会現象を抑制することは不可能なのである。端的に言えば「科学もまた堂々と嘘をつく時代」を迎えるに至ったということになるのだろう。<br />
そう考えてみると、現代社会は既に救い難い絶望的な状況に陥っているようにも思われるのであるが、ただ、だからと言って、必ずしもその判断が絶対的に正しいものだとも言い切れない。ＳＦ小説などがその典型であるように、虚構の空間が先導役を務めてくれることによって、後々の世界の一大発展に繋がる社会的エネルギーや革新的技術などが生みもたらされることも少なくないからである。ここは今一度冷静に人間の本性に立ち返り、一筋の光明でも見出すべく、少々開き直って発想の転換を図ってみるのも必要なことなのかもしれない。そもそも、嘘をついて他者を騙したり、逆に騙されたりするのは生来人間の具え持つ特質のひとつであり、過去の歴史を顧みても、それらの習性が常に人間社会にとって負に作用するばかりだとは限らないことも明らかだからなのだ。もともと、我々人間は騙し騙されることによって巧みに個々の人生を歩み重ね続けてきてもいる。皮肉な物言いにはなるのだが、「正直者はバカをみる」という諺を裏返しにした「嘘つき者は得をする」という資本主義的現実があることもまた衆知の事実にほかならい。<br />
（事実と虚構の間を彷徨う人間）<br />
　長年にわたって培われた社会的倫理概念の立場からすれは、諸般にわたる各種情報類は極力真実に近いものであるべきだというのが通念ではある。だが、人間の認識能力の限界を補足するべくして生じる想像力や空想力、さらには妄想力のなせる業により、どんな情報にも幾らかの虚構が紛れ込む。百パーセント真実からなる完璧な情報など始めから存在していない。それゆえ、たとえ悪意はなかったとしても、人間というものは何時の時代も互に騙し合いを続けて来ざるを得なかったわけである。歴然としたそんな事実があるにもかかわらず、現代社会においてフェイクニュースなどが大問題となっているのは、生み出される虚構のレベルがあまりにも壮大かつ深遠だからに違いない。また、騙すにしろ騙されるにしろ、あまりの完成度の高さゆえに何処か人間離れしたとろのあるフェイク像に、極度の違和感を覚えたりするのもその一因ではあるのだろう。<br />
　だが、そうだからと言って、一連のフェイク情報の類をどんなに規制してみても、それらの拡散を抑制することは最早不可能な話である。そもそも高度な科学技術の集積体でもある虚構情報群には数々の利点もあり、未来社会の創造発展にも繋がる要素も多々含まれる。長期的な視点に立てば、未来に向かってそれらを活かしていくしかないだろう。もしそうだとすれば、この際ちょっとした発想の大転換を図ってみるのも一興かもしれない。<br />
　今後の人生にとって騙し騙されることは必要不可欠な必然の流れだと開き直り、真実とか事実とか称される類の雑念を不純なものとして一切排除するように心掛けたとしてみよう。また、そんな理念を掲げた衆人からなる社会があったと考えてみよう。一考したかぎりではそれなりに筋の通った世界ではあるように思われるのだが、事はそんなに甘くはない。極力、真実や事実なる俗念を排除しようとしたにもかかわらず、それら真実や事実なるものの要素が虚構像や虚偽情報群の中に紛れ込んでくるからだ。また、数々のフェイクニュースやフェイク情報こそが命とされる社会にあっては、徹底的にその存在意義が否定されるにもかかわらず、真実や事実のかけらが直接には認識し難い様々な姿をとって密かに忍び込んでくる。そして、やがては手の込んだトゥルーニュースやトゥルー情報となって虚構社会を揺るがすことにもなるだろう。巧みに構成された真実や事実からなる情報群が衆人を変に覚醒させ、守るべき虚構社会を蝕み崩壊させていくというわけだ。<br />
　いったい我々は「事実社会」と「虚構社会」のどちらを選択すべきなのだろう。その問いかけには絶対解など存在せず、詰まるところはそれら両者の間をば、迷いふらつきながら歩み進むほかはない。真実もあり嘘もある世界を宿命として受け入れ、時に応じて真実や事実を重要視したり、逆に虚偽や虚構の直中に立脚点を求めたりしながら、矛盾に満ちみちた人類史を綴っていくしかないのだろう。真実も虚偽も愛するのが人間本来の姿なのである。</p>The post <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp/honda/jiryu/4283/">《時流遡航319》　日々諸事遊考（79） （2024,02,01）</a> first appeared on <a href="https://www.nansei-shuppan.com/wp">南勢出版</a>.]]></content:encoded>
					
		
		
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