ライブドアのトップページに出てくるテーマブログ。今日は全日空のストについて。総じて、利用者に迷惑かけんな、くそが。的な論調である。本当に低脳にも程があるというか、なぜ日本ではスト権についての理解が進まないのだろうか。
僕的には、このスト、気合いが足りなすぎると感じる。時限ストであり、出口を探ると言うよりも、出口が決まっている中で儀式的にやりましたというのが見え見えだからだ。
やるならば、無期限で、ゴールデンウィークまで視野に入れた減便をカードとして持っておくべきだ。
フランスでは、ご存じの通りよくストが起こる。そしてたまに、企業や国が潰れるような洒落にならないゼネストなんかもあったりする。主体は公務員や国営企業(国鉄、エールフランスなど)の労働組合で、理由の多くは既得権を守るためのあまり褒められたものではないのだが、逆に言うとストが出来る身分の人達が正面を切ってストをやるから、概ねストの支持率は高い。あまりむちゃくちゃな理由でストをやると、今度はストに反対するストが発生するという、もうワケのわからない状態になったりもする。
ワールドカップやカンヌ映画祭期間中にストやっちゃったりと、とにかく顰蹙ものなのだが、しかし考えても見て欲しい。資本主義国において、人口構成のほとんどはプロレタリア(自分の労働力を資本家に売るしか生活手段がない人々)なわけで、ゼネストというのは労働者が奴隷化されないための手段なのである。
2005年前後の景気回復期に、莫大な内部留保を抱えていたトヨタやキヤノンの労組は、適切な分配を主張しただろうか? そして今になってゼロ回答をハイそうですか、仕方ないですね、このご時世ですし、といってストもなしにあっさり受け入れるのが美徳なのか?
そして搭乗者でもないのにこの全日空のストに「迷惑だ」とか「こんな時期に」とか言い出す人々。確かに迷惑千万に間違いないし、その場にいた搭乗者なら声を大にして、くそが、と言っていいだろう。しかし、「いやなら辞めればいい」とかストの権利自体を否定するのは民度が低すぎると言わざるを得ない。ヴォルテールの書簡集でも読んだ方がいい。
労使は協力しながらも、常に緊張関係を保っていなければならない。黙って働け、的な権利の主体性を持たない労働形態では、インドや中国に勝てるわけがない。必要なのは、生活の質を最大化する為の労使双方の知恵である。
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http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009021001000110.html
http://www.asahi.com/international/update/0210/TKY200902100041.html
この事件ほどメディアの取材能力の差が見えてしまったケースも珍しいのではないか。朝日はちょっと複雑な殺人事件を疑わせる社会部ネタにしてしまった。果たして、そんなに簡単な事件だったのかは47ニュースを読んでみると判るはずだ。
延命停止のイタリア人女性死亡 「死ぬ権利」さらなる議論へ
交通事故による脳の損傷で17年間昏睡状態にあったイタリア人女性、エルアナ・エングラロさん(38)が、延命措置の中止後、昨晩入院先で死亡した。死亡によって、国会は医師に対してエルアナさんの延命措置を回復するよう先日動議提出された法案の審議を継続するか議論している。
ベルルスコーニ首相は、法案に先だって閣議決定された同様の内容の政令に署名しなかった、左派民主党のナポリターノ大統領を非難し、「彼女は殺された」と語気を強めた。
一方、民主党で、安楽死支持派の上院議員パドゥーカ氏は、「エルアナさんの死は最高裁判決によって勝ち取られた権利であり、彼女と父親が心から望んだ結果である」とし、「父親は法的根拠を得るために、正当な手続きを踏んで14年間法廷で闘った」と、92年に親友の死に立ち会った際に、エルアナさんが家族に語った延命治療に関する遺志の正当性を訴えると同時に、ベルルスコーニ政権が法王庁と市民感情に便乗して、4年前から安楽死の罰則強化に乗り出した動きを強く非難した。
エルアナさんのケースを巡っては政党を超えて賛否が分かれ、個別の事案に対して態度を明確に示さない法王庁の意志の解釈についても、長期にわたって国論を二分する議論が続いている。
バチカンのロザノバラガン保険相は、「主は彼女を天国に快く迎え、彼女をそこに送った人々を赦すだろう」とコメントしている。