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        <title>時代小説県歴史小説村</title>
        <link>http://loungecafe2004.com/novels/</link>
        <description>洋の東西を問わず、時代小説と歴史小説を中心に紹介しています。</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2013</copyright>
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            <title>山本博文 監修：あなたの知らない栃木県の歴史</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★☆☆☆☆☆<br />
栃木県の歴史について、全70項目を数名の執筆陣が書き寄せた一冊。<br />
監修は山本博文氏だが、項目ごとの文章のレベル感がまちまちで、全体の統一感に欠けている。<br />
観光ガイドの補助として読む分には十分かもしれない。</p>

<p>さて、興味のあったところだけ。</p>

<p>古代<br />
・群馬と栃木にまたがって毛野王国が広がっていた。<br />
・国宝「那須国造碑」は渡来人がこの地域に移り住んでいたことを示している。<br />
・道鏡は下野薬師寺に左遷されたが、下野薬師寺の役割は大きかった。<br />
・平将門を終息させた藤原秀郷（俵藤太）は下野出身だった。</p>

<p>鎌倉・室町時代<br />
・那須という地名は今の烏山周辺にこそふさわしい。</p>

<p>江戸時代<br />
・南光坊天海が名付けたとされる「明知平」。天海＝明智光秀伝説を裏付ける？</p>

<p>目次：<br />
【第１章】　栃木県の古代<br />
〈時代をよむ 〉 自然が形づくった山と水流に沿って<br />
Ｑ１　根古谷台遺跡から見つかった縄文集落とは？<br />
Ｑ２　「毛野王国」は実在したのか？<br />
Ｑ３　東日本特有の「再葬墓」とはなに？<br />
Ｑ４　六世紀の「下野型古墳」は「下野国造」ゆかりの墓か？<br />
Ｑ５　那須国造碑はなぜ建てられた？<br />
Ｑ６　日光連山にある「男体山」「女峰山」の由来は？<br />
Ｑ７　道鏡はなぜ下野薬師寺に左遷されたのか？<br />
Ｑ８　律令政府の「征夷」がもたらした下野国への影響とは？<br />
Ｑ９　平将門の乱を終息させた藤原秀郷とは何者？<br />
Ｑ10　平安末期に下野の覇権を争った小山・足利氏とは？<br />
もっと知りたい歴史こばなし　「那須国造碑」は長い間忘れさられていた？ </p>

<p> 【第２章】　栃木県の鎌倉・室町時代<br />
〈時代をよむ〉文武で傑出した人材を輩出した中世の下野<br />
Ｑ11　鎌倉から南北朝期に栄えた霊場「日光山」とは？<br />
Ｑ12　女地頭寒河尼が築いた小山氏発展の礎とは？<br />
Ｑ13　「那須与一伝説」が栃木県にとくに多いのはなぜ？<br />
Ｑ14　どうして下野に親鸞の行跡伝説が多いのか？<br />
Ｑ15　宇都宮一族は文化的な鎌倉御家人だった!?<br />
Ｑ16　下野薬師寺を再興した慈猛上人とは？ Ｑ17<br />
下野にあった「日本唯一の大学」とは？<br />
Ｑ18　西の芦屋釜と並び全国を席巻した「天命鋳物」とは？<br />
Ｑ19　小山氏は南北朝以外の「第三の王朝」をめざした？<br />
Ｑ20　名族小山氏を没落させた義政・若犬丸の乱とは？<br />
Ｑ21　「永享の乱」「結城合戦」で遂げた小山氏の復活劇とは？<br />
もっと知りたい歴史こばなし　「世界三大美女」の小野小町は栃木県で死んでいた!?<br />
 <br />
 【第３章】栃木県の戦国時代<br />
〈時代をよむ〉北条・上杉・武田氏に翻弄された群雄割拠から統一へ<br />
Ｑ22　戦国時代に下野を訪れた文化人たちは何を見た？<br />
Ｑ23　古河公方家の内紛時に起こった「宇都宮錯乱」とは？<br />
Ｑ24　戦国時代の下野にはどんな城があった？<br />
Ｑ25　足利学校は「軍師養成学校」だったのか？<br />
Ｑ26　下野情勢を一変させた上杉謙信の関東出馬とは？<br />
Ｑ27　北条氏政の攻勢に大同団結した「反北条同盟」とは？<br />
Ｑ28　足利鑁阿寺領橋本郷の「百姓申状」はなぜ貴重？<br />
Ｑ29　宇都宮・那須・結城氏らを救った秀吉「惣無事令」とは？<br />
Ｑ30　秀吉の小田原征伐で下野の大名地図はどう変わった？<br />
Ｑ31　秀吉が下野で「太閤検地」「刀狩り」をしなかった理由は？<br />
Ｑ32　滅亡寸前の古河公方家はなぜ存続できた？<br />
Ｑ33　宇都宮国綱を見舞った「宇都宮崩れ」とは？<br />
Ｑ34　蒲生秀行はなぜ、会津から宇都宮に移された？<br />
Ｑ35　石田三成挙兵後に催された軍議「小山評定」の中身とは？<br />
Ｑ36　結城秀康を宇都宮に残した家康の真意とは？<br />
Ｑ37　関ヶ原合戦後、奥平家昌はなぜ宇都宮に配置された？<br />
もっと知りたい歴史こばなし　松尾芭蕉も見学した「金売り吉次の墓」があった!?</p>

<p> 【第４章】栃木県の江戸時代<br />
〈時代をよむ〉神君家康を祀る北関東の要衝<br />
Ｑ38　江戸時代の栃木県域にはどんな藩があった？<br />
Ｑ39　秀吉に潰された那須宗家はその後旗本になっていた？<br />
Ｑ40　日本を代表する「足尾銅山」の盛衰とは？<br />
Ｑ41　徳川家康はなぜ久能山から日光山に改葬されたのか？<br />
Ｑ42　"黒衣の宰相"天海が名づけた「明智平」とは？<br />
Ｑ43　日光東照宮神厩舎の有名な「三猿」ってなに？<br />
Ｑ44　日光東照宮を現在の姿にした「寛永の大造替」とは？<br />
Ｑ45　本多正純が改易された「宇都宮釣り天井事件」の真相とは？<br />
Ｑ46　将軍の日光社参とはどのようなものだった？<br />
Ｑ47　朝鮮通信使も日光に参拝していた？<br />
Ｑ48　県域の諸街道整備はなんのため？<br />
Ｑ49　下野に大大名が誕生しなかったのはなぜ？<br />
Ｑ50　特産品「足利織物」は十八世紀にブレイクした！<br />
Ｑ51　農村復興のため行われた「代官仕法」「報徳仕法」とは？<br />
Ｑ52　篤農家・田村仁左衛門開発の「科学的農法」とは？<br />
Ｑ53　「坂下門外の変」の黒幕・菊池教中とはどんな人？<br />
もっと知りたい歴史こばなし　天皇陵を修補して大名に出世した男とは？</p>

<p><br />
 【第５章】栃木県の近代<br />
〈時代をよむ〉大きな変化を強いられた近代の栃木<br />
Ｑ54　下野で行われた戊辰戦争四つの戦いとは？<br />
Ｑ55　徳川の聖地「日光」が神仏分離された経緯は？<br />
Ｑ56　「栃木」の地名の由来は？<br />
Ｑ57　日光金谷ホテルは、元は外国人向け民宿だった！<br />
Ｑ58　日光の観光地化の知られざる歴史とは？<br />
Ｑ59　下野特産「真岡木綿」はなぜ衰退した？<br />
Ｑ60　那須野が原はなぜ開拓された？<br />
Ｑ61　維新の元勲たちの別荘はなぜ那須に造られた？<br />
Ｑ62　栃木県庁が明治十七年に移転された理由とは？<br />
Ｑ63　時代に翻弄された「足利織物」の興亡の歴史とは？<br />
Ｑ64　足尾鉱毒事件を追及した田中正造とはどんな人物？<br />
Ｑ65　なぜ宇都宮市は陸軍第十四師団を誘致した？<br />
Ｑ66　帝国ホテルにも使われた「大谷石」の歴史とは？<br />
Ｑ67　宇都宮餃子の起源は、陸軍第十四師団にあった？<br />
Ｑ68　栃木のＢ級グルメ「じゃがいも入り焼きそば」と「温泉パン」誕生秘話とは？<br />
Ｑ69　栃木県はなぜ東京からの「学童疎開」を受け入れた？<br />
Ｑ70　中島飛行機が宇都宮で生産した名戦闘機「疾風」とは？<br />
もっと知りたい歴史こばなし　陶芸界を震撼させた「佐野乾山」の謎</p>

<p>あなたの知らない栃木県の歴史資料篇<br />
栃木県の歴史略年表<br />
小山氏略系図・宇都宮氏略系図<br />
藤姓足利氏略系図・源姓足利氏略系図<br />
栃木県にあった主な諸藩の藩主変遷<br />
栃木県の成立年表<br />
栃木県基本データ<br />
参考文献</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1-3 日本史（江戸学など）</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★☆☆☆☆☆(星5)</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 28 Aug 2013 21:32:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮城谷昌光： 太公望　下</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★☆☆☆☆<br />
本作は作者にとって、特別の意味合いを持つ作品である。<br />
作者には太公望を扱った小説が二作ある。「王家の風日」「甘棠の人」である。<br />
前作が処女作で、後が三作目である。作者は商（殷）周革命から中国史にはいって作家となっていったのだ。<br />
商周革命を扱ったのは、この革命こそが中国史の原点であると思われたからであるという。そして、二つの小説を書き終えたあと、商王朝は太公望一人に倒されたという感想を持ったのだ。だからこと、太公望を正面から書かなければ、商周革命を書き尽くしたとはいえない。<br />
そして書かれたのが本作である。<br />
つまり、「王家の風日」「甘棠の人」「太公望」のすべてを読んでこそ、宮城谷商周革命記は終了することになる。</p>

<p>【内容】<br />
牧野の兵が沙丘に向かったということは周公を除く三公の陰謀が発覚したということだった。継を助けなければならない。<br />
その継が生きていてくれた。<br />
――やはり三公は沙丘で誅殺された。驚くべき極刑だった。<br />
望の目の眼底に涙がわいた。鬼公が殺された...。<br />
そして、周公が捕らえられたとの情報が入ってきた。周公室の父子はそろって捕縛され、臣下は将兵と戦って死に、周公は獄へ投げ込まれ、嫡子の伯邑考の行方は分からなくなっていた。<br />
周公を救う。<br />
侠気とは違う。商王朝に対抗する力を持っているのが周だけで、ここで周公を失うと周も衰退してしまい、羌族が台頭するきっかけを失う。<br />
――望と小子旦が会った。周公の弟・南宮括も同席した。<br />
望は小子旦に凶事を告げた。<br />
その後、召へ向かうつもりになった。望の頭には常に召のことがあった。<br />
――時代の主役は沈黙し続けている。<br />
周公である。かれこそ周王朝の基礎を築き、のちに文王と呼ばれる人物である。<br />
いまは奴隷収容所内の獄につながれている。周公にとっての凶事は続く。嫡子が殺されたのだ。<br />
その頃、周では二男の発を中心に対策が練られていた。かれこそはのちに武王と呼ばれる人物である。<br />
発は望を知らない。発としてみれば、信用できないが賭するしかなかった。<br />
――馴が費中邸宅に出入りをしている。<br />
その費中が妲己には自分でもはばからねばならないと漏らしていた。<br />
望はそのことに興味を示した。権勢ならぶ者がいない費中をしてそう言わしめるほど妲己が大きくなっている。<br />
望は会えないだろうかと思った。<br />
――恐ろしいものである。<br />
妲己から光輝が放たれているような気がした。いまの艶麗さには直視できないほどの光がある。妲己は力を持ったのである。<br />
望は妲己と話しているうちに、受王が祭祀の職を空洞化してしまおうとしていることがわかった。受王が王朝の体制を変革しようとしていることは明らかである。そのために妲己を利用している。<br />
そして自分も妲己を利用しようとしていると望は思った。<br />
望の戦いはようするに神と世間が相手である。その二つに勝てば、おそらく当面の敵は問題にはなるまい。目に見えぬ敵と戦うことがほんとうの戦いなのだろう。<br />
――蘇侯に望は知恵を授けた。<br />
至上の策とは、それが策とは見えぬような策をいう。費中のような能吏を王宮の外から操るなど非凡さである。<br />
西方の諸侯の訴えを費中がすすんで取り上げ、自分の過失をつぐなう。そういって蘇侯は費中に近づき、西方の斡旋者となり、周公に感謝される。<br />
首謀者の望の影はどこにもない。<br />
蘇侯は胸裡に寒気を覚えた。<br />
――小子旦は望の胸中に描いている未来図が見える男である。<br />
周と商はいずれ戦う。その戦場の一つに何族の支配地がなるだろう。何族が周につけば、商は舟を使うことができない。逆もしかり。<br />
小子旦はそれがわかるだけに、何侯には終始丁重に接した。<br />
――周公が獄から出された。<br />
そしてやがて噂が流れ始めた。噂のもとと、伝播させているのは望である。虚空に受王像と費中像を描き、ことばにして世間へ流した。流言は飛語となる。<br />
――周公は商の東夷征伐の軍が十万と聞いて戦慄した。周軍は一万五千である。<br />
双方が集めるだけ集めると、商が五十万、周が十万である。<br />
周公には勝てる気がしなかった。いまは受王と戦う気はない。<br />
――周王は望に兵略の才があることはなんとなくわかる。だから軍事の意見を求めた。望は周王に戦いを見せた。模擬戦である。そして、一が三に勝つところを見せた。<br />
周王は望に仕えてもらいたいと頼んだ。そして望は受けた。<br />
――勝った。<br />
周軍の突風の様な攻撃で商の牙城が崩れた事実は受王の支配力に深刻な打撃を与えた。そして商王朝崩壊のきっかけとなる。<br />
望が帰途につく中、ひとつの喬木に近づいた。十八年前、望たちがみた喬木であり、月下で黄金に輝いた喬木である。<br />
喬木の下に剣が埋められているので、それをとりにいった。<br />
――望は召伯と会った。<br />
召は周を完全には拒絶はしていなかった。そして羌族となら結んでいいといっている。<br />
――王朝内に反目がある。<br />
その中で周王は崇を攻めた。それは崇侯たった一人を殺しただけの戦いだった。この戦い方を知った諸侯は周の軍門をおとずれ、帰属を乞うた。<br />
周王は河水の両岸を制した。数年のうちに一大決戦が予想される状況になった。<br />
――受王は愕然とした。<br />
だが、周王が崩御した。望はそれを聞き、目の前が暗くなった。受王の運の強さよ。太子発に諸侯がしたがうか。<br />
望は太子の威光を知らしめる方法は一つしかないという。それは召伯を臣従させることである。<br />
周召同盟が成った。<br />
――その出師は武王三年の冬に行われた。<br />
長い商王朝を終わらせる出師であり、中国の古代史の中で一大異変を生じさせる出師でもあった。同時に神政下にある人々を宗教的呪縛から解放することにもなる出師だった。<br />
周軍四十五万。商軍七十万である。<br />
</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.紀元前</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★☆☆☆☆(星6)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮城谷昌光</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">古代中国</category>
            
            <pubDate>Sat, 01 Dec 2012 23:52:26 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮城谷昌光： 太公望　中</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★☆☆☆☆<br />
太公望といえば有名なことわざがある。「覆水、盆に返らず」<br />
太公望が周に仕官する前、女と結婚したが仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。のちに、太公望が斉に封ぜられるようになると、女は復縁を申し出たが、望は盆の上に水の入った器の水を床にこぼして、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。女はやってみたが当然出来ない。「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ。」と復縁を断った。<br />
本当は、漢の朱買臣の逸話を換骨奪胎したといわれているように、まったくの作り話らしい。<br />
というのも、望の時代、本がない。そして、盆もなかったというのが真相のようだ。</p>

<p>【内容】<br />
望に男児が生まれた。伋と命名した。<br />
望は商王朝を倒すために新邑にいくと逢尊に打ち明けた。鬼公は必ず商王から離れるはずである。そのとき、羌族に力を貸してくれるはずである。革命が成功すれば、鬼公が王になる。<br />
逢尊は望が王になれという。庶民から王位についたものがかつている。たったひとりだ。名を舜という。東方の出身であり、商の高祖である。<br />
――望は東方を調べるために出かけた。逢尊は青年をつけた。咺という。奴隷である。春が終わるころ、望の配下は二人になった。牙という童子が仕えるようになった。<br />
秋になること、妻の逢青が女児を生んだが、逢青が亡くなってしまった。望は呆然とし、そして泣いた。<br />
――鄭北で別れた後、ゆくえのわからなくなっていた員が望の前に立っていた。<br />
仍を襲ったが、逆に殺されそうになったのだという。<br />
員の話から商王朝がすべてがうまくいっているわけではないらしいということが判った。人方という異民族が、頑強に抵抗しているのだという。<br />
――鬼公が三公の位についたという。<br />
代わりに九公がおとされた、九公の娘に仕えている継が心配である。商王と九公との間に何があったのか...。<br />
――望が見た新邑は竣工したばかりである。<br />
政治の中心はここに移された。受王もここにいることになるが、このときは不在だった。<br />
討伐の途中で一人の美女を手に入れていた。名を「妲己」といった。</p>

<p>――望は鬼公を訪ねた。猶子の子良が出てきて望を打擲した。<br />
望はこのたびのことで羌族は鬼方と組むべきではないことを教わった。<br />
――商と戦って勝った族がいる。周がそうである。もうひとつ、周と同じく西方にあるのだが、召という。<br />
周公を中心にして商王の力政に反対する勢力が結集する気配がある。この話を望にしたのが周公の子、のちの周公旦である。小子旦は望に挙兵を知ったら親友を混乱させる手を打ってくれないかと頼んできた。<br />
さきに立たず、さきに攻めず、さきに勝たず。それが全てである。望は子旦のために周に献策した。<br />
三公が商王朝打倒の兵をあげても、周公には静観してもらう。中華が乱れに乱れてから腰を上げても遅くはない。<br />
――継を助け出すために望は動き始めた。<br />
その過程で、有蘇氏の公女に会った。この公女こそやがて王朝の命運を左右することになる。妲己である。<br />
――望が蘇侯をしのぐ器量の大きさを持っていることに最初に気付いたのは盲目の史官の磊老であったかもしれない。<br />
磊老は心の目で人物を見るが、その目に収まらないのが望の像であった。<br />
磊老は望に故事を語っていた。帝舜からはじまり、望には生まれて初めて聞く話である。そして、血胤によって王が定められたのではない事実が太古にあった。舜と禹には血のつながりはない。だが禹は王位についた。<br />
人が人を決める。鬼神や上帝が決めるわけではない。商王のもとから諸侯が去れば商王朝は崩壊する。そのことがわかった。<br />
――講和は三回で終わった。<br />
その最後で磊老は伊尹の名を出した。夏王朝を滅ぼし、商王朝を興した本当の人物だという。<br />
その名が出たとき、一瞬であるが室内に清澄の気が立ったように望には感じた。<br />
伊尹とは何者か。伊尹は自分にかかわりがあると感じた。<br />
伊尹は厨人である。それが王の補佐の席にいた。奇蹟といってもよいことだった。庶民が政治を行ったのだ。<br />
滅ぶ側に立つ者はそういう逸材を見えないだろう。伊尹は時の裂け目から現出したような人物である。<br />
時を裂こうとしたのは湯王であり、裂かせまいとしてのが桀王である。それゆえに桀王には伊尹が見えるはずはないと望は思った。<br />
――受王の最盛期は十祀から十五祀までであろう。<br />
その最盛期に差し掛かったころ、王朝転覆の陰謀があちこちで誕生していた。<br />
望は馴の家を訪ねた。家には参がいた。<br />
望はこの参こそが闇の帝王であることをわかっていた。参が仕えていた貴人の剣術と望の剣術は似ている。<br />
二人は同じ人に仕えていたことがわかった。<br />
――望は兵法家にとって神のごとき存在となる。<br />
神意によって軍を動かす時代にあって、用兵とか戦略といったものは発想されにくかった。<br />
幸か不幸か、望だけはこの時代が持つ感情と信仰の外にいた。そうした望の合理に満ちた思想に最初に染められたのは向族であった。<br />
――望にとって最もわかりにくいのが周公であった。<br />
周公に初めて会った人はその長身に驚いたはずである。だが、世間はそのことを知らない。なぜなのか。周公は自分のことを外に見せないように心掛けているのだ。周公は得体がしれない。<br />
――二載ほどまえには受王の左右には箕子と比干がいたが、いまは比干の代わりに費中がおり、費中によって政治が行われているといってもよかった。<br />
そして、受王は盛大な祭典を催そうとしていた。後世「酒池肉林」と呼ばれるものである。<br />
</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.紀元前</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★☆☆☆☆(星6)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮城谷昌光</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">古代中国</category>
            
            <pubDate>Sat, 01 Dec 2012 23:49:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮城谷昌光： 太公望　上</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★☆☆☆☆<br />
呂尚。別名は太公望。日本では釣り好きを指して太公望という。<br />
言い伝えでは、渭水で釣りをしていた呂尚を文王が「これぞわが太公が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えたとされる。<br />
実態は、謎に包まれた人物である。なにせ、中国がまだ神の時代、伝説の時代の人物だから、わからないことが多い。</p>

<p>望（＝呂尚）は兵法家の祖といわれるように軍略に精通していた。<br />
彼が名を成したのは、神を信仰した時代において、合理性を追求したからかもしれない。この物語を読めばそう感じるようになるだろう。</p>

<p>さて、舞台は「商」の時代。<br />
世界史を学んだことがある人ならば、殷で知られる。「夏」→「殷（＝商）」→「周」へと移っていく時代が舞台だ。<br />
「商」民族は太陽信仰であり、太陽は10個あると考えていた。「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」である。<br />
ちなみに「商人」というが、この「商」からきている。</p>

<p>【内容】<br />
望は、泣けない、という哀しみがあることを知った。<br />
この少年の中に、商王を殺すという復讐の炎が立ち、ついに消えなかった...。<br />
――この年、商王「帝乙」が崩御している。この死んだ王の従者が必要と考えられ、そのために異民族が殺された。<br />
この「帝乙」の跡を継ごうとしているのが「受」であり、後に「紂王」と呼ばれることになる。<br />
受の下には叔父の箕子と親友で部下である祖伊がいる。他に神速の飛廉がいる。<br />
――望は羌族に生まれた。羌族は大勢力を作ろうとしない。もしそうすれば商帝国となんら遜色のない勢力になれた。だが、彼らには平等の思想があり、身分の上下の考えが薄く、強力な指導者が育たない。侵略の概念もなく、結果として戦闘力は低かった。<br />
望はのちに「呂望」と呼ばれる。<br />
――望の一族が襲われ、望を含め六人の子供が生き残った。<br />
彪、班、呉、詠、継が望のそばにいる。この六人がのちに斉という国を建て、呂氏の繁栄の基を築くことになる。<br />
望は皆を連れて北の弧竹という邑を目指した。<br />
――望は黄金の喬木を目にしていた。<br />
木の下には鳥の羽をつづり合わせた衣をまとった女がおり、呪文を唱えている...。<br />
望には自然界の霊徳をうけいれたくわえる稟質がそなわっていたのだろう。<br />
――旰と名乗る男に出会った。羌族だという。なるほど男は辮髪をしている。<br />
この羌族は羊の代わりに馬を飼っていた。それに族の大きさに驚いた。舎が５百はあるだろう、およそ二千五百人以上がいることになる。多馬羌と呼ばれる族である。<br />
そして、この族には身分があるらしい。旰の下に仍と呼ばれる男がおり、仍の下に員という部下がいる。<br />
この族での自分たちに対する扱いに望は疑問を持った。ある日、望は皆を連れて逃げ出した。六人は危うく商に差し出されるところだったのだ。<br />
――望は常人では打破できない苦難にかずしれず遭遇することになるが、幸運にも助けられ長寿を全うする男である。その奇蹟に満ちた生涯の一端が始まる。<br />
望の前に現れたのは鬼方の主だった。<br />
鬼公は望が心機に優れた少年であることを見抜いた。そして、望たちを迎え入れた。<br />
鬼方は西北の大族で、東北の大族の土方に匹敵する勢力を持っている。鬼公はそこの王にあたる人物であり、それに望は見込まれたのである。望はたちどころに鬼公を尊敬した。<br />
――望は彪に弧竹に行くことを忘れたのかと聞かれた。父母を商に殺されたことは忘れない。だが、羌族だけでは戦えない。<br />
望は、ここに商に対抗しうる勢力があることを知った。<br />
――鬼方と土方が接するあたりに箕邑がある。三十年以上も前に出現した邑だ。商の宰相というべき箕子の食邑である。<br />
その箕邑から兵が出て鬼公を襲おうとしている。あちこちの異民族もそれに応じているという。凶報だった。<br />
そして、箕子の使者が現れ、鬼公に土公に会わないかという。この使者は箕子本人だった。鬼公を窮地に立たせたのが箕子であれば、その窮地から救おうとしているのも箕子である。箕子に翻弄されたのだ。<br />
――土公がやってきた。<br />
はからずも望はこの時代を代表する三英傑を目前することになる。<br />
会見の中で、九夷、周をはじめとして異民族が続々と商に入朝するということが判った。<br />
――望は鬼公が眠っている間に土公と話をしたようだ。土公に弧竹へ連れて行ってもらう事になった。<br />
望は鬼公に誓った。弧竹から戻ることがあれば、たとえ鬼公が商王の臣となっていても仕えると。<br />
――望は鬼公と別れる前に、ひとつ訴願した。<br />
鬼方が馬羌を急襲した時に、捕虜を得た。その中に員がいることを知った。望は員を頂けないだろうかと願ったのだ。<br />
員は馬羌には戻らないという。そのかわりに望の近くにいるという。だが、何か秘めたものを持っているようであった。望はあえてそれ以上を問わなかった。<br />
――弧竹には何があるのか。望は斿にたずねた。そこには山岳の神を祀るものがいるという。神は伯夷と呼ばれているという。<br />
弧竹につき、望たちは熹に案内された。父と別れてから一年がたっていた。その間にあったことが頭をよぎった。死にかけたこともある。だが、自分も無事で、五人の子も無事であった。<br />
弧竹は二本の柱が立ってる門だけがあった。<br />
――望は山に招かれた。老人が招いたのだ。<br />
老人は望に剣を見せた。そして剣を学ぶために二載半を洞窟で過ごすことになった。そして、次に学んだのは文字であった。<br />
――望は十九歳となった。班が十五歳となっている。望は大きく成長していた。<br />
望が留守の間に彪と呉、詠がいなくなってしまっていた。<br />
そして、二十歳になったとき、弧竹をあとにするときがきた。<br />
――望が鄭凡と出会った。<br />
鄭凡は望に商の新しい町である新邑を見に行かないかと誘った。<br />
鄭凡は道々で望に、鋸橋と呼ばれる巨大な倉のこと、貨幣のことを説明した。<br />
――受王が即位して六年目になっていた。<br />
</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.紀元前</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★☆☆☆☆(星6)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮城谷昌光</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">古代中国</category>
            
            <pubDate>Sat, 01 Dec 2012 23:44:33 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>山田風太郎： 忍法忠臣蔵</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★☆☆☆<br />
忠臣蔵を題材にした忍法帖。<br />
いかにして赤穂浪士の人数が減っていったのかを史実に沿って、それに忍法を絡めて展開していく。<br />
相変わらず、奇想天外でありながら、史実をそれほどゆがめずに進めていく展開能力は鬼才の一言に尽きる。</p>

<p>今回の忍術対決は上杉の忍者対伊賀忍者。<br />
伊賀者とは、天正の時代に伊賀の豪族服部半蔵が徳川家に召し抱えられたときに、一緒に連れてきた二百人の忍者の末裔である。<br />
主人公はそうした伊賀者でありながら、太平の世の中にあっては風変りともいえる本格的な忍術修行をした無明綱太郎。</p>

<p>【内容】<br />
江戸城大奥御広屋敷伊賀者の無明綱太郎は変な奴であった。伯父の伝左衛門もそうと認めざるを得なかった。<br />
綱太郎は伊賀の鍔隠れという谷に十七の年に忍法の修行に出て戻ってきたのだ。どのような修行をしたのかは、にやにやして、はかばかしい返事をしないのでわからない。<br />
ある日、無明綱太郎がのこのこと御広屋敷膳所にあらわれた。そして紙の包丁で魚をさばき、料理人たちの胆をつぶさせた。これも忍術だという。<br />
――綱太郎が恋をした。<br />
相手が悪かった。「下の御錠口」をつとめるお使い番の女中だった。名を「ゆう」といった。ゆうの父親は膳所の爼銀兵衛だ。<br />
伯父の伝兵衛は花嫁にすることを反対した。伊賀者とはいえ服部以来譜代の一門。身分が合わないというのだ。だが、承諾させた。<br />
――ゆうがどこでどうお目にとまったのか...。将軍の目にとまった。<br />
ゆうは大奥に奉公する者の務めとして、将軍の仰せに背けないといった。綱太郎を捨てるというのだ。<br />
無明はその言葉に、信じられない仕返しで報いた。紙の包丁の時に見せた技を、ゆうに施し、将軍の目の前で披露したのだ。<br />
綱太郎はお城に用はないと江戸城を去った。元禄十四年三月十四日。<br />
――宇都宮近く。七、八人の武士が殺気を放ちながら追っていた。<br />
無明綱太郎は自分を追っているのだと思っていた。だが、追っていたのは二人の虚無僧だった。<br />
驚いたことに虚無僧は二人とも女だった。追っ手は上杉家のものだという。<br />
一人は織江。上杉家国家老の千坂兵部の娘。そしてもう一人は女中の卯月であった。織江はあろうことか死んだ「ゆう」にそっくりであった。<br />
綱太郎は二人とともに米沢まで同行することにした。<br />
――三月十四日。江戸城で大事件が起きた。あの刃傷の相手吉良上野介の実子が上杉十五万石の当主綱憲である。<br />
千坂兵部は綱太郎のことを調べ上げたらしい。大奥での事件も知っていた。しかも綱太郎が忠義が嫌いで、女嫌いなのも好都合だった。<br />
千坂兵部は公儀の敵となるという。吉良上野介を赤穂浪士から護るというのだ。公儀は吉良上野介が赤穂浪士に討たれることを望んでいる。上杉家として護るのだという。<br />
そう言って、兵部は赤穂浪士六十一名の連判状を綱太郎に渡した。そして、赤穂浪士の志をさまたげてもらいたいと頼んだ。討ってはだめなのだ。<br />
江戸の藩邸では能登組の忍者を暗殺に差し向けている。忍者は十人。瓜連兵三郎、浪打丈之進、鴉谷笑兵衛、万軍記、白糸錠閑、鍬形半之丞、折壁弁之助、月ノ和求馬、女坂半内、穴目銭十郎。<br />
――赤穂浪士の志をつぶす。そのためには男がひきずりこまれずにはいられない堕地獄がある。色道、肉欲の罠、女色の地獄である。<br />
千坂兵部が用意したのは能登の女忍者である。お琴、お弓、お桐、お粱、お杉、鞆絵である。<br />
依頼は4つ。赤穂浪士の首領を探し出すこと。赤穂浪士を刺客どもから護ること。女忍者と結び付けて復讐の志をなくさせること。そして、女忍者たちが、浪士と恋に落ちるようなことがあれば、討ち果たすこと。であった。<br />
――赤穂浪士の奥野将監は不破数右衛門が火の玉のような熱血児であることを知っている。二人が口論しているさまを瓜連兵三郎が見ていた。<br />
二人を斃そうとしたとき、能登の女忍者・お琴が立ちはだかった。そして加勢した無明綱太郎。<br />
――奥野将監が目を覚ました。自分の身に起きたことが半分もわかっていない。<br />
お琴と名乗る女が、助けてほしいという。<br />
奥野将監はお琴を伴い、同じく目を覚ました不破数右衛門とともに浪宅に向かった。<br />
――数日たち、不破数右衛門はお琴が尋常でないことを知り、将監に逃がせとすすめた。それは本能的に心に危険を覚えたからだ。<br />
だが、奥野将監はまんまとお琴の術中にはまってしまった。それは不破数右衛門も同様であった。<br />
――進藤源四郎が駕籠に乗っていると、突如として乗ってきた女がいた。忍者に追われているというのだ。<br />
女はお弓と名乗った。お弓は甲賀宗家の家だという。高弟の一人・浪打丈之進によって父が殺され、弟子の鍬形半之丞とともに追いかけ見つけたが、逆襲を受けているのだという。<br />
――お弓の前に進藤源四郎は崩れた。<br />
お弓は忍法歓喜天を使い、己と源四郎を入れ替えた。これを使うことにより、お弓は源四郎に、源四郎はお弓になるのだ。<br />
――十月十五日、山科西ノ山村にある大石内蔵助邸に同志二十数名が集まった。この場で進藤源四郎は内蔵助を批判した。<br />
帰り道、矢頭右衛門七が待てと声をかけた。先ほどの件、許せないというのだ。<br />
実は、進藤源四郎はお弓が入れ替わった姿だった...。<br />
――元禄十四年十月二十日。大石内蔵助一行が東海道を下って行った。それを八人の山伏が追っている。能登組の忍者たちだ。<br />
内蔵助は江戸の同志たちをなだめるための旅であったが、抗しきれず、明年三月まで待ってくれとの期限を設けた。<br />
――大石内蔵助の前に忍者が現れた。ほかの同志は、現実に忍者を見るまではこれほど妖怪じみたものとは思っていなかった。<br />
後日、また忍者が現れた。それはなじみの太夫・薄墨に化けた女だった。女忍者はお桐。内蔵助を不義士に堕すためだと宣言した。<br />
お桐は内蔵助に本当に仇討ちをするつもりなのかと聞いた。内蔵助はわからないと答えた...。<br />
――高田郡兵衛は仇討の延期を聞いて怒っていた。<br />
その郡兵衛の前に妖怪が現れ、飲み込まれてしまった。郡兵衛は飲み込まれたものの中で赤子の様な状態になっていた。それは夢とも現ともわからぬ状態であった。郡兵衛も崩れた。<br />
――田中貞四郎が高田郡兵衛の離脱に腹を立て、誅しに行こうとしているとき、万軍記が現れた。<br />
この後、郡兵衛を成敗する気力をなくした貞四郎は沢井五兵衛宅を訪ねた。お通を見たかったのだ。<br />
だが、お通は吉良邸の様子を探らせるため、五兵衛が女中奉公をさせることになっていた。<br />
そして、あろうことか敵討ちの悲願に互いの純潔の誓いを立てた恋人が、敵の息子の寵を受けるという。恋人の兄はそれを喜び、何事にも勝る手柄だというのだ...。<br />
――浅野内匠頭の弟浅野大学に対する処分が出たのは、その夏のことだった。閉門、知行召し上げ、宗家浅野安芸守にお預けである。<br />
浅野家の再興に望みをかけていた大石内蔵助らの夢は破れたのだった。<br />
――毛利小平太の前に鞆絵が現れた。<br />
鞆絵は小平太に浪士たちの妻、娘、妹の行く末を見せた。あまりにも恐ろしい現実であった。小平太はいかに自分たちが武士道をたてようと、女たちにつぐなうことのできない罪を犯したことが分かった。<br />
小平太は大石内蔵助の前に立ちはだかり、この事実を告げた。そして、内蔵助は殺して気が済むのなら、殺されようといった。だが、女たちの思いは別だったのである...。<br />
――千坂兵部が米沢から出府してきたのは十一月の半ばであった。娘の織江を伴ってのことだった。<br />
江戸屋敷でこれまでの首尾を無明綱太郎から聞いた。女忍者六人はすべて落命していた。その結果、残った浪士は四十七人。<br />
――元禄十五年十二月十四日。上杉の上屋敷では千坂兵部が主君に覚悟を迫っていた。覚悟とは、吉良上野介は赤穂浪士に討たれてしまうことに、手を出すなということであった。<br />
上杉綱憲は唖然とした。父を見殺しにしろというのか...。<br />
千坂兵部はそれが将軍家と民の心であるのだから、と語る。そして、兵部は娘・織江に綱憲の心を慰めてこいと命じた。<br />
織江はかなしげな表情で無明綱太郎に面した。ゆかねばならぬ。上杉家に奉公する身として、父の言葉には背けない。忠の一字はまもらねばならない。<br />
忠...。無明綱太郎の目にしだいに炎がもえあがった...。<br />
</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★☆☆☆(星7)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">山田風太郎</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">忍者もの</category>
            
            <pubDate>Mon, 15 Oct 2012 22:51:02 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮本昌孝： ふたり道三（下）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★☆☆☆<br />
本書で重要なのは、大永の動乱である。<br />
大永五年（一五二五）、長井一党が叛乱を起こし、長良川北岸の守護の本拠地を占領した。<br />
この反乱の中で、土岐氏斎藤氏の大半は山間部へ一時避難した。避難した場所は武芸川町の汾陽寺の周辺だったと考えられているそうだ。<br />
この美濃で起きた一大事について、周辺の諸大名の介入があった。越前の朝倉氏は守護土岐頼武を支援するために軍事介入し美濃に出陣して、美濃守護所の福光館を占拠した、ということだが、さらには浅井氏の動きなどもあって、もっと複雑だったようである。</p>

<p>【内容】<br />
長井新九郎は放魚と椿衆を放ち、熊神衆へのひそやかな攻撃を開始させた。奈良屋と山崎屋を潰された新九郎の恨みと無量斎は考えるだろうが、これは陽動作戦だった。<br />
そして浅井亮政の助力を得た。<br />
美濃大永の動乱は亮政の仕掛けによりはじまり、鷺山屋敷における新九郎と又四郎の密談の翌々年、大永五年（一五二五）の春だった。<br />
この中で、新九郎は目覚ましい活躍をした。<br />
――新左衛門尉が襲われた。<br />
新九郎は誰が襲ったかを知っていた。斎藤又四郎である。<br />
新九郎が又四郎を謀反へと向かわせた目的は、妙全を滅ぼすことにある。又四郎が浅井勢を引き入れて、謀反の結構にいたれば、まことの首魁が妙全であることを、土岐頼武らの前で証明するつもりであった。<br />
だが、こたびの襲撃がまことなら、これで妙全を追いこめる。だが、相手もさるもので、全ての証拠を消し去っていた。<br />
――美濃は不安定になっていた。美濃では新左衛門尉が死んでいると信じられていた。<br />
一方で、近江でも異変が起こっていた。<br />
その近江の浅井亮政は朝倉孝景とともに美濃一国を奪取しようと考えていた。<br />
そして、新左衛門尉が生きていることが分かった。<br />
――美濃でこれほど権謀術数が渦巻いた夜はなかっただろう。浅井家と朝倉家の会見、神戸砦の惨劇、尾張織田家の参戦...。<br />
――大永の動乱から一年。<br />
謀反軍撃破の立役者の一人になり、武人としての能力も見せつけた新九郎の名は美濃の中で高まった。<br />
勢力は長井新左衛門尉一党と、長井越中守一党とで、ほぼ二分されていた。<br />
――関の方の新九郎に対する複雑な思いは深まるばかりであった。<br />
小夜には一つの考えがあった。そして、関の方も小夜の正体を探っていた。<br />
――新左衛門尉が関の方と新九郎を放逐した。<br />
新九郎はそれを聞き、呆然とした。<br />
だが、関の方は新左衛門尉の愛情を死に物狂いで取り返そうとするだろう。関の方が考えていることに思いを寄せると、新九郎の総身の毛が逆立った。<br />
関の方のなすことをみて、新九郎は狂気の沙汰だと思った。新九郎は底なしの淵へ突き落されたような思いであった。<br />
何のためにいままで関の方とは心情的に対立しながらも、現実的には手を携えあってきたのか...。<br />
関の方の暴走で、守護代斎藤利茂を射殺してしまった。<br />
もはや、新九郎の野望達成どころか、それ以前の新左衛門尉を押し立てた美濃盗りへの布石も崩れ去ったというべきだろう。<br />
――新九郎は阿耶の実家山崎屋本家に身を寄せていた。<br />
新左衛門尉は関の方の謀反の後、長井道三と名乗っていた。その道三は新九郎の再起が近いことを感じていた。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★☆☆☆(星7)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮本昌孝</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">斎藤家と家臣</category>
            
            <pubDate>Wed, 22 Feb 2012 11:39:29 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮本昌孝： ふたり道三（中）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★☆☆☆<br />
斎藤道三。父は長井新左衛門尉（豊後守）。<br />
名として伝わっているものとしては、法蓮房、松波庄五郎、松波庄九郎、西村正利、西村勘九郎、長井規秀、長井新九郎、長井秀龍、斎藤利政、斎藤新九郎、斎藤道三などである。<br />
信頼できる史料に現れてくる名前は、藤原（長井）規秀、斎藤利政、道三などで、少ない。</p>

<p>息子に義龍、孫四郎（龍元、龍重）、喜平次（龍之、龍定）、利堯（利堯、玄蕃助）、長龍（利興、利治）、日饒（妙覚寺19世住職）、日覚（常在寺6世住職）。<br />
娘に姉小路頼綱正室、帰蝶（織田信長正室）など。<br />
また、長井道利は弟とも、道三が若い頃の子であるともされる。</p>

<p>【内容】<br />
松波庄九郎の軍団は京都を発して、東海道を下っていた。<br />
途中、賊に襲われた。賊を撃退し、さらに相模国鎌倉をめざした。<br />
――玉縄城にたどりついた。<br />
庄九郎は伊勢宗瑞と会った。宗瑞は新井城攻略に苦戦していた。庄九郎はそれを打破してみせようという。<br />
庄九郎はその約束を果たす。新井城攻めで抜群の働きを見せた。<br />
――庄九郎は伊勢宗瑞とはいささか距離を置いて接した。その方が冷静に宗瑞のやり方を眺められると思ったからであった。<br />
山崎屋の荷駄警護の者として、たびたび戦陣へ赴き、宗瑞の戦ぶりをつぶさに学んだ。そして、時には自身も戦場を馳駆した。<br />
――時は瞬く間に過ぎ、二年がたった。<br />
相模の国を平定し終え、宗瑞は小田原を居城とする嫡子氏綱へ家督を譲った。<br />
庄九郎の旅立ちを意味していた。<br />
別れ際、宗瑞は庄九郎に美濃へ行け、といった。それを聞いて放魚は、あっと驚いた。<br />
そして、撫子十郎の本当の名が斎藤十郎光彬、美濃守護土岐家に仕える家柄だという。<br />
――美濃。<br />
山崎屋庄九郎と名乗る油売りが評判であった。<br />
美濃入りした庄九郎だが、まっすぐには福光をめざさなかった。戦の始まる寸前だと聞いたからである。初めての国で、いきなり争乱の中に飛び込むのは無謀であった。しばらくは情報を集め、傍観するのが得策だろう。<br />
――西村勘九郎は長井新左衛門尉と名を改めた。<br />
斎藤利良と彦四郎の合戦は、勘九郎がにわかに矛先を転じて、利良を急襲したことで、一気に形勢が逆転した。彦四郎方が大勝し、利良は土岐頼武を擁して越前の朝倉氏へ逃げた。<br />
――長井新左衛門尉は油屋の姿を見て、かつての破天丸を思い起こしていた。<br />
油屋の名を聞いて、新左衛門尉も関の方も眼をむいた。偶然であろうが、松波庄九郎とはなんと似通った名前であることか...。<br />
互いに知らずとはいえ、親子の対面の場であった。<br />
――庄九郎が守護代斎藤彦四郎に拝謁したのは、冬も半ばであった。<br />
これで各家から出入りを望まれ、かれらの内情を知ることができるようになるだろう。<br />
欲が絡むと、人は本性を現す。将来の美濃盗りのためには重要なことだった。<br />
――雪が解けると、越前に逃れていた斎藤利良が朝倉氏の支援により美濃へ進撃してきた。<br />
この軍に、長井新九郎規秀がいた。膨大な軍資金の拠出とひきかえに賜った姓名である。松波庄九郎改め長井新九郎規秀の新しい戦いの始まりである。<br />
そして、この戦の中、長井新左衛門尉と新九郎の両名は、互いを父と子であるともしらずに、武人同士の盟約を結んだ。<br />
――長井新左衛門尉は自ら建立した祠堂を道三堂と名付けていた。それは亡き破天丸のためのものだった。<br />
自分が地獄道、母が俗世道、そして破天丸が天上道、ということである。<br />
――夏、守護土岐政房が急死した。<br />
越前から土岐頼武が福光の守護所に落ち付き、美濃は表面上平穏を取り戻していた。<br />
だが、頼武は凡庸。いずれ、頼芸を担ぐ者が出てくる。それまでに、頼芸の寵愛を新九郎はえることにした。<br />
――無量斎が美濃に入った。やつらが皆、美濃にいる。復讐に燃えている者にとっては好都合であった...。<br />
――新九郎は小夜から本当の母の名を知らされた。播磨・赤松政則の娘・松姫。そして、父がおどろ丸こと長井新左衛門尉であることを。<br />
だが、このことを関の方も知ってしまった。<br />
――斎藤利良暗殺により、美濃の勢力図が劇的に変化した。<br />
新守護代が誰になるかで、斎藤氏一門は持是院家に対する発言権の強い利貞尼に諮った。<br />
そして斎藤氏の最長老の豊後守利隆が斎藤又四郎の後見人として、みずから持是院妙全と号するようになった。<br />
――新九郎はまずは長井新左衛門尉を妙全と藤左衛門と対等の立場にしてみるという。それは守護代家の後見人にすることである。<br />
幕府は未だに斎藤又四郎が守護代になることを認めていない。<br />
この策が功を奏した。幕府は美濃斎藤氏に斎藤利茂を美濃守護代として承認する旨の書状を送った。これを知って持是院妙全は眼をむいた。</p>]]></description>
            <link>http://loungecafe2004.com/novels/2012/02/21-113820.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★☆☆☆(星7)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮本昌孝</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">斎藤家と家臣</category>
            
            <pubDate>Tue, 21 Feb 2012 11:38:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>宮本昌孝： ふたり道三（上）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★☆☆☆<br />
斎藤道三による美濃の国盗りは道三一代のものではなく、父・長井新左衛門尉との父子2代にわたるという説が有力だそうだ。<br />
これは岐阜県史編纂の過程で発見された「六角承禎条書写」によるものだそうだ。この古文書は道三の没後四年頃に書かれたものである。<br />
この小説もこの「六角承禎条書写」をベースにしている。ベースにしているのは各登場人物もそうである。</p>

<p>従来は一代で戦国大名にのし上がったと思われており、北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型とされた。<br />
僧侶から油商人を経たというのも、従来のイメージである。<br />
実態は、道三の父は京都の妙覚寺の僧侶だったが、還俗して西村姓を名乗り、美濃守護の土岐家家臣・長井家に仕え、頭角を現すと、長井新左衛門尉と改め、美濃三奉行の一人にまでなった。<br />
その子、道三こと長井新九郎規秀は天文三年（一五三四）に主家・長井氏を滅ぼすと、翌年には守護代と同じ斎藤姓を名乗り、美濃を実質的に支配するようになった。</p>

<p>【内容】<br />
六尺をこえようかという巨躯、鼻筋の通った双眸は、異邦の地の混合をうかがわせる。左目は眼帯の下だ。<br />
男は天に向かって叫んだ。刀鍛冶をやめる、と。男はおどろ丸といった。<br />
――裏青江の無量斎がおどろ丸を襲ってきた。<br />
助けに現れたのは松波庄五郎基宗だった。庄吾郎はおどろ丸を知っていた。櫂扇隠岐允の子であることも。<br />
庄五郎はおどろ丸に太刀の依頼に来たのだった。依頼主は赤松左京大夫政則である。赤松囃子が欲しいというのだ。<br />
――櫂扇の太刀が世に現れるのは、嘉吉元年（一四四一）のことである。<br />
赤松満祐が足利六代将軍義教に襲いかかって首をはねたのが、櫂扇だった。太刀は誰が名付けたかは知らないが、赤松囃子と呼ばれるようになった。<br />
赤松囃子は叩き折られた。次に櫂扇が現れたのは、十六年後。長禄元年（一四五七）のことだ。<br />
――おどろ丸は太刀をつくることを承諾した。<br />
赤松政則の目的はただ一つ。将軍義政の暗殺であった。<br />
――足利義政暗殺を未遂に終わらせた後、おどろ丸、庄五郎、女忍びの小夜が一端逃げた先は鞍馬だった。<br />
その後、おどろ丸は庄五郎の案内で美濃へ旅立った。美濃は、九年前に美濃守護代の斎藤妙椿が没している。庄五郎はその手下だった。今は、自分の意思で小夜を助けている。<br />
美濃は争いの絶えぬ国であった。おどろ丸は隻眼を輝かせ、おもしろいと思った。<br />
――美濃の斎藤氏は平安時代にその履歴がさかのぼる。室町時代になって、美濃守護土岐氏の執権として守護代をつとめるようになった。<br />
もう一方の守護代富島氏と抗争を繰り返したが、妙椿の出現により、その地位がゆるぎないものとなった。<br />
妙椿には梟雄の性根があったと、庄五郎は語った。庄五郎は妙椿の直属の忍び集団・椿衆に幼いころに拾われて育った。<br />
おどろ丸は妙椿の話を聞いて言い知れぬ昂揚感が起きていた。<br />
主家を凌ぎ、幕府をもひっくり返そうかという力を蓄えつつあった男がわずか九年前まで生きていたとは...。<br />
――今の美濃というと。<br />
守護土岐家は飾りにすぎなかった。斎藤妙純と石丸丹波守の勢力で二分されていた。<br />
――おどろ丸の前に現れたのは関鍛冶の兼定だった。そして娘の錦弥だった。<br />
兼定はおどろ丸を連れて春日神社に向かった。秘宝があるという。ただし、秘宝はすぐには拝めない。童子あらためというものを経なければならなかった。<br />
関鍛冶の始祖は、二代目の櫂扇隠岐允だという。だが、おどろ丸は真実を告げた。<br />
――おどろ丸は錦弥と夫婦になった。<br />
美濃では、守護代斎藤妙純とその家老石丸丹波守利光との確執が一触即発の危機を公然たらしめていた。<br />
両者の戦の中で、おどろ丸の活躍が石丸丹波守利光に認められた。だが、続く戦で石丸側は敗北した。<br />
――十五年の時が過ぎた...。<br />
おどろ丸は西村勘九郎と名を変えた。もはや五十代半ばにさしかかっていた。錦弥も関の方と呼ばれていた。<br />
夫婦の行方を激変せしめたのは、城田寺合戦の最中の息子・破天丸の死であっただろう。<br />
この合戦で、おどろ丸は破天丸も櫂扇の太刀も、庄五郎も失ってしまった。底知れぬ深くて暗い心の空洞に自らを閉じ込めていた。<br />
――法蓮房と南陽房は仲が良かった。<br />
南陽房は家柄がよい。美濃斎藤氏の生まれであった。<br />
一方、法蓮房は八歳まで峰丸と呼ばれていた。小栗栖の竹林の中に住んでいた。母・小夜と老爺・甲壱との三人だけの生活だった。<br />
小栗栖に戻る途中、赤子を女から頼まれた。赤松義村に届けてくれという。この子は、赤松義村の子なのか。いやそうではないと法蓮房は直感した。さらに高貴の血筋に違いない。将軍家の子...、だとするとおもしろい。<br />
――法蓮房は還俗した。<br />
名を松波庄九郎とした。松波庄五郎の名から思いついたものだった。<br />
庄五郎の甥という触れ込みで、西岡の油問屋奈良屋又兵衛に奉公した。<br />
その庄九郎が駿河に行くことになった。最大の理由は三浦氏を滅ぼさんとしている伊勢宗瑞の存在だ。<br />
宗瑞は乱世の申し子だ。それを知らずして乱世の夢は見られぬ。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★☆☆☆(星7)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">宮本昌孝</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">斎藤家と家臣</category>
            
            <pubDate>Mon, 20 Feb 2012 11:36:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北方謙三： 楊家将２　血涙　新楊家将（下）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★☆☆☆☆<br />
楊四郎が生きていた。<br />
だが、それがために、哀しい戦いが始まる。<br />
それは兄弟同士での戦い。</p>

<p>さて、「楊家将」と比べてなにが決定的に違うのだろうかと思う。<br />
詠んでいる中で感じるのは、そのスケール感が小さくなっていることである。<br />
最大の原因は、登場人物が少なくなってしまっていることであろう。これは筆者のせいではなく、原作の限界というしかない。様々な個性が活躍することによってうまれるスケール感というものが、登場人物が少なくなることによって失われてしまっている。<br />
そして、楊業という男のスケールの大きさに対して、息子の六郎と七郎のスケール感が小さいということもあるだろうと思う。<br />
結果としてこじんまりとしたものになってしまっている。</p>

<p>【内容】<br />
代州にもどると、すぐに兵の補充の手配をした。<br />
楊家軍は耶律休哥軍との戦いで負けはしなかったが、犠牲が大きかった。<br />
楊家軍は春までに一万にする。それが六郎と七郎の考えだった。<br />
――六郎は一人で石幻果が四郎かどうかを確かめに行くことにした。<br />
六郎は石幻果である四郎と、ただ話したかった。石幻果なの四郎なのかを確かめたかった。<br />
石幻果は六郎に告げた。<br />
楊四郎は死んだ。いまは石幻果であり、死ぬ時も石幻果でしかない。<br />
――女真の地に耶律休哥は向かっていた。<br />
叛乱がおきていた。やむにやまれず起こした反乱だった。<br />
――宋の帝はまだ燕雲十六州の快復の悲願を待ち続けていた。<br />
今や宋軍の頂点にいる柴礼は、軍権のすべてを軍に取り戻すつもりであることを六郎に隠そうとはしなかった。戦を続けることで、軍の力を取り戻す。それしか文官をしのぐ手段はなかった。六郎も柴礼と力を合わせるしかなかった。<br />
――六郎が代州に戻ると九妹が飛び出してきた。<br />
兄が戻ってきたという。<br />
行方不明になっていた五郎延徳であった。左腕をなくして僧形になっていた。<br />
四郎は俺が斬ろうといった。<br />
十年間。五郎は五台山で片手で剣を遣う。それだけをやってきた。<br />
――耶律休哥はどうにもならないような疲労感に襲われるようになっていた。<br />
血を吐いた...。<br />
――四郎だけは斬らなければならない。四郎は楊家軍の前に亡霊として立ちふさがっている。<br />
自分も亡霊だった。五郎はそう思っていた。亡霊は亡霊が斬らなければならない。<br />
途中、潘仁美の息子に遭遇した。<br />
やつも亡霊だった。亡霊は斬るしかなかった。<br />
五郎には予感があった。四郎は自分を待っている...。<br />
――宋の帝は不退転の決意だった。<br />
死ぬ前に燕雲十六州を回復する。軍には遂行する権限だけを与え、止める権限を与えなかった。<br />
六郎は柴礼から独立行動権のようなものを与えられた。<br />
六郎はふと思った。帝の命はあと数カ月なのではないかと。<br />
柴礼は楊家軍に死に兵になれと言っていた。崩御となれば、服喪のために軍を引く。それまではひたすら勝ち続ける。楊家軍の犠牲を顧みないということだった。<br />
――戦は一つの段階を進めたと石幻果は思っていた。<br />
最前線が楊家軍に突破され、潰走している。<br />
六郎は耶律休哥軍と三日間にわたって戦い続けた。<br />
延光が討たれた。それでもかまっていられなかった。<br />
――宋の帝が死んだ。<br />
楊家軍の損失がようやく回復してきた。<br />
あの時、楊家軍は負けていた。不意に攻撃の手が緩んだ。それがなければ楊家軍は総崩れになっていた。<br />
遼では石幻果が禁軍三万を率いることになったという。<br />
――遼は疲弊していた。<br />
あと一度だけ。一度だけ民を命ぎりぎりのところまで耐えさせるしかない。<br />
遼の中に物資は悲惨というほどに無くなってきていた。<br />
宋の国力は年々上がっている。そのつもりなら、再び遠征軍を起こせるだろう。<br />
賭けしかなかった。<br />
それは宋軍の裏をかいて、一気に開封府を攻略することだった。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://loungecafe2004.com/novels/2012/01/19-113243.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★☆☆☆☆(星6)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北方謙三（東洋）</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">中世中国</category>
            
            <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 11:32:43 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北方謙三： 楊家将２　血涙　新楊家将（上）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★☆☆☆☆<br />
「楊家将」から二年後。<br />
楊家の中で生き残ったのは六郎と七郎の二人。楊業を失い、兄三人を失った楊家軍の再興から物語は始まる。裏切りによって壊滅的な打撃を受けた楊家がいかにして立ち上がるのか。新楊家将と銘打った本作に流れる雰囲気は、悲壮感でしかない。</p>

<p>それにしてもこの物語の中で描かれる宋という国は、あまりにも酷い。<br />
それは組織的の構造的な酷さなのかもしれない。だが、こうした酷さは、現代においてもあらゆる組織の中に起きていることに違いない。</p>

<p>【内容】<br />
遼は燕雲十六州を抑え抑えた。宋とは休戦状態だ。一昨年の戦は両国共に疲弊された。<br />
耶律休哥の軍だけは独立行動権が与えられたままだった。<br />
麻哩阿吉が戻ってきた。石幻果が一緒である。麻哩阿吉は副官としての力をつけてきたが、まだ石幻果には及ばない。<br />
耶律休哥は石幻果を麾下に加えたかったが、それは許されない。<br />
いま、耶律休哥がやらなければならないのは、兵の調練だ。軍は耶律斜軫が頂点に立っている。<br />
――六郎は八騎で開封府に入った。<br />
父は死んだ、上の三人の兄も死んだ。四郎と五郎の行方は分からないが、恐らく死んでいるだろう。<br />
生き残ったのは自分と七郎、妹の八娘と九妹だけだ。<br />
楊家軍は父が生きていたころは三万に達していた。楊家軍は一から作り直しだった。今は各地に散って目立たないようにしている。三千ほどいるはずだった。<br />
――六郎は宮殿から呼ばれていた。<br />
帝や朝廷がどう出るのかを時をかけて見定めようとしている。<br />
楊家軍の塩の道は断たれていた。その代わり、兵を養うための銀は分散して蓄えられていた。それは兵三万を二年養えるものだった。<br />
――六郎は母から吹毛剣を授けられた。父・楊業の剣だった。<br />
楊家の長は六郎になった。<br />
――石幻果はかつて自分が宋の将軍であることを一年ほど前に知らされた。だが、何も覚えていなかった。<br />
側には瓊峨姫がいた。はじめて見た時から、他人とは思わなかった。瓊峨姫が好きだった。<br />
――七郎は六郎と話し合うために山を降りて西に向かった。<br />
王志が一番西にいる。牧をやっている。蓄えはいつかは尽きる。新しく銀を産む方法が牧をやることだった。<br />
王志の従兄・王貴は山に隠棲してしまっていた。楊家にはあと、長男の息子・延光しかいなかった。<br />
――最後の最後に、味方の裏切りで、勝てる戦を失った。<br />
それが楊家にとって全てだった。<br />
そして、王貴にとってもそれが全てだった。王貴にとって、楊業は全てだった。<br />
その王貴を七郎たちが訪ねてきた。七郎は楊家の誇りをかけて立ち上がるという。宋は義で楊家に応えてくれさえすれば良かった。<br />
――石幻果は耶律休哥の武将となった。そして、瓊峨姫との結婚も認められることになった。<br />
結婚後、一年半で息子が生まれた。名を䔥英材とした。<br />
石幻果はよく耶律休哥の軍と調練を重ねた。まだ耶律休課には勝てない。だが、副官の麻哩阿吉なら翻弄することができた。<br />
――宋と遼は、互いに大きなぶつかりあいを避ける状況が続いていた。<br />
遼には楊家軍が八千に達したとのうわさが流れてきた。<br />
耶律休哥は戦がしたかった。戦の中で老いる前に死にたかった。耶律休哥が恐れているのは老いだけといってよかった。<br />
――九妹は唇を噛んでいた。<br />
どんなに機敏に動こうと、七郎の軍の相手にはならなかった。七郎からは予備隊だといわれた。<br />
九妹は兵の死を恐れた動きをしていた。<br />
――耶律休哥と楊家軍が対峙した。<br />
八千の騎馬隊のうち、二千は潰しておきたいと耶律休哥は思っていた。<br />
その頃、六郎のもとには、耶律休哥の部下に宋軍の指揮官がいるとの情報が伝わってきた。<br />
――石幻果を見た六郎はそれがどうしても兄・四郎延朗にしか思えなかった。<br />
石幻果が楊四郎であるのかどうかを、方礼をやって調べさせた。だが、その方礼の死が伝わってきた。<br />
六郎は四郎が死んだと思い定めることにした。<br />
石幻果が何者であるかはどうでもよくなってきた。<br />
――宋と遼が戦った<br />
その中で、六郎は石幻果と戦うことになった。<br />
二人の剣がぶつかり合った。六郎の吹毛剣が石幻果の吸葉剣とふれ合った。その時、剣ではない別のものにふれたという気がした。<br />
――宋軍がじわじわと押し始めていた。<br />
占領地からの撤退という命令が宮廷から出ていた。だが、遼軍はたやすくは下がれなかった。<br />
――石幻果に何かが起きた。<br />
耶律休哥は石幻果に息子にたいするような思いを抱いていた。石幻果も似た感情を自分に抱いていたような気がする。<br />
心が騒いだ。<br />
石幻果は全てを思い出した。</p>]]></description>
            <link>http://loungecafe2004.com/novels/2012/01/19-112947.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★☆☆☆☆(星6)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北方謙三（東洋）</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">中世中国</category>
            
            <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 11:29:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北方謙三： 楊家将（下）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★★★★<br />
本書は七郎が調練で優れた才能を見せたところから始まっている。<br />
このはじまり方は、本書の後に続く「血涙」を意識してのことに違いない。<br />
「血涙」では、六郎、七郎、そして四郎が軸となる。<br />
そのため、そうした始め方にしたのだろう。また、七人兄弟の中でのスポットライトの当たり方も結構違うのは、「血涙」を意識してのことだろうと思う。</p>

<p>【内容】<br />
開封府に戦の雰囲気はまるでなかった。<br />
遂城攻撃軍に痛撃を与えた。それによって遼との戦は数年はないだろうというのが、文官のみならず、将軍たちの考えだった。<br />
潘仁美は短いつぶやきを漏らした。あと五万、禁軍を増やしたいと願い出たところ、却下された。遼という国を北に抱えている。全体が戦のためにあるような国だ。そして、中原に目を向けているのは明らかである。<br />
――戦はそれほど遠くない、と楊業は思っていた。それも決戦という規模だろう。<br />
耶律休哥軍に独立行動権が与えられたという情報がある。ほんとうなら、耶律休哥の非凡さが、即座に戦に反映されるという事だ。楊業は開封府から独立行動権を与えられているわけではなかった。<br />
――宋が大軍を編成中であるという情報が耶律奚低にもとに入った。<br />
――北平寨は時々敵の攻撃にさらされた。<br />
四郎は、あの女が䔥太后の娘だったのかと知った。それならば、自分と最も遠いと、四郎は思った。遼王朝と楊家が相容れるところは、どこにもない。<br />
――耶律奚低は地図をつぶさに見た。燕京まで攻め込ませ、そこで決戦と考えていることが分かった。䔥太后が燕京にいることによって、宋軍をおびき寄せることができる。䔥太后自らおとりを買って出ていた。<br />
ただ守る、だけの布陣ではない。攻めに転じることができる夫人にしている。耶律奚低に檄が飛んだ。「気力を奮い起こしなさい。すべての存在をかけて、闘うのです。」<br />
――曹彬は兵糧が尽きかけていると聞いて冷や汗が出るのを感じた。そして、耶律休哥軍がどこにいるのかが分からないのが無気味であった。<br />
――三十万の宋軍が、二軍に分かれて侵攻してきた。それを一つにまとめることが必要だった。<br />
攻撃については、耶律奚低はすべてを頭らから拭い去っていた。そして、宋軍の兵站を探ることに力を注いだ。<br />
――曹彬と潘仁美がしばしば軍議で対立した。潘仁美の進軍が遅れた。それで攻撃の機会を逃した。<br />
宋軍にとって、兵站が耶律休哥軍に襲われているのを食い止めるのが焦眉の急だった。楊業は六郎と七郎の騎馬隊にあたらせることにした。<br />
――耶律休哥軍に被害が出た。<br />
六郎と七郎の騎馬隊が大きく成長していた。耶律休哥の副官を翻弄したのだ。通常の騎馬隊に襲われてでる被害の規模ではなかった。<br />
――宋軍が総攻撃をかけた。<br />
楊家軍があたるところだけが、防御が五段になっている。他のところは三段だ。<br />
最後の五段目、防御は厚くなっていたが、敗れる。だが、その時、別の動揺が起きた。潘仁美のいる本体のあたりだ。楊業は唇をかんだ。あと半刻、あと一押しだった。<br />
今伝わってくるのは、味方の潰走の気配である。<br />
右翼が耶律休哥の奇襲を受けた。<br />
――耶律休哥は、運がこちらにあったと思った。わずかな運だが、見逃しはしなかった。<br />
潰走する宋軍を追った。<br />
潘仁美の首はとれる。そう思った時、すさまじい圧力を感じた。楊家軍だ。耶律休哥は唇をかんだ。これが楊業の戦か。つぶやき、体の震えを止めようとした。<br />
――帝は親征を考えていた。今度の大敗は曹彬と潘仁美の対立による指揮の乱れだった。<br />
その帝の息子七王の周りにおかしなものが現れていた。学識が豊かだが、盛んに申請を進めている。王欽招吉であった。<br />
その頃、䔥太后は宋主の首を取ることで、一気に中原を制することを考えていた。そのために、王欽招吉を潜入させたのだ。<br />
――宋の親征が始まった。<br />
だが、あろうことか、帝の軍が包囲された。帝の近くにいる延平と六郎、七郎が他の将軍へ伝えに行くことになる。六郎と七郎が闇にまぎれて包囲を突破するしかなかった。<br />
謀略戦で、宋はすでに破れていた。<br />
――帝の危機を伝えた伝令が息絶えた。<br />
楊業はすぐさま軍を動かした。楊業は三日で到着した。この間、二郎を失い、四郎が行方不明となっていた。<br />
帝を脱出させなければならない。延平を帝に仕立てて、その間に帝を逃すことにした。延平には死んでもらうことになる。帝は楊業と七郎が守ることになった。<br />
――楊業の動きはすさまじかった。たえず、耶律休哥の先をいっている。<br />
そのとき、ふいに陳家谷の地形が目に入った。耶律休哥の全身の毛が立ったように感じた。追いつめたつもりが、誘い込まれた。<br />
だが...。</p>]]></description>
            <link>http://loungecafe2004.com/novels/2011/12/31-123955.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">3.6世紀から10世紀</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★★★★(星10)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北方謙三（東洋）</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉川英治文学賞</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">中世中国</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">吉川英治文学賞</category>
            
            <pubDate>Sat, 31 Dec 2011 12:39:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北方謙三： 楊家将（上）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★★★★<br />
第38回吉川英治文学賞受賞。</p>

<p>文句なしに面白い。楊業に物語を書けと言われているような気がして、書き始めたと、北方謙三がいうように、何かが違う。<br />
楊業と七人の息子。そしてライバルとなる耶律休哥の存在。<br />
原作ではそれほどの重要な役割が与えられていない耶律休哥に、スポットライトを当てたことによって、全体がものすごく引き締まり、ドライな男臭さ全開の物語となっている。</p>

<p>「楊家将」は日本ではなじみが薄いが、中国では「三国志」「水滸伝」と並ぶ人気を誇る。ただし、原作となる本に恵まれなかった点が他の二つとの大きな違いになっているようだ。その代り、「楊家将」は京劇などの芝居や、講談の世界で語り継がれてきた。</p>

<p>「楊家将」は本書だけでは終わらない。この後には「血涙」が続く。</p>

<p>【内容】<br />
演習が行われていた。<br />
先年の宋との戦いでは、宋軍六万に対して、楊家軍二万で対峙した。<br />
楊家は北漢の臣であり、北漢随一の兵力を要する。それでも三万に満たない。<br />
この国は乱れ、小国が乱立する時代に入っていた。今年になって呉越も宋に降った。残るは北漢と宋のみである。北に遼という国がある。そこと手を結べば、十分に宋と戦えるだろう。<br />
北漢の帝は楊家を恐れている。長男延平は思っていた。帝の周りの廷臣たちは、楊家を遼へあるいは宋へ押しやろうとしてはいないか...。<br />
――宋軍が攻めてきた。楊業はすぐに準備をした。<br />
楊家は北漢の軍人として生きてきた。戦えと言われれば、どこでも戦う。だが、戦いの最中に背中から矢が飛んでくることがしばしばであった。<br />
政事は廷臣がやればよい。楊家は、兵を養うために北への塩の道をもっていた。これにだけは、帝といえども手を付けさせない。長い間楊家が保ってきた権限である。<br />
自分の代で楊家を滅ぼすことはできない。不忠と言われることも避けたい。楊家の滅亡を防ぐために、北漢の滅亡を防ぐ。それが第一だった。<br />
楊業の悩みは深かった。帝さえ英邁であったらなら...。<br />
その中、北漢が遼へ使者を送ったという。楊家の助け入らないという事なのか。楊業は今すぐにでも廷臣の首を刎ね飛ばしてやりたいと思った。<br />
――今度の戦いは七人の息子全員が出陣する。<br />
「令」の旗がたった。楊業の旗である。<br />
――呼延賛はさすがに楊家軍だと思った。こちらに与える威圧感がすさまじい。倍する兵力を擁しながら気圧され始めている。<br />
戦いは、いったんは楊家軍が押し込んだものの、こう着状態になろうとしていた。楊業は兵站がどれくらい持つのかを調べていた。<br />
殉ずるという考えが楊業には出てこなかった。力の限りたたかった後の話である。今は、敵を前にして帝に邪魔をされていた。楊業は側近の王貴を読んだ。幼いころから一緒に育ち、弟のように扱ってきた腹心である。<br />
――趙光義は考えていた。<br />
楊家軍が北漢の役人の首を刎ねて、力づくで前線まで兵糧を運ばせたという情報が入ってきた。一方で、楊家軍の張文が帰順を申し出ている。張文の帰順は罠であると、確信を深めていた。<br />
――楊業は苦渋の決断を下した。不忠の汚名を負って生きる。北漢と「令」の旗を降ろさせた。掲げられているのは「楊」の旗だけである。<br />
楊業四十九歳であった。楊家は宋に降った。<br />
――楊家はそのままで、開封府に館が与えられる。楊家が帰順することで、大幅に犠牲を少なくして、北漢を征服することができるのだ。<br />
代州に戻って、楊業が命じたのは調練だった。長男延平が命じられたのは六郎を鍛え上げることであった。六郎は臆病だと考えられていたが、延平はそうとは考えていなかった。<br />
六郎は調練のときには様々な考えが交錯してしまい、命令が遅くなることがしばしばであった。だが、実践では決断は早いだろう。<br />
――宋が燕雲十六州への北進を図った。<br />
遼からは耶律奚低が大将として出てきている。全軍で６万だ。少なすぎると楊業は思った。これは埋伏だ。埋伏は三万にのぼり、帝が危うくなっていた。六郎延昭が帝を見つけた。<br />
戦は負けた。北進の際には十五万だった兵が七万に減っていた。<br />
――䔥太后が燕京にやってきた。<br />
宋は大敗したが、帝は命を拾っていた。遼は兵に困る国ではなかったが、あまり徴兵は出来なかった。軍の総軍は四十万と決まっていた。防衛を考えると十万が外征できる最大限だった。<br />
最初の外征は大敗した。そして、すぐさま外征の軍を再編した。耶律奚低にやらせることにした。<br />
――耶律休哥は遼軍きっての将軍である。しかし䔥太后の不興を買っていた。三十四歳だが、若いころから白髪だった。髪も髭もだ。白き狼と呼ばれている。<br />
その耶律休哥を耶律奚低が訪れた。外征軍に加わらせるためである。ただし、将軍としてではない。二千の軽騎兵を率いる将校としてだ。<br />
――三か月前に大敗した遼軍が再び現れた。楊業は兵を集めた。その数一万。総指揮は楊業、延平のほか、六郎と七郎が従う。<br />
六郎は耶律休哥とやりあった。手ごわい。<br />
勝敗は付かなかった。戦いの後、耶律休哥に多くの軽騎兵が与えられた。<br />
――耶律休哥の頭には、先の戦でぶつかった楊家軍の騎馬隊二千があたまにあった。自分が鍛え上げた騎馬隊とほとんど互角の戦いをしたのだ。<br />
特にぶつかった六郎は、今後の成長を考えると末恐ろしいところがあった。<br />
――北から軍馬が届き始めた。六郎と七郎のたっての希望である。<br />
宋はいったんの区切りをつけ、民政に力を入れ始めた。だが、北辺の守りは厳しい。遼軍は依然として強力で、中原に目を据えている。<br />
宋は文官の力が強い。楊業は息子たちを都に長くは置きたくなかった。本当の軍人は前線にいるべきである。<br />
だが、代州と開封府の通信手段は絶えず講じておかなければならない。<br />
――雁門関には四郎の軍が駐屯している。<br />
四郎は兄弟の中で暗い性格が際立っている。戦の指揮をやらせても冷静だが果敢というところがない。自分の考えはいつも内側に秘めている。<br />
宋に帰順するとき、四郎だけは別の考えを口にした。それは、北漢を押しつぶし、楊家がとってかわればよい。そのことを知っているのは延平だけであった。<br />
四郎は人望がない。四郎のためには死のうとする兵が少ない。ぎりぎりのところで六郎に負けるだろう。<br />
部下となじむために、四郎は北平寨に駐屯することになった。<br />
――䔥太后はいらだっていた。北平寨のあたりから宋領を侵そうとした軍が、壊滅的な被害を受けた。その中に、娘の瓊峨姫がいたのだ。<br />
そばでは王欽招吉がうなだれていた。<br />
――耶律休哥は特に優れたものを選び出して、赤い具足をつけさせた。赤騎兵と名付けた。<br />
王欽招吉が耶律休哥を訪ねてきた。<br />
――四郎が全身を汗で濡らしていた。<br />
耶律休哥軍だった。わずか二百騎。四郎の三千の兵のうち、一千近くは戻らなかった。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">3.6世紀から10世紀</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★★★★★★(星10)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">北方謙三（東洋）</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉川英治文学賞</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">中世中国</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">吉川英治文学賞</category>
            
            <pubDate>Sat, 31 Dec 2011 12:35:12 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>永岡慶之助： 伊達政宗（下）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★☆☆☆☆☆<br />
後半は秀吉の死後から家康の権力が確定するまでの時代の伊達政宗を描いている。</p>

<p>伊達政宗という男の人生は長い。<br />
本書では描かれていないが、江戸時代に入ってからの政宗についてもいろいろなエピソードがあり、それはそれで面白い。<br />
だれか、この時代に焦点を当てて描いてくれるとそれなりに面白いのではないかと思うのだが。</p>

<p>ちなみに、権中納言に任ぜられてからは政宗は仙台黄門とも呼ばれている。</p>

<p>【内容】<br />
一揆通謀の疑いが晴れてからの秀吉の政宗に対する好意は並々ならぬものがあった。<br />
上洛以来、政宗は一段と慎重になっていた。奥羽にあっては、一級の謀略家と自認していた政宗であったが、京都に来てからはその自負も微塵に砕かれた。<br />
秀吉の前に出た己は、まさしくかつての大内定綱そのものであった。<br />
――中央にあっては、たとえ武将であろうとも茶道や和歌に通じているか否かがら、社交界に顔を出せるかどうかのカギとなっていた。<br />
政宗は秀吉に近い茶人や武将と急速に交際を深めていった。<br />
――政宗の評価は、伊達屋敷の落成祝賀の宴を境にして俄然変わった。さすがは名門の出と評されるようになったのである。<br />
――京都から米沢に帰った政宗は再び大崎、葛西地方の一揆鎮圧に乗り出した。<br />
上洛して、中央における政治、経済、文化の実体にふれた政宗は、けっして秀吉の策謀にも乗せられることのない、複雑にして強靭な精神の所有者となっている。<br />
政宗の一揆鎮圧は予想以上にスムーズに行ったが、目の前に九戸政実が頑強に抵抗を続けていた。<br />
――奥州の領土配分が行われ、政宗は愕然とした。伊達家に縁の深い米沢地方、仙道五郡がとりあげられ、蒲生氏郷に与えられた。<br />
見事にやられた。<br />
新領五十八万石とはいえ、前領よりも十数万石も減封となったのである。<br />
――秀吉から朝鮮出兵を告げる通達が出た。千五百人が秀吉から政宗に割り当てられた出兵の人員であった。<br />
政宗は兵を率いて九州の名護屋に向かった。<br />
――名古屋で徳川・前田の両家が喧嘩をはじめた。<br />
前田家は伊達家を味方と思っていたが、伊達家は鉄砲隊の銃口を前田家に向けた。<br />
この事件は、政宗という人間の存在に新たな重みを加えた。これまで前田家に近いとみられた政宗が、突如、徳川に助成する意思を示したことは、諸侯の間にも強い衝撃を与えた。<br />
政宗め、一筋縄ではゆかぬ。油断ならぬやつだ。<br />
――この政宗に朝鮮に渡航せよとの命が下った。政宗は浅野長政、幸政親子と同じであった。<br />
だが、朝鮮で原田左馬之助を失った。<br />
――朝鮮から帰国して政宗は豊臣秀次とちかづくことになった。<br />
この時、京都滞留が一年半余りに及んだ。領地に戻るのは、実に足掛け四年ぶりであった。<br />
京都滞留で政宗は石田三成に気を許すことはなかった。<br />
――豊臣秀次が高野に追われたと聞き、政宗は不吉な予感がした。そして、秀次が謀反の罪に問われたと聞き、これは、くるな、と身の引き締まるのを覚えた。伝えてきたのは全て鈴木新兵衛あった。<br />
――事態は深刻であった。<br />
秀吉から家督を秀宗にゆずり、伊予への転封を命ぜられた。だが、この窮地を救ってくれたのが徳川家康だった。ここにきて、初めて家康という地味な武将の政治力に眼をみはる思いだった。<br />
――秀吉が再び朝鮮出兵した。だが、時期を同じくして秀吉の体力は急速に衰えていく。<br />
秀吉の死後、天下の情勢が微妙に揺れ動いた。<br />
にわかに存在の重みを増した徳川家康と、石田三成の対立が目立ち始めてきたのだ。迂闊には動けぬ。<br />
その家康から、政宗の娘と家康の六男忠輝との婚姻の打診が来た。家康が仮面を脱ぎ始めていた。<br />
――慶長四年。前田利家が死んだ。<br />
政宗は家康にすでにぬかりなく助成を申し入れている。だが、こうした中、伊達成実が出奔した。<br />
人はともすると、おのれの身近にあって、もっとも献身的に仕えるものに馴れ、また身近ゆえに死角となって見えぬまま、粗略に扱うことがままあるものである。その過失を政宗もおかした。<br />
成実に対する政宗の過ちはまだ続いた。そして、その成実を家康が召し抱えた。政宗の複雑な心境を、妻・愛姫が鋭く指摘した。<br />
――慶長五年。上杉景勝に逆心ありとの風聞が立った。<br />
政宗は対上杉戦を想定し始めていた。徳川家康が北上してくるまでに、いかに領土を切り取れるかが勝負である。<br />
家康からは百万石の御墨付きがあったが、これは信用できなかった。<br />
この中、成実が戻ってきてくれた。<br />
――関ヶ原で天下分け目の合戦があった日、奥州では政宗のもとに最上義光から書状が届いた。救援の依頼だった。<br />
冷静に考えれば、最上と上杉を闘わせ、疲弊したところを伊達が乗り込めば良い。だが、母・保春院を見捨てることが政宗にはできなかった。<br />
――南部の和賀郡におきた一揆。この事件こそ、謀略家としての政宗の一面を如実に物語る材料である。<br />
政宗の計算通り一揆の連鎖反応が起き、南部勢は仰天した。<br />
だが、この一揆のことが家康に報告されてしまった。これからが、家康との勝負だった。<br />
――和賀一揆に対する格別のおとがめもなかった。だが、恩賞の沙汰もなかった。関ヶ原が終わって、論功行賞は人の噂として聞くばかりであった。百万石の夢もふいになったらしい。<br />
そう見きった政宗は、未練を断ち切って、伊達家の今後を仙台城下の創造にかけたのは賢明であった。</p>]]></description>
            <link>http://loungecafe2004.com/novels/2011/12/03-151253.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">6.戦国時代、安土桃山時代、江戸開幕当初</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★☆☆☆☆☆(星5)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">永岡慶之助</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">伊達家と家臣</category>
            
            <pubDate>Sat, 03 Dec 2011 15:12:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>永岡慶之助： 伊達政宗（上）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★☆☆☆☆☆<br />
伊達政宗の生涯を描いた作品。<br />
上巻は政宗が家督を相続する時期から、秀吉に屈服するまでの期間を描いている。</p>

<p>伊達政宗といえば、戦上手というイメージがあるかもしれないが、戦以上に上手かったのが謀略戦だった。<br />
だが、逆にこの上手さが、筆者をして『この謀略戦に長けていたことが、伊達家の歴史を通じて、世人がなんとなく暗い印象を受ける原因といえなくもない。』と言わしめている。</p>

<p>【内容】<br />
原田左馬之助が宿直をしているとき、厚い闇の中に人の気配が動いた。例の人の放たれた若殿暗殺の刺客か...。そして、長年にわたって伊達家を陰湿などろどろしたものに包みこみ、家臣を二分しかねない危険にさらしている女性の執念に身震いした。<br />
このことを知り、主・伊達政宗は憂慮していた。<br />
それを片倉小十郎が見守っている。小十郎は米沢八幡宮の宮司の次男だったが、城主伊達輝宗に召しだされ、二十歳そこそこで政宗の養育係となった。いまだ三十歳前後の若さながら、対するもののこころを畏服させずにはいられないほどの切れ者である。<br />
政宗は、おのれが家督を継がなければこのようなことは起きなかったと考えていたが、小十郎は政宗の中にある優れた資質が目覚める日を待っていた。<br />
――天正十年（一五八二）。織田信長が本能寺で死んだ。<br />
鞍掛三蔵が櫓のそばで女のうめき声を聞いた。<br />
そこに原田左馬之助が駆けつけた。水瀬多門もいた。多門と左馬之助は前髪立の頃からの親友である。<br />
この日の多門はいつもと様子が違っていた。一体多門に何があったというのだ...。<br />
――政宗はいまだに三春城主・田村大膳大夫のむすめ愛姫（めごひめ）が米沢城に来た日のことを忘れない。<br />
この日、政宗は愛馬・月山を駆って城門をでた。従うのは片倉小十郎、原田左馬之助、一歳下の伊達成実に鞍掛三蔵の四名だけである。<br />
――師・虎哉宗乙が政宗を叱咤する。魂が病んでいると。政宗は片眼を失っている。それを気にしていた。<br />
――喜多女の侍女・中浜朱実は水瀬多門が恐ろしいことを考えていることを知った。<br />
一方で、原田左馬之助も多門の行動に疑問を抱いていた。<br />
――父・輝宗は息子に九代目と同じ名をあたえたことに満足していた。九代政宗は新続古今和歌集に詠進した歌人であり、都まで聞こえた武将でもあった。<br />
政宗は、どこへ出しても恥ずかしくないだけの若者に成長していた。<br />
天正十二年（一五八四）、政宗はついに伊達家十七代目の家督を継いだ。父・輝宗は、竺丸を擁する母親北ノ方一派の策動を強引に押し切ったのである。<br />
――伊達家は幾多の難問を抱えている。家中の分裂もその一つがだが、仙道制覇もその一つであった。仙道制覇とはとりもなおさず、陸奥出羽を制覇することを意味していた。<br />
輝宗の隠居は早い。だが、輝宗は己の器量では、家を維持することで精いっぱいであると感じていた。だからこそ、おのれを超える器量をもつ政宗に掛けたのだ。<br />
――会津の芦名盛隆が死んだ。<br />
政宗が家督を相続してから、まだ数日と経っていない。まだ連日のように近隣の豪族がやってきている。その中に、大内定綱がまじってきたという。大内定綱ははっきりと反伊達陣営の立場にあるとみなされてきた人物である。<br />
それが、伊達家への従属を申し出てきた。芦名盛隆の死を知っているようだった。<br />
――大内定綱は政宗の器量を見極めてから、今後の進退を考えようと思っていた。そして、その器量を見極めたと思った。甘い、甘すぎる若造だ。<br />
たちまちに会津の芦名に寝返ることに決めた。<br />
――雪解けの季節になっても大内定綱が姿を見せないことに政宗は不信感を抱いた。そして、ついに討滅の兵をもよおした。<br />
だが、平田太郎右衛門の寝返りに端を発した、歯車の狂いは、最後まで調整できずじまいに終わった。ついに、会津への侵攻はならなかった。この作戦の失敗が仙道周辺の諸大名に及ぼした心理的影響は大きく深いものがあった。<br />
だが、師・虎哉宗乙はこの失敗を祝った。<br />
――再び、大内定綱の討滅をはかった。今度は負けられない。<br />
そして、仙道周辺の諸豪族は、政宗軍が小手森城で大虐殺を敢行したと聞いて驚倒した。定綱も戦慄した。<br />
大内定綱が敗れて、もっとも衝撃を受けたのが二本松の畠山義継だった。この義継のせいで、政宗は父もろとも義継を殺さなければならなくなってしまった。<br />
畠山義継との外交折衝は、老巧な父に任せた方がよいと判断した政宗の油断であった。<br />
――輝宗の七日の忌を終えた政宗は二本松城攻略の軍を起こした。弔い合戦である。<br />
父の無残な最期に会い、政宗はこの事件を境にして、別人のごとくなった。かつての気弱さがなくなり、独眼竜の異称も、これからの四、五年の間に奥州六十六郡のなかばを手中におさめたことによって名付けられたといってよい。<br />
――二本松城攻略の間に黒絆組（忍びのもの）から芦名や佐竹が動き出したとの知らせを受けた。<br />
憂慮する片倉小十郎に対して、一度は相手にせねばならない相手だと言った。政宗はまさに、生涯での一大危機を迎えようとしていた。<br />
だが、この敵が突然目の前から消えた。連合軍の主将・佐竹義政が下郎に刺殺されたためだった。<br />
――ようやく二本松城を攻略して米沢に戻ったのは、天正十四年のことだった。<br />
この間、政宗や成実、小十郎、左馬之助といった家中の若い者の力によって、伊達家の版図は拡大していた。<br />
そして、政宗は自分の手許から三蔵を放した。<br />
――一触即発の危機が四方を囲んでいる。<br />
会津では再び家中が二分する事態になっていた。悪いことには、最上、相馬との対立が深まっている。さらに、佐竹軍が侵入してくるという慌ただしさであった。<br />
――天正十六年。豊臣秀吉は九州征伐を終えていた。<br />
政宗はそれを聞き、仙道の制覇を急がねばならぬと感じていた。だが、京都から使者がやってきて、上洛して秀吉に参候するようにすすめてきた。<br />
政宗は小田原に北条がいるので、秀吉の手が伸びるのはまだ先だと思っていた。<br />
それゆえに、政宗はまずは芦名家を討つしかないと決意していた。<br />
――天正十七年、政宗はついに念願の黒川城に入城した。<br />
そして、抵抗を続けていたものが帰属し、三十四郡を手中にしていた。政宗が家督を相続してからわずか五年あまりのことであった。<br />
――政宗の上洛をうながす秀吉からの督促はいよいよ急となっている。そして、小田原の北条からも使者があった。<br />
政宗は、唸っていた。ついに政宗は関東進出を断念して、小田原参陣を決意した。<br />
その出発の直前、水瀬多門を通じて母・保春院からの招待を受けた。この席で政宗は毒を盛られた。<br />
出発の直前、禍根を発つため、弟に死んでも貰わなければならなかった。<br />
――小田原参陣の衣装は異様であった。髪はかぶろ、つまり切りそろえて垂らしたもの、甲冑の上には白麻の陣羽織を着て死装束と思わせるものだった。<br />
秀吉は政宗の遅参を許した。<br />
――政宗は一揆鎮圧の作戦を蒲生氏郷と打ち合わせた。<br />
その翌日、政宗の家臣・須田伯耆と名乗るものが氏郷の陣営に駆け込んで、この一揆は政宗の煽動から起きたもので、さらには氏郷の暗殺も企てていると告げだ。<br />
はたして、政宗から一揆勢にあたえた廻状がでてきた。政宗の自筆をしめす、鶺鴒の花押もある。<br />
政宗は京に呼び出された。今回は黄金のはりつけ柱を持っての上洛であった。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">6.戦国時代、安土桃山時代、江戸開幕当初</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">★★★★★☆☆☆☆☆(星5)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">永岡慶之助</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">伊達家と家臣</category>
            
            <pubDate>Sat, 03 Dec 2011 15:08:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ドナ・ウールフォーク・クロス：　女教皇ヨハンナ（下）</title>
            <description><![CDATA[<p>【覚書】★★★★★★★★☆☆<br />
今日、カトリック教会は次の二点を挙げてヨハンナの存在を否定している。<br />
１．当時の文書にヨハンナを言及したものがないこと。<br />
２．ヨハンナの前任者レオ4世から後任のベネディクトゥス3世の治世が始まる前の間、ヨハンナの在位期間が入る余地がないこと。</p>

<p>一方で、女教皇がいなければ説明がつかないことがある。<br />
中世の教皇就任式の一環として600年間も行われていた、いわゆる穴開き椅子の検査である。<br />
ヨハンナ以降、新教皇に選出された教皇は、セッラ・ステルコラリアと呼ばれる真中に穴のあいた椅子に座り、男であることを証明するために性器が確かめられた。<br />
儀式は16世紀まで続いた。カトリック教会は穴開き椅子の存在を否定していない。それどころか、ローマに現存する。</p>

<p>もうひとつ、敬遠される道がある。教皇官邸と司教座聖堂（サンジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂）のあるパトリアルキウムと、サンピエトロ大聖堂の行き来に使う最短の道はヴィア・サクラ（サンジョヴァンニ通り）だが、これを意図的に避けるようになっている。<br />
何世紀もの間、この道を使っていたにもかかわらず、ヨハンナがこの道で赤ん坊を死産した直後から使われなくなった。</p>

<p>【内容】<br />
敬虔帝ルートヴィヒが亡くなってから一年もたっていないのに三人の息子は本格的な内戦を展開していた。<br />
皇帝の称号は長兄ロタールが継いでいた。ゲロルトはロタールの性格的な欠点は承知の上で、運命をともにすることにしていた。そして、今、戦場にいた。<br />
――王家の争いの影響はフルダにはほとんど届かなかった。その冬の飢饉は過去最悪だった。流行り病が襲い、その犠牲者は修道院の中にも出た。この病で亡くなった者の中にベンヤミンがいた。ヨハンナは深い悲しみに浸った。十二年前から修業を始めて以来、ベンヤミンは友であり師であった。彼こそが真の父だった。<br />
そして、あろうことか、流行り病はヨハンナも襲った。うなされる中、ヨハンナは女であることがばれることを恐れ、修道院を抜け出した。朦朧としているヨハンナを助けてくれたのはアルンだった。<br />
ヨハンナはローマに行くことにした。<br />
――教皇グレゴリウスは死の床にあった。それをしり目にアナスタシウスは別のことを考えていた。<br />
――ローマは想像と違っていた。<br />
一見矛盾した町だ。世界の驚異でありながら、どこより汚れて朽ちかけていた。キリスト教の巡礼地でありながら、偉大な芸術は異教の神をほめたたえている。学問の中心であっても、人々は無知で迷信深い。<br />
ヨハンナはほとんどの時間をボルゴ地区で過ごした。ローマに来て一年余り、治療師として過ごし、名声は高まっていた。<br />
ヨハンナはこの生活に満足していたが、新教皇セルギウスが病に倒れたことによって一変した。<br />
――新教皇セルギウスの容体は悪くなる一方だった。このことに危機を感じたのが弟のベネディクトゥスだった。自分の権勢の終わりを意味するからだ。<br />
同じように心配していたのがアナスタシウスだった。教皇には三十五歳以上という最低年齢制限があり、アナスタシウスが資格を得るのは一年以上も先のことだった。今、セルギウスが死ねば、若い教皇が選ばれる可能性がある。そうなったら、二十年以上待たなければならないかもしれない。<br />
ヨハンナの評判を聞きつけたアナスタシウスは治療師としてヨハンナを呼んだ。<br />
――教皇の容体は予想以上に悪かった。急性の痛風の発作に苦しんでいるのだ。<br />
ヨハンナは治療をしていく中で、セルギウスの中に二人の異なる人物が同居していることに気がついた。一人は自堕落で下品で利己的、もう一人は教養があり知的で思いやりがある。教皇としての資質は高いものがある。教皇を立ち直らせるために厳しい食事療法に取り掛かった。<br />
――ヨハンナを伝説のマリオツァが呼んだ。ローマ一有名な高級娼婦だ。マリオツァはヨハンナを誘惑しようとしていた。<br />
ばかばかしい話だったが、この現場に教皇の衛兵がなだれ込んでヨハンナを取り押さえた。嵌められたヨハンナは牢に入れられた。<br />
――ロタールがローマを襲おうとしている。それを知り、セルギウスは気分が悪くなった。<br />
ロタールの一行にはゲロルトもいた。そして、ヨハンナとゲロルトは偶然の再会を果たした。最後に会ってから十五年がたっていた。歩み寄る間も惜しむようにいつしか二人は固く抱き合っていた。<br />
――教皇セルギウスは英雄としてもてはやされた。弟を失いながらも、ヨハンナの課した過酷な食事制限も功を奏し、健康と活力を取り戻していた。<br />
だが、その耳にはサラセンの船団がローマに向かっているという知らせが届いた。ゲロルトもこの話を聞くと、ヨハンナを全力で守ることを誓った。<br />
――ローマは救われた。だが、サンピエトロが破壊された。その中、セルギウスが亡くなった。<br />
セルギウスがなくなった今、ヨハンナがローマに留まる理由は失われた。次の教皇にはアナスタシウスがなるだろう。<br />
――教皇選出の選挙当日。ローマ市民は全員、聖職者も平信徒も新教皇の選出に参加することになっていた。<br />
選挙は意外な方へ進み、アナスタシウスではなく、全く予想されていなかったサンティクワトロ・コロナティ教会の司祭枢機卿レオが選出された。<br />
ゲロルトもローマに残ることになった。それは教皇親衛隊の総司令官としてだ。ヨハンナもノメンクラトルとして残ることになる。それは教皇宮廷の七大幹部のひとりで慈善活動を司る人だった。<br />
――ローマの再建はゲロルトの意見を取り入れて行われた。サンピエトロ自体を城壁で防御するのだ。<br />
この工事の中、大火事が起きた。サンピエトロ大聖堂が被害を免れたことはまさに奇跡だった。教皇レオは炎に向かって十字を切り、火を食い止めた。その話で持ちきりだった。<br />
そして、大火事が放火であり、その犯人がアナスタシウスであることが分かった。アナスタシウスはアーヘンのロタールのもとに逃げた。<br />
――町の再建にかかりきりの教皇レオにかわり、日々の勤めをしてたヨハンナはレオの代理人だった。どこへ行っても小教皇として歓迎された。<br />
――レオが死んだ。その知らせはアナスタシウスにも届いた。だが、選挙の時期が早すぎる。<br />
アナスタシウスがローマにつく前に選挙は決着してしまった。ヨハンナが選出されたのだった。<br />
――人民の教皇。洪水の日に教皇がどのように被災地に向かい、いかに命を顧みずに救いの手を差し伸べたが繰り返し語られた。<br />
――ゲロルトが去ろうとしていた。そして、ヨハンナは自分が妊娠していること知った。</p>]]></description>
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            <pubDate>Sun, 28 Aug 2011 08:01:58 +0900</pubDate>
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